▼ 『ごあいさつ』 - 2009/02/21

長らく「Needs と Seeds をつなぐ」トップページ及び「出会いのカタチ」のご愛読を賜りありがとうございました。

技術のスピードは増すばかりの昨今です。今後とも、その動向には目を凝らしつつ参る所存ですが、

現在までの形式でのアピールをひとまず終了させていただきます。

2000年6月26日よりスタートし、2008年12月1日までの掲載は、

お陰さまで5冊の冊子の形にすることができました。




1号 2000/06/26 〜 2001/07/06

2号 2001/07/12 〜 2002/12/26

3号 2003/01/08 〜 2004/05/25

4号 (絶版)

5号 2005/11/02 〜 2008/01/12

▼ 問題設定についての私感(二) - 2008/08/02

技術開発の世界に身を置いている者としてはこんな感じ方が…。

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@ある定まった位置(現在の自己領域のテーマ)に立って、頭を四方八方へ巡らして何か無いかな、と。

A定点から一時的に踏み出して逍遥(何となくぶらぶら歩き)してみて…

B定点無しに何か、ひょっとして見つかるものがとの獲物を求める意識をもっての彷徨(さまよいうろつき)

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@では、運動暴発的行動なので余程の幸運(セレンディピティー)が無い限り糸口がつかめない。

Aは、気分転換的行動型(犬も歩けば棒に当たる/兎飛び出す木の根っこ)なので、これも又難しい。

Bさまよい中にピンと来る事象に当面したとき、定点を修正するか或は定点を新規に設定するか…。さまよいの運動量は大なれど獲物は大きい。

そこで、気分はAであるが、下心はBでゼミ・技術展・学会・技術・情報NET等を徘徊することに。ことに昨今は、かつて象牙の塔の主であった学者達がPRブースの店頭に立ってのセールス。これには、ポスターあり・プリントあり・丁寧なQ&Aトーク。

これらは、まさにデパート地下食品売場の如く、料理の種類は異なっていてもどれも美味しそう。自己の波長発信しての味見。レスポンス(反射)波長を感じながら脳の中でじっくり、ある時は瞬間的に問題が形作られる。能力開発に関わる知人曰く、それらは一応の技術知識の上に行動力・好奇心・先見能力・企画力がオンしている者のケースですよ…、と。

▼ 問題設定についての私感(一) - 2008/07/19

問題が無ければ答えは出せない。答えを出せる人は賢い。問題を作る人はもっと賢い。問題はどうやって作るのだろう、と。

問題を開発の設定テーマとしたとき、ニーズが目前に差し出されれば設定は簡単。ニーズが漠としている場合は難しい。

意識の面からは、その領域が「空」であると不満の気が生じ、何かで埋め込まなければ、いや埋め込むものがある筈と思ったときに設定。

又、偶然にとんでもない事象・事態・情報に直面して「何故?」と思ったときに。

そして皆が見過ごしていると感じたとき、いや気付いたときに、無から有を創ろう、との意欲の下、白紙の上に独自のコンセプトを画ける能力の人が…。

組織的には、そのコンセプトを掬い上げるMOT体制の存在。

それを公式テーマに組み上げ、仕組みを作って推進できる人の存在。

発生する現象の価値を評価できる人の存在。

そして商品へ結び付けられる人の存在があって問題―答が帰結することに。

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世の中の既に標準とされている事柄を一旦否定してみて、若しそこまでの力量が無いときは、プラスアルファ(色・香・姿・構造・特性など)してみての問題作り。それには五感を総動員して絞込み、かつ若干のセレンディピティーを期待して…、でいかがでしょう。

五次元の証明に挑戦中のMITのリサ・ランドール博士曰く、「真実に向かって、勇気とインスピレーションを持って立ち向かおう」と。

▼ 屋久杉 - 2008/06/21

屋久島の縄文杉に感動した友人、TVの世界遺産紹介番組などに触発されて、旅したいと思うも都合つかず、とりあえず本でもと探すと、『屋久島の山守・千年の仕事』(高田久夫著、草思社、2007.5.1刊)に触れ、大感動。以下、ポイント抽出分。

山師は木を伐って搬出するのが仕事。明治以前は鋸が無いので斧だけで伐る。それも人が抱えて運び出せる寸法に切る。

木の成長は幹で1ミリ/年と遅々たるものなる故に、大木は千年齢以上を屋久杉と称し、千年未満はコスギと呼ぶ。大正11年に森林鉄道が開通した為、大木がどんどん減り、昭和57年に天然木の伐採は一切禁止となった、と。

そこで山師達は生活の為、土埋木(どまいぼく)の掘り出し・搬出を業とするようになった。土埋木とは江戸時代の伐採木の根部・残材を指し、家具材や工芸品用にと。

年に8000ミリの降雨量の島は花崗岩質でお世辞にも肥沃な土壌とは言えない。それだけに植林/苗の植え方は難しいもの、と。

「根の張り方が自然体になるよう植える。実生の苗はきれいに浅く横に根を張る。そして地形に素って根が伸びる。養分がある方向へ根が発達して行く。根は呼吸するので土は厚く覆せない。浅ければ水を吸い上げ、栄養も採り易くなるし、湿度にも和するし、横からの風に強くなる。

千年も経てば、木は長く重いので根が横に拡がっていないと倒れてしまう。白神山地と違って、屋久島は腐葉土層が薄いため、根を横に拡げないと生きられない。大木の根の周辺を人間が踏みつけるのが最も避けなければならないこと」と。

目次からだけでも教訓がいっぱい。

・折れない木はない

・一人で高くなったら風が当たる

・自然を急がせることはできない

・木から木が生える

これだけ予習したので、現地で真の学習になるとこでしょう。

▼ 尊敬する人は誰ですか - 2008/05/30

今時、「あなたの尊敬する人物は誰ですか?」なる質問は入社面接の時ぐらいだろう。でも人は、いつも自己の精神の昂揚に強い影響を与えてくれた人々の存在を感じている。私はかなり多人数に亘るので分類しました。

 国家の命運に立ち向かった人々

・東郷平八郎 - 日露海戦で敵艦隊が南方より北上、日本列島の北か南か、何れのルートを選ぶか、で苦吟。正しく、「皇国の荒廃この一戦にあり」だけに歴史上、か程の厳しい立場に立った例は無い。

・吉田茂 - 終戦後の講和会議にて、単独講和を決断。今日の日本の繁栄の基礎を固めた。

ノーベル平和賞の人々(人類愛に尽くした人々)

マータイ女史・国境なき医師団・マザーテレサ女史・マーチンルーサーキング師

官位なき普通の人々(小市民)

ゴツゴツな手で愚直に働く人々

実際に国・組織・地域・企業など、この種の人たちが支えている。

自分の人生を支えてくれている人々(尊敬よりも敬意、ありがとうの気持ち)

祖先(先祖)・父母・学校の先生方・先輩・友人

義父は洋服仕立て職人で三女の親。戦時中、突然の召集令状。心中いかばかりか。幸運にも復員でき、懸命の仕事でやっとの生活。やがて子達は次々と社会へ。それに比べて昨今の汚職・偽装・談合などの人々の存在は嘆かわしい限り。国際間の事も嘘・欺瞞・故なき非難が横行。その種の人々・国に尊敬できる人が居るのでしょうか。

▼ 表情 - 2008/05/16

人の表情は千変万化。無表情のポーカーフェースから喜怒哀楽まで、個々人の顔面形状に重なっての表情一連続画像を人は認知して判断プロセスへ。

ゲーム大手のセガ社による音声の解析によってアニメキャラクターの表情を自動的に作るソフト開発は泣き笑いなどの複合表情をも表現できるとのこと。

これとは逆に、表情を読み取って音声に変換することが出来れば、三内丸山遺跡の土偶(縄文時代)は死目前の絶叫か、いや祈りの唸りか。  切り抜かれた目の奥に深い暗と冥界を暗示している様にとも思える埴輪(はにわ)の声も聞いてみたい。

又、能面のような、と表現される能面も光の角度と影(陰影)がもたらすアナログ表情を、デジタルソフトで充分に変換しきるだろうか。 光の当て方で、発生音声にどんな変化が生れるのだろうか。

さすれば、能面を三次元画像化しYES/NOの判断テストによるうつ病・統合失調病などの早期発見の精神分析システムも可能となるか…。

歌舞伎の役者が動作、感情の頂点を一瞬止めて、ある形にして表現して印象付ける見得やフェイスペイントのくまどりもこの道にかけてみたいところ。

表情や音声から感情をより正確に解析できれば、その利用範囲は広大。医療分野のみならず、商取引・外交折衝にも威力発揮。果てはポーカーフェースの下にひそむものまで抽出してしまうかも……。 ケイタイの送受信でも、解析ソフトが組み込まれると油断ならない。そうなると防衛的変換ジャミングソフトが出現し、のいたちごっこが。“思うだに、楽しくもあり 恐ろしくもありのソフトかな”。

▼ 合従連衡 - 2008/05/02

類義語に雲集霧散、離合集散などあり、何れも心穏やかならざる響あり。

新聞を開いても、大は国家、中は産業、小は人に関わるくっついたり離れたりの記事多々、産業分野とて、コングロマリット・多角化、その挙句には集中と選択の流れでむりやり離れたり、又、企業の中とて、人の流れは核のまわりに回転、それは業務上のご縁のみならず、地縁・血縁・学校縁などが複雑に作用して、いくつもの渦が生れて、やがてうねりとなる。

そこでふと思い出すのが、わらべうた―花いちもんめ"。勝ってうれしい花いちもんめ/負けて悔しい花いちもんめ/どの子が欲しい/あの子が欲しい/あの子じゃわからん/相談しましょう/そうしましょう。(この歌の真の意味は口減らしの女の子についてのこと)。M&A・合併・提携などいよいよ広く深く進行し、ハイテクFPD(LCD、EL、プラズマ)では眼も離せない程、その動きは速い。ITソフト業界とて同じことを思っていると、アルセロール・ミタル合併で製鉄業界に激震。

人間一人では生きられない様に、企業とて生きる為の、いや生き残る為の策を求めて手段を選ばずの段階へ。総合化学会社が医薬品へと完全衣替え・造船会社がドックを持たずにインフラエンジニアリングへ・ITもハードからソフト専業へ、など少しも珍しい例とは言えない。

合従連衡で規模のみ大きくても内味が薄ければやがては霧散。人も離散の浮き目に。その先、何かが生まれるには、人が先ずは集うこと。そこに和と知恵があれば、それが核となって雲が湧きましょう。そこに更に新しき人や資金が吸い寄せられて行く。

▼  気配り - 2008/04/13

気配りとは、相手の立場を慮ること。英国国王主催の宴席で、ゲストの異国王が、フィンガーボールの水を飲んでしまい、英国側出席者たちは凍り付いてしまった。それを見た英国国王はすかさず同じ様にフィンガーボウルフィンガーボウルの水を飲み事なきを得た、との逸話。今日この頃では、我が身のことで精一杯の人が増えてきたからでしょうか、摩擦状態が随所に発生。それゆえか“気配りコロン”なるオンラインコミックが不作法へのイライラの解消に役立っているとか。企業現役時代、ベンチャーに入社の若人たちへの教育、いや躾という気配りをトップより受けた。今から思えばそんなイロハを、と感ずるも、若し知らざれば肌寒い思い。

・初の海外出張を控えて、急遽一流ホテルでの会食マナー講習会兼壮行会を設営して下さって、東京オリンピック直後とてワインでの食事など、映画の一駒で見ただけに……。

・永年勤続の記念時計が何の手違いか給付されずに。担当部長に問うも、役職ランクが一定以上ゆえに駄目と。それから8年後、何気なしにトップとこんなことありました"と会話したところ、程なく8年前の日付の時計が届けられ、びっくり。

・新製品提案委員会の長を指令されて、約一年の活動の結果、唯の一提案のみ採択、一件とは言え極めて有望な品目とのトップの評定が出て、褒賞台湾旅行。旅行の権利を若き委員たちに譲って喜ばれる。一年後、突然トップより台湾に行かなかったのだね。それでは代りにヨーロッパへ一ヵ月の旅を……"と。

・ゴルフクラブを初めて握った頃、トップ曰くゴルフは紳士のスポーツ。ルールとマナーが命"。コンペには同組で、何くれとなく。洗面台の髪の毛をきれいに拭き取って、を横目に見て改めて、フーッ。

振り返って己は部下に、心が感応する様な慮を発していただろうか。今、悔いています。

▼  爪で拾う - 2008/03/29

慣用句に「爪で拾って箕でこぼす」があり、子供時代に文字通りの体験済み。ムシロから零れ落ちた穀物粒を円念に摘み上げて、やっと箕(竹製のちりとり様)に相当量を集めるも、運搬歩行中つまづいて散乱させてしまって泣きベソ顔になったことが。爪に火を灯すように貯めた銭を、詐欺・投資・紛失・盗難などで失ってしまうことも同じ意味。ニュアンス的に同類句「九仞の功 ― 箕に欠く」も、最後の一盛りの土が無ければ山は完成しない、と。又、「千日の萱を一日で焼く」も他人事とは思えない。経営・管理の面からは、これらが極めて大切なこととして、細心の注意を払いながら本道を着実に進む努力が肝要なること、言を待たない。

物事は、とかく計画通りに遅滞無く進むことは少なく、更には天災・事故も降りかかろうし、次々と困難もが襲ってくるのがむしろ普通(?)と考えておくべき。さりとて細目に拘泥して大局(本道)を見失っては本末転倒。実体験で、化学品製造タンクの付属小管の付着異物が触媒毒となって反応進まず、それまでの中間反応物が全部パーの状態に、の経験も。

1995年の福井県の高速増殖炉「もんじゅ」の熱媒ナトリウム洩れ事故は、どれ程の国家的損害であったか。温度計用さやの一寸した設計不備とか。その結果が何千億円のプラントが死に体に。「上手の手から水が洩れる」なんてレベルとは思えない。年金の記録ミス・有名食品会社の偽装も、そのときはささいなこと、との判断であったろうが、結果は重大。損害莫大・信用は地に落ちたこと当事者たちは反省しているのかな。じっと自分の爪を見つめよ!

▼ 潮流に乗る(二) - 2008/03/14

自動車パワートレイン系への密封剤とそのラインシステムに慣れ、それが馴れに変質してしまうと電機・電子分野の設計変更のスパンの短さには戸惑いが生じ、組織・社員の意識に適正を欠く状況が随所に生じ、同じものさしで計画・管理・評価するという不味さが表面化、昭和40年代 半導体の封止材事業の撤退という悔いを残したことも。 又、ハイテク分野への早期参入などは、経営戦略の下での政策決定で為されること。しかし乍ら担当トップが愚昧かつ保身型なれば、そのことに消極的・否定的となって結果的には為さざるの罪形に。

今をときめく導電性フィルムなどはこの例。とは言ってもバルク型化学品に膾炙している事業体としては精密寸法ものを手懐けるのは少々無理だったか。当時、本業が安定的に推移してくると、精力的(?)トップは多角化と称して食品事業、日用品事業に着手。人的・物的資源を大きく割り振っての注力。いずれも成功域に達せず、キズが広がらぬ内に幸い撤退。事業戦線からもたらされる大量の市場情報も、分類し・拱別し・洞察しの精度悪さも、上級クラスの感性の問題か、とも。 潮流に乗るべく、個々の事業化アイテムは担当長の力量によることが多い。サラリーマン的「長」のケースはジリ貧からやがてボツに、の事例多く見た。

一方事業化が順調に軌道に乗ると、安心感とやがては静かな傲慢の気配が発生。その結果、やがては行き止まりに。上述のことは昭和40〜50年代の話でしたが、マインドとその危うさは今日でも似たようなことかも。「得手に帆揚げての本業の深耕」こそ健全経営の至言かと。

▼ 潮流に乗る(一) - 2008/02/29

ある工業用副資材的ニッチ製品に着目したベンチャー企業の草創期に入った技術者として振り返ってみると、戦後日本の工業の変遷に乗ったものとの感慨。資本もなければ卓越した技術シーズも無い創業者が目を付けた機械補修用化学品のいくつかを足を棒にしてのセールス活動。

やがて自動車産業の興隆と共にパワートレイン系の密封剤、電機産業の発展と共に有機絶縁材料が求められ、当時圧倒的に多かった有機溶剤含有型商品を越えて無溶剤・常温反応性の硬化性液状組成物(接着剤・充填剤・シール剤・絶縁材など)をとの直感(?)から、エポキシ・アクリレート・シリコーンの所謂エンジニアリング用硬化性組成物に注力。 更には、剤(液状製品)では顧客の使い勝手が悪かろうと、顧客の組立ラインで工員の手作業に代わる施工装置(定量吐出装置と吐出ヘッド駆動装置)を併せて納入すれば省力化度で喜ばれ、一方、小部品には予め施工処理(別項No.056『PRE○○』2001/8/24参照)済の形でサービス度を膨らませ、信頼増大へと。

さすればやがて、顧客のニーズ(新規プロジェクト引合・現行技術の改良要求・近辺ニーズの暗示・競合社の動向などなど)関連情報は膨大となり、それらを解析・統合して“明日は何を・・・”が見え始まる。それは潮目と潮流を感じさせ、その結果は潜在ニーズを浮かび上がらせる。それらは研究開発を生産と販売部門の一体的活動があってのこと。 更に付け加えればセレンディピティーの要素も。世に言われている大成功の事例はこの要素に契機づけされていることが多い。 次項(二)では“そうは問屋が卸しません”的のこと、を。

▼ 土地勘 - 2008/02/22

土地勘は、その地域の道路網と交通のあり様を知っている上での行動を指す。研究開発とて自己の専門領域ならば、テーマの設定・進め方に左程遅滞はないものの、専門近接領域の技術項目を組み込まなければ、いや更には遠隔の要素をも相乗させなければ画期的と評価はされまい。さりとて運動暴発は避けるべしと、望遠鏡で高所より眺め観察し、必要なれば偵察隊を放ち、また、そこをよく知る人を引き入れたりの努力は肝要。

幸い今日ではロードマップ・技術書・特許情報・技術展・ゼミなど多様に存するので、迅速かつより適確なスクリーニングは可能であろう。開発部門で商品(技術)FのFX・FXXの設定に際して、顧客からもたらされるニーズ情報は散漫的で、魚で言えば大魚や魚群につながるものは僅少ゆえに、定置網をどこに設けたら、トロール網はどの海域で曳航すればよいのか、がポイント。もの造りの世界では材料加工プロセスが基本要素。何れか一方で新規性が組み込まれないと面白くない。その結果が土地勘の拡大をもたらし、利用範囲の拡大へとのスパイラル上昇が期待できる。

別項(No.56)でPre-○○に触れました。Pre-preg、Pre-form、Pre-mount、Pre-coot、Pre-energy Charge等々のコンセプトを組み込んだ結果、反応性液状オリゴマーの商品が単にバルク(液状)品から、加工品、システム商品と拡大して、殆どリスクを感じない状態でFX品の成功を手にした経験があった。反面、土地勘のない領域に無理手出しの失敗例もあり、苦渋をなめたことも確か。

▼ 廃坑 - 2008/02/08

国家のエネルギー戦略から発して、旧財閥系は傘下に炭鉱を保有、住友赤平・三菱大夕張・三井砂川など・・・。昭和30年代北海道駐在で工業用品のセールスでの巡回で、炭住街の活況と選炭作業による河川の汚れに驚いた記憶あり。それらも石油への転換による影響で次々と廃坑への道を辿る。古城と同じく、廃坑は“夏草や つわものどもが 夢の跡”の感強し。殊に次の2例は哀れを催す。

・北炭夕張 ― 国家政策のスクラップ&ビルドのビルド側に立てるも、昭和56年坑内火災事故で93名の死者を出してしまいアウト。市は観光へと衣替え(石炭博物館・遊園地)するも全国的テーマパーク競争に敗れ、そのあと市民は悲惨。
   ・長崎端島(通称 軍艦島) ― 小さな島に採炭機構と住民施設がずっしり詰まっての完結機能都市。5000人以上の住民を抱えるも、昭和49年閉山、いや、閉島。

一方、運良く、いや、当事者努力で生き延びた事例もあると知れば嬉しい。

・常盤炭坑 ― スクラップの対象となるも、観光で生きようと、炭坑地下水の利用によるリゾート施設を企画。詳しくは映画『フラガール』で知られる温泉リゾート「ハワイアンセンター」。成功に拍手!
   ・釧路コールマイン ― ビルド側に立てるも、コスト・量的問題から、先端技術を装備して自坑を使っての、海外へ門戸を開いた採炭研究センターに活路を見出し、中国・インドネシア・ベトナムなどの研修生受入を。


同じ廃坑とは言え、石見銀山の廃坑エリアが2007年世界遺産に登録のニュースは、輝きを発するもの。聞くに、1526年 山師が“山が光った”と鉱脈発見。以降、最大3万人、40トン/年算出して世界シェアが35%だったと。精錬技術の由来を調べるに、朝鮮伝来で、銀に鉛を加えて動物の骨灰と共に加熱すると、鉛のみ灰に吸着して銀は残る仕組み、とか。

一方、金の廃坑では佐渡金山。1601年に発見され、以来、徳川幕府の財源。平成元年に三菱マテリアル社は採掘中止。2007年廃坑と。かのジェンキンス氏も関連企業で勤務されておられたので、立ち寄り握手。


個人的には卒論が「溶媒抽出による石炭の液化」であっただけに感慨一入。

▼ 宿いろいろ - 2008/01/11

華やかなテレビの旅番組に及ぶべきもないが、昭和30〜40年代の発展途上国・日本の中小企業マンの業務出張でのたびの想い出はまさしく人生の一齣。

広島の宿
 寝台車による初の長距離出張。同期生の下宿に泊まるも、明日の準備で午前様。西日本風朝食の菊菜の味噌汁のおいしかったこと。

房総の宿
 社員旅行で宴会後、胃痙攣の発作。幸い工事部門がトラックにて参加であったので、にわか救急車で病院へ。胃の痛みより、来月に迫った初のヨーロッパ出張が“フイ”にならねばよいがの想いの方が・・・。


万座温泉
 耐酸性浴槽工事で一週間ほど滞在となれば、宿の従業員と同格。サービス業を肌で感じ取るも、反面温泉気分は無し。

大阪桜の宮
 緊急工事で10名ほどの宿泊手配が取れず、やむなく同伴ホテルへ。江戸時代のお局様風造りの部屋。バタンキューで詳細記憶なし。

湯布院
 大分の製油所工事のあと、当時はかなり鄙びた温泉村へ。同行の営業マンは補修工事のセールス中。さすが・・・。

弟子屈・川湯
 別項で記載の原生林に沈む夕日/SLの汽笛ボーボーーッで下車した川湯。案内されたやけに広い部屋、襖の向こうが騒々しい。襖を開ければワーキャーの嬌声。聞けば○○女子薬科大の卒業旅行。鬱の気分がいっぺんに躁へ。


ベルギー・ブラッセル
 社長と共に3人旅。古びた小ホテルの部屋に入って愕然。Wベッド1つ。部屋中央に土管の排気抗。末席の小生は床にゴロ寝。聞けば国際見本市期間中とて、市内のホテルなら上出来とのこと。

オーストリー・ウィーン
 帝国ホテルのスイート。ブラッセルとは様変わり。社長、思うところありと食事の後、長々とお説教アワー。夜の繁華街ブラツキする気分になれず。シェーンブルン宮殿も遠方より一瞥のみ・・・。

米国・ワシントン
 宿泊ホテル内、中華レストランで順番待ち行列中のこと、同行の社員に向かって白人女性曰く“ヘーイ、ボーイ! 早くアレンジせよ”と。一寸考えさせられる一場面。若し逆に同じ発言を女性に発したら・・・。

▼ 次元(二) - 2007/12/21

魂の通過する暗い長いトンネルは異次元への通路か。そのトンネルの径は原子寸法の何億分の一程の極微細孔か。疑問と混沌の渦の中に居ると、今夏(2007.8月)のハーバード大リサ・ランドール博士の講演(於東大小柴記念館)「宇宙の新理論“目に見えないものを求めて”」に大注目(「ワープする宇宙」の著者)。女史によれば核分裂の実験で若干の粒子が突然消えてしまった。一体どこへ行ったのだろう。異次元へ移動したのかも。その消滅確認の実証実験が2008年欧州原子核実験センターで計画され、粒子衝突実験装置で究めんとされている、と。

一方、学会では「超ひも論」なる物質の究極の姿説が根付き始め、それは原子の1025分の一程の超々微細なひも状で固有振動と振動波を有し、この真空中に多量に詰まっている、と。これは単なる思い付きでの論ではなく、4つの力(電磁気力・重力・強い力・弱い力)の大統一理論の有力な領域として発生したもの、と。この論も、とりあえず10次元という多次元空間での振動と。さすれば現世4次元を差し引いて残り6次元は一体何なのか?

一方、カルツア・クライン宇宙論では、この世(4次元の世界)は、10次元の空間の中である種の膜(BRANE WORLD)に貼り付いており、膜を通して素粒子やら重力やらが出入りしているのかも・・・と。

人類はつい何年か前にやっと知り得たのはDNAの超精緻かつ複雑な原子の組合せ機構を知ったばかり。その原子ですら究極の真の姿が掴めていない今、想像を絶する神秘な仕組みに想いを馳せるのは自然の流れ。人類にとって“いのちとその継続”は最大にして最重要テーマですね。

▼ 次元(一) - 2007/12/14

夜の星空を眺めていると宇宙の神秘に気が動く。人類は星が発する光の観測で宇宙を知ろうとしてきたが、光らない物質―暗黒物質(ダークマター)―の探索プロジェクトが、かのカミオカンデの神岡宇宙素粒子研究所で始まった。計算上は宇宙の23%がダークマターで、唯、重力のみで電磁波すら出さないとなると観測はきわめて厄介。それでもこの宇宙は4次元。

既報の数珠考('07.8.3)、宇宙は真空から一瞬にして生まれた('07.7.13)心は生命の波動か('06.7.12)、では生命―宇宙に少し触れました。「もっと知りたい」の気持ちから入門的専門書を漁ったり聴講したり、と。加齢人の為せる技か・・・。人が死を迎えて物質的肉体はやがてリサイクル(?)されて原子の形で残ろうが、元来宿っていた筈の生命と称される存在(もの)はどこに行ったのだろう。暗黒物質に転化しているのだろうか。

30年以上前に米国の「垣間見た死後の世界」論文集に触発され、以降、この種の情報を広く追って眺めて驚いたのは、不思議にも死へのプロセスと構成が極めて類似していることであった。「肉体を離れた魂は病室の天井近くに漂い、何らの感情も無しにベッドと自己の肉体を眺め、壁をすり抜け、病室へ駆け寄る人々の身体をすり抜け、自由に空間を浮遊し、やがて暗く長いトンネルに落ち込み、やがて出口の輝く光に到達し・・・それから・・・。」上述のダークマター検出は、地球の裏側から貫通して到達する素粒子を液体キセノンを満たした直径80cmの球型検出器によるとか。

ひょっとして魂の素粒子(粒形状とは限らないかも)は特定ダークマターであって、この4次元の世では生命体と無生命物が存在する如く、生命機能を持つ、いや、それ自体が生命であるマター(物質状)かも・・・、と。

▼ 人事異動体験(四) - 2007/12/07

シール剤・接着剤・コーティング剤等の製造部門を担当してみて、顧客は缶入り液体をどう使っているのだろうか、上手に塗れているだろうか、塗り残しがあったら、はみ出し分は、どんな道具で・・・等々気になり始めた。

ある時ふと霊感(?)閃き、PRE-COATなるコンセプト発生。早速本部へ提案するも却下の憂目に。直後、大手の顧客から要望発生し、開発部でテーマ化。後年ドル箱に。翌年、提案委員会を任され、1年間の活動で僅かワンテーマ採択。極めて有望とのトップの評価によって、報酬旅行台湾行き。その権利を若き委員に譲ったところ、翌年にトップより、替りにヨーロッパ旅行を、と。

単なる観光旅行は興味なしと思い、JETROより同業者リストを得て、訪問打診受諾の会社10社を巡る。当時は1,280ドルの外貨割当を得てのビジネスツアーへ。3週間の懸命の弥次喜多道中も、帰朝報告を聞いたトップ曰く「我社も大いに海外事業を展開しましょう。海外部を創る。ついては君が責任者。5年以内に米・欧・伯(ブラジル)に法人設立し、工場稼動せよ」と。文献読めても会話さっぱりの小生には晴天の霹靂。逃げる訳にも行かず、発令受理。

それからは業務出張で海外市場が逐次判って来ると、学ぶこと多く、特に生産ラインの省力化・機械化は欧米の方が進んでおり、省力機械部門の新設は、化学品とのシステム・セット販売で他社に先駆けられた次第。又、高分子化学技術も米国が先行しているだけに、学べるところ多々あり。井の中の蛙を避けられた。

全てに苦労と緊張の連続。三大陸工場稼動したところで胃に孔が開いてダウン入院。気が付けば研究所へ転属発令。少々ホッとしたのが本音でした。以下略・・・。

▼ 人事異動体験(三) - 2007/11/30

先行の競争品を追って、試作品を評価機関への提出。幸い高評価得て、受注活動に入るも予定の顧客4社は難色。リーダー的1社の責任者を裏技で口説き、手がかりを掴み、共通技術ネックの存在を知った。ひょんなアイデアから解を得、これを交換材料として発注書を次々と獲得。同年決算は借財清算しても大いなる余りあり。これで材料販売は勢いづく。

次なる矢はと成型物に注目。当時主役のポリエステル系FRPには目もくれず(大企業には敵うすべもなしと)エポキシFRPに素人的着手。幸い化学配管、レーダードームなどで拡大基調へ。絶縁注型材料品の販売で得た知見を基に、コイルモールド事業も開始。当然ながら大手電機会社から4名スカウトしての発足。缶入り商品販売から、成型品販売へと拡大。一方、細々展開の工事部門は先行き暗しの状況。

或日、偶々業界新聞で「シールド工事」の文字、直感的にSEALEDと早とちり。実際はSHIELD。トンネルにSEAL剤を多量に使うと見て、手元の水硬性エポキシを当局に提案。紆余曲折を経て採用に。瓢箪から駒とはこのこと。複数のゼネコンの下、本格的シールド工事へ参入。さすれば工事部強化と言いだしっぺの小生に異動命令。次々と受注のトンネル工区、発電所・製鉄所・製油所などの大型プラントの防食工事、気の休まる暇もなし。休日の理髪店まで追いかけて来る電話(ケイタイの無い時代です)。

エポキシ事業会社が順調に発展・拡大すると、親会社のトップは少々複雑な心境に。企業グループの組織改編がある日突然為され、営業部門は全て親へ、親の生産部門はエポキシ会社へ。そうなると製造部門への異動発令書が自動的に発行された。

▼ 人事異動体験(二) - 2007/11/22

8月に入り、東京本社、上層部のゴタゴタが表面化し、風雲急を告げる事態に。9月には札幌事務所閉鎖も決まったとか。この夏休み中にはと、道内婚前旅行を企て、それも文献持参で。

9月に入ると、Drより、エポキシ製品の新子会社設立を聞き、グッと元気が出てきた。帰京直後の10月1日、町の料理屋広間で新社発会式。40名の大部隊に驚く。聞けば前述のゴタゴタ事件の反乱軍が処分されての新社へ島流し? 営業部門の責任者として年長の営業部長のお歴々を部下に持っての大変さ。何と言っても商品知識をイロハから教える苦労は・・・。何よりも彼等はほとぼり冷めれば元に帰れるとの意識が残っていること。オーナーにしてみれば、3年で軌道に乗らねば廃社・全員解雇を考えていたと、後年判明。

古手社員を相手にしていては埒が明かんと若手のみで動くことに決め、足棒と若さでセールスに邁進。立ち上がり時期はコーティングと接着剤中心での商いで、徐々に市場ニーズの流れが判り出し、一方、エポキシ樹脂の利用可能性について、北海道学習が役立って、将来は明るい事業なること、日々確信できる状況に。とは言っても決算的には厳しい状況に、毎月末の責任者会議では針の蓆。

天は己を助くる人を助く。至るところ清山あり。新入セールスマンが、ある電機会社で検討に入った、競争品エポキシの情報をもたらした。その情報を掘り下げてみると起死回生的宝の山テーマ。新社の全ての能力をこれに注入して受注せんと決意。どうなることやら・・・、なるようになるさ・・・、と。

▼ 人事異動体験(一) - 2007/11/16

サラリーマンならば誰しも当面する事態で形はいろいろ。昇格して他部署へは本人は嬉しいもの。左遷で意気消沈して、新任地への赴任は人生哀し。

偶々、ベンチャーに入社、新設の研究室に配属され、寝食忘れて研究に没頭。程なく大企業の博士(Dr.)が入社。その後、技術担当重役が元部下を引き連れて団体で入社。必然的に、押し出し的に新設の技術サービス課へ。気が付けば同課のメンバー、皆同一大学卆生。何故? 程なく同課廃止の噂あり、櫛の歯が抜けるが如く退社移動。

当方とて気持ち揺らぐところに、件の博士の心配りで札幌技術駐在員として一時的避難人事措置。5月のこととて夏の北海道に惹かれて、婚約者を都に残して北の大地へ。迎えてくれた同期生は亜流でも頑張り中の営業マン。“販売無くして企業なし”の号令を受けてのセールス活動。とは言っても昭和30年代当時の北の大地には、顧客層になるもの造り産業は少なく、機械修理材料のセールスには多難さ極めた。新設の火力発電所は東京本社よりの商品が占領しており、炭坑では新規の商品を検討する姿勢なく、ビート工場訪ねるも、年度整備が完了していたり、と散々。自動車トラック整備場で、やっと100gチューブの注文にありつく有様。夕刻、斜里にて乗った客車と貨車の連結列車は、行商の老姿と若きセールスマン(小生)の2名のみ。原生林の向こうに沈む真っ赤な夕日、ボーーーッとSLの汽笛。

後年に知ったことであるが、団体入社の研究マン2名は同時期米国へ研修旅行に派遣されていた、と。一方、こちらはDrより送られたエポキシ樹脂の文献資料多々持参学習しながらの汽車旅の毎日。これにはDrの思惑が・・・。

▼ 節(せつ) - 2007/11/09

節とは信念のこと。
“我は我なり”は自信からか、頑迷さからか
節を守る人は頼もしく見える。
でも、少々節を曲げませんか、と問われれば
それは己の沽券に関わり、柔弱人と思われたくない、と。
でも、世の中動いています、状況も変化しています。
妥協や迎合を求めている訳ではありません。
節と節とのぶつかり合いだけでは何も生まれません。
一寸曲げてみれば摩擦が減って和が生じ、
やがて全体が円滑に、ついには輝くようになります。
後日、あなたの勇気と賢さが称えられましょう。


地動説は科学の真理に関わること故に“曲げること”は出来ませんでした。

▼ 地球温暖化(序章は終わり第二章へ) - 2007/11/01

地球はヒタヒタと暖まりだした。爆発的人口増加と飽くなき欲望生活のつけ。このつけを償わんと、人々はいろいろ画策すれど欲望には勝てず、つけは膨らむばかり。自分の身に直接的に降りかからない限り、人は目を覚まさない。

地表的には、ゴビ砂漠の黄砂増大/南極大陸上のオゾンホール拡大/東欧の熱波/英国南部60年ぶりの大洪水/北極氷棚の崩壊/南米パタゴニア・エベレスト・グリーンランド・南極・北極海の氷雪融解進行/キリマンジャロ山の氷河消滅、等々限りなく。大都市とて、ヒートアイランド東京/30年間で2℃上昇のロンドン/北京の大渇水/サハラ砂漠の中のトンブクツー町の川が30年で消滅。動植物とて、越冬地が宮城県のマガンが20年後の今、北海道まで北上/長崎キアゲハが三重・静岡でも発見/南方プラクトン北上によるカキの死滅、等々多々。

温暖化が進行すれば、地表温度の上昇に伴う成層圏の寒冷化が進み、大気が不安定になり、雪雨・集中豪雨・地域的少雨・台風大型化等で日常生活は翻弄され、やがては過酷な社会へ、と。


高度成長時代以前の生活経験者として、自然を友とする省エネ型の日常は、茅葺き屋根と障子の天然エアコン型住居、気候変動対応型の重ね衣方式、リユース・リサイクル容易な縫製和服、冷蔵庫不要な湧水利用と保存食の発達(殊に発酵食品)、天然産品(山菜・海草・小魚など)の効率的利用。昔は昔と片付けずに、そこから学ぶべきこと多々ありと私感。いざその時が到来すれば、強いのはこの人たちかも…。

▼ 諫言(かんげん) - 2007/10/26

他人からの忠告・諫言を素直に聞く態度の人は稀有な存在。殊に統治者(国王・政治家・企業家・業界指導者など)の周囲には利得を期待してのゴマスリ人が群がる為に、耳障りな発言者は疎んじられる傾向にある。古代中国では、王は諫言係を近くに侍らせ、事に応じて耳を傾けたと言う。

自身の例、偶々オーナーの側に列していた時、立ち話の折に何気なく以下の提言(忠告との認識はなかったもの)。「主要原料化学品Sの納入はオーナーの親族会社が独占しており、権利関係・情報・価格権限の所在不明等々、将来を想うに不安がある状態と。よって新しい取引関係の構築を考えましょう。ついては現状分析に入りたいのですが…」と。後日、同僚から言われたのは“本項目はアンタッチャブル。触れれば首が飛ぶ”ものと。幸い、関係正常化の作業に入れ、過去の経緯/書簡/覚書/契約書等の整理と解釈と関係部署の意志統一が為され、メーカー/納入会社と当方の3社で新取引契約が合意に。しかし乍ら、メーカー・納入会社側からすれば不愉快なこと。提言者として対外的失礼が在ったとの外交的(?)理由にて、社内的譴責処分を受けて幕引きとなる。後年、自由度が拡がったこの種の原料分野の製品が繁盛しているのを聞き、嬉しい限り。職位が委ねられればそこに責任が発生。一見、自己に不利と思われるものを避けて通る―我関せず―姿勢はその組織体を損なうこと明白。負け上手(?)な諫言係の経験でした。

▼ 想定外 - 2007/10/19

中越沖地震(2007年7月)で、東電柏崎刈羽原子力発電所の損壊で、当事者たちは想定外のことと主張。想定外とは、当初想定していた枠内に納まらないことを指す。若し想定基準が甘ければ、多くが想定外となり、その結果、当事者たちの責任にはならないことになってしまう。我田引水的論法での基準設定は、自己の自由度は広く・高く、責任範囲は狭く低くの心底から発した、自己・組織の本能から発したもの、としか思えない。

人命に関わることについては、「万が一」を、発生は無いだろうとの「億が一」の姿勢ではなく、「百が一」で発生は起こり得る、との前提で取り組むべき。これには、常々謙虚に、耳を大きくそばだて、目を大きく開き、皮膚で風向きを感じられるように、事に当り、予見能力を高めたいもの。悲劇的な結末が出てから、“これは想定外のこと”と言い訳しても後の祭り、不毛なこと、と。原発問題に限らず、交通・治水・衛生・防犯・防災などの当事者の方々、深い留意あれ。全ては国民の幸せの為に。

▼ 人の性格とプラスチック添加剤 - 2007/10/12

人の性格分類方法「エニアグラム」とプラスチック改質用添加剤の特性表示は重複して見える。かなりこじつけ的ですが羅列してみました。

プラスチック添加剤人の性格(シニアグラム)
紫外線吸収剤 ジワジワ迫るUVに身を挺して強烈な自己愛を持ち、楽しさを求めて計画する人、楽観主義者
難熱剤 熱くなってもカッカしない完全でありたい人、他者へは不寛容
発泡剤 熱くなると膨れて泡立ち成功を求める人、うぬぼれ人
帯電防止剤 静電気が溜り難い完全を求め計画するも、自己愛強く他者と折り合わず
滑剤 表面のなめらかさ形成知的で冷静な観察者で知識に執着
カップリング剤 充填剤とのなじみ調和と平和を願う人、他人に合わせる共感力あるも優柔不断
光重合開始剤 光エネルギー受けて反応の引き金特別な存在であろうとする人、感動を求めるも鬱状態に向かい易い
相溶化剤混ざりにくい分子同士をなじませる人の助けになりたい人、よりよい人間関係を築く情熱に富む

昔のむらの名主さんや町の世話役(肝煎・長老)たちは、懐に諸添加物袋を忍ばせ、口まめ手まめ人の為に、事に応じて臨機応変にふりかける能力を持っていたのだろう。今の多くの政治家は発泡型・帯電防止剤的かな、と更なるこじつけを。

▼ 人生は驚きの連続 - 2007/10/05

 驚きは瞬発的なものばかりではない。ジワジワと湧き上がってくる感動的驚きもあるし、不思議に感ずるホワーとした型もあるし、場面・状況によっていろいろ。


R&Dの世界に身を置いていると、他社他機関のスーパー的○○開発品に先ず驚くことが多い。更に、その開発体制を知って驚く。その企画ステップを聞いて驚く。皆、自然体で、自分の頭で考え、自分の責任で、自分の流儀で推進したことに驚き、それらを総合的に認める風潮にあることに驚く。驚きを素直に受け入れれば、次に驚きを与える側に立てよう。驚き(サプライズ)は偶然か必然か。その究極側は人生伴侶の拱択、いや、めぐり逢い。最大最高の驚きごとでしょう。

▼ 誰かが見ている - 2007/09/27

昔、親や先生たちは子たちの悪行の戒めに、よく口にした言葉は四知―天知る地知る人知る子(我)知る―だった。これは中国・十八史略に記述の“賄賂を差し出された高級役人楊震が相手を諭した言葉”で所詮悪事は時間の問題で白日の下に曝されるもの、と。現代社会では複雑な社会の仕組み・法律などの隙間を掻い潜っての不当利益を得んとする輩の数々、医療保険の不正申告・偽装食肉・賄賂・談合入札・強盗・振込め詐欺・性犯罪等々、浜の真砂は尽きるとも世に犯罪の種は尽きまじ、ですね。人間に欲(金銭・性・楽・権力・名誉・・・)がある限り根絶やしは不可と見えるだけに、技術の力で証拠作りに注力し、犯罪は割りに合わないものとの社会認識を確立すること、に集約されるかも。

人は善人であろうとも、組織人になると立場上、判断意識が組織優先となり、結果的には罪の領域に踏み込んでいるのが悩ましいところ。“悪事千里を走る”は逃げ切れることを指しておりませんこと、念の為。

▼ 算額(さんがく) - 2007/09/21

子供の頃、成田山新勝寺の絵馬堂で算額を見、不思議を覚えたもの。普通の絵馬は動物などの絵が多いのに、漢数字と円図形の組合せであった。後年になり、算額の由来を知り、改めて当時の日本人の算数おたく族が神社仏閣に問題や解き方を公に知らしめる為に額奉納と言うパフォーマンスに熱中したことに驚いた次第。

古くは百問答術(1962年)、諸約の法(関孝和 1683年)、四余算法(1697年)など;現存するものは820面に及ぶと言う。江戸時代に日本独自に発展した数学(和算という)は、視覚的な幾何学も含めて拡がり、直接的な金儲けにならないのに円周率への挑戦や微分計算など、頭脳合戦を必死で楽しんだ模様。

そこでふと思ったのは、同時期の西欧でフェルマー氏が本の余白にメモした有名なフェルマーの定理「n≧3の時、Xn+Yn=Znを満たす自然数X・Y・Zは存在しない」が若し関孝和が知ったとしたら、どうだったろうか、と。350年後の1995年、数学者ワイルズ氏等によって、やっと完全証明された位の超難問だったが、1900年にはパリ国際数学者会議でヒルベルト23問題、2000年パリのクレイ数学研究所でミレニアム7問題(賞金100万ドル)など、新規の超々難問題が提示されている。数学会のノーベル賞とも言えるフィールズ賞とも併せて、門外漢にも興味ある頭脳レース。

別項「友愛」(2006.6.23)でも、算数の世界に触れました。いつも感ずるのは、大数学者の脳の仕組みはどうなっているのだろう、と。

▼ お誂え - 2007/09/06

誂え品・オーダーメイドは身装品(服・靴・帽子など)では寸法マッチの理由から広く普及。乗用車とて車体色/内装色/パワー機種等、組合せると何千種になるとか。それは半ばオーダーメイドに近い。

色・寸法変えによるコストアップは販価高につながり、メーカー側がそれを抑制する努力もいろいろ。それにはある程度まで標準品の揃えをし、顧客の要求にフィットする様に、直近の標準品種の僅少修正によって対応する方法―ズボンの裾上げ・ケイタイ電話機の化粧カバー等、本体そのものには手を加えない手法。

しかし乍ら理想は、高価であっても顧客は喜んで(かつやむを得ず)購入する形がメーカーにとっては一番。例えば、耳栓。個々の人によって耳孔の形状・寸法に差あり。よって、シリコーン注型ゴムによる完全フィット型は、当然かなり高価になるも、補聴器装着の方々や、オーディオ愛好家たちは気にならず。又、座席のフィット性とて、コンマ00秒を競うレーシングカーのドライバーにとってみれば、体型(尻形)へのマッチングは絶対要件。となれば車椅子とて同じこと。

“顧客の数だけ品種が必要”と求め続けられるメーカー側は、コストアップを抑える製造方式を考え出すか、コストは二の次として完璧な満足感を顧客に与えるレベルの品を提供出来るか、の時代に入ってきている。一点豪華主義、或は一ポイント豪華主義が蔓延するであろう今後、メーカー側の対応のあり様は興味津々。

“ダブダブズボンにツンツルテンの上着を着て、ロールスロイス級リッチ座席の軽自動車に乗るのが新しいクールと見えるか…。YES or NO?

▼ 仕事のゲーム化 - 2007/08/31

仕事がお祭り並みに楽しければ、と誰しも思うところ。休暇・レジャー・団欒など、楽しき時間は直ぐにタイムアップ。心理的圧迫を求められる仕事は、他から押し付けられたゆえか深刻に。自らが求めての登山は頂上に至るまでは肉体的に辛くとも心は伸びやか、ゆえに楽しいもの。

あるゴルフ好き経営者の下での経験。多くの支店・営業所の販売目標・付加価値・利益・それらの伸展率・新製品の販売高・代金回収率等、約30項に亘っての評価項目設定、月・四半期毎の評価、予選を経て本選に進むと○○支店対△△支店の様なスクラッチ方式。評価項目とて、各々のパーが設定され、当然バーディー・ボギー値範囲も設定される次第。年度末には一堂に会しての大表彰式パーティー、賞状賞金のオンパレード。活動期間中は女子事務員ですら自部署の経営(?)数値を即答できるのには驚き。思うにゲーム化とは言いながらも各事業所の長はストレスの抱え込み大、と推察。所詮、経営トップの経営管理手法の一つか。それでもこの活動に“やり甲斐”と感ずる社員が例え入賞せずとも真の勝利者かも。社員のモチベーション向上による意識改革と社員の一丸化を狙ってのこと。経営者にしてみれば、最終的には決算が全てとなれば、これとて自身のゲーム化なり、と解釈。経営者とて、業界の中で、世界の中で、自社の位置・評価が常に求められているゆえのこと。

“お山の大将”の苦しさは楽しさの前奏曲。社員には・・・?

▼ 日本の子どもたち - 2007/08/24

明治の時代に来日した外国人たちが一様に驚いたことは、“日本は子ども天国だ”と。子どもは大切にされ、教育にも熱心とあるのがその理由。当時のその子どもたちを祖父・祖母とする私たちも同じく大切にされ、戦争の戦禍はあったものの教育の場は欠けることがなかった。殊に家庭での教育―躾が何より大きく、それが後年、日本社会の構成カラーに影響を及ぼしていると感じている。恐縮ながら自身の例を下記。


とは言っても子どもから見れば「禁止事項の多さ」に囲まれていたので、自発性が損なわれていたのに気付いたのは社会に出てからであった。学校標語は『善学善遊』(小学校)→『愛』(中学校)→『質実剛健』(高校)→『真理の探究』(大学)と変遷。

▼ 日本人の感性 - 2007/08/17

日本人の感性についての書籍は多い。その大半は自然との関わりから醸成されたものと。それは、表現の仕方が自然の有様をなぞったものだから。日本人にしてみれば日常的な自然のことでも、外国人にすれば“そんな表現の仕方があったのか”と。“音”の表現でも自然からは、鳥の囀り・流水の音色・波の音・風の音・樹木草になぞらえて。人工的な音ですら、自然の材料を加工して自然に和する様にと鹿威し・笛・太鼓・寺鐘・鈴、果ては水琴窟・能舞台の下に埋め込んだ音響用かめなど。その究極は僧侶の読経か。文章、意味判らずとも、有難くも居眠りを誘う波長が、いつの間にか独特の感性を育んでいるのかも。

色とても、季節に重ねての表現。緋色(巫女さんの袴・緋毛せんなど)は際立ちと華やぎ。翠(みどり)・杜若色(あやめ)・向日葵(ひまわり)・枯葉(11月)など、植物の微妙な色合いを借用する例、多々。不思議にも、これらの音・色も一度でも見たり聞いたりしない限りは百万文字、千万言を費やしても決して表現できない。幸い、日本にははっきりした四季があり、山・川・海が複雑に在り、多地域のそれぞれに独自の文化・習慣が発達・発展したので、微妙・繊細なものを形容詞化する傾向が強まったのではなかろうか。

尤も現代では、色とてインクジェットによる発色が100万色を超えるとか。音とて音声波長分析によって、かなりの事まで判るとの事。一方、“騒音”と言う音も産み出され、「悪貨は良貨を駆逐する」如き状況が頻発。そんなときには静音代表の仏壇の“チーン”が感性にマッチ。

▼ 数珠・私事考 - 2007/08/07

別項の数珠考で触れた、珠と珠とを繋ぐ紐は、人々との関わりを表し、親族・縁族は言うに及ばず、教師・学友・地域社会の方々より成っていると。殊に職業の場の紐は太く、それは次なる珠との相関は最強のものと思える。以下、私的経験の紐、いや、ロープ例。

  1. ひょんなことから海外部門設立に関わり、協力の大手商社訪問時、偶々隣接ビルに会社顧問氏のご子息経営の技術情報サービス企業ありと知り、立ち寄る。その場で紹介されたのが大手化学会社のU氏。少々のトークでヨーロッパプロなること知り、驚く。
  2. U氏の勧誘で異業種の技術交流会に参加。極めて熱心且つ和やかな多くのメンバーと知己に。又、例会講師に大学後輩が現れたのにも新鮮な思いを。
  3. 異業種分野、故にプラント・光学・大型機械・繊維・公立研究機関・大学教授(経営)・電機など広範囲に亘り、全てが“目から鱗”級の楽しさ。
  4. その後、メンバーの移動(退会・新規参入)などあり、バックアップ組織の変動等もあって三転し、今日、小世帯ながらも会は勉強会のみならず新規事業発案推進型に変身中。自身が主役のテーマも一つ。
  5. 事情あって退会されたメンバーとの個人的つながりで維持発展するケースも多く、珠を産み出す紐―ご縁―は多彩になっている。
    • 本出会い欄のPPi社との関わりもこれより・・・。
    • 国際企業の動きに関わる啓発をK教授より。
    • 広範囲に亘る化学技術先端情報をN博士より。(同氏はその後KAST初代専務理事に。)
    • マクロエンジニアリングの有様を示してくれたY博士  などなど

借り(受取量)のみで貸し(?)がありませんでした。別の方々に出荷をしなければ申し訳ないとの思いある今日。

▼ 数珠考 - 2007/08/03

後醍醐天皇より賜ったとされる知恩院の巨大な数珠(110m、320kg)に驚くと共に、これが数珠の始まりとも知った。念仏を唱えながら数珠を一つずつ“つまぐることは心を静め/災いを除き/事を正しい方へ向けさせる”との仏様の説法を聴いている心の姿勢を表したもの。従って合掌しながら怒ることも出来ないし、数珠を繰りながら悪を謀ることも出来ないのは明白。

数珠は珠とそれを連結する貫通ひもからなるシンプルな構造・形なるも、それだけに何かしら秘めたるものを感じさせる道具(?)で、人それぞれ感じ方がありましょう。珠は人生での生ずる種々の出来事、ひもは次なる珠への誘導準備期間(時間)と。一見、それは単なるひも(紐)と見えるも、細線の縒り糸の束から成って、更に拡大して見れば個々の細線はミニ数珠の構造をとり、更にそのミニ細線はナノ数珠から成るという具合に限りなく形の繰り返しで、あたかも宇宙―原子・素子の仕組みに重なる。偶々数珠の形で人の手に触れるよう現出して来たものとしか思えない。珠と珠の間隔は年・月・日・時間・秒・マイクロ秒・・・と多段に折り込まれ、一つのある事象(珠)が次なる事象を産み出す仕組みかと。衆(俗人)が数珠を手繰るのは単に現世のご利益を願っての行為のみにあらず、生命の根本に触れんとする自然の行動かとも。

「人生=数珠論」何か因果応報論と重なるようであるし、そうでない様な気もするし・・・。この種のことは大先達たちの説法が助けになることでしょう。

▼ あ・うん の呼吸 - 2007/07/23

共同作業に於いて、円滑に進行する為には不可欠の要素が、あ・うん。スポーツの世界では(個人競技除く)、極めて重要な要素で成績・成果に直結するもの。サッカーのパス回し、アシストとシュート。野球の盗塁阻止・ダブルプレー。シンクロナイズドスイミング。テニスや卓球のダブルス等、随時・随所に求められる。

又、芸能分野とてスポーツに劣らず高度に求められている。その中で最も印象にあるのが文楽の人形使い鑑賞会では人形しか見えなく、操作の3名は黒面布黒装束でありながら、且つ人形の倍もある身体なのに、その存在が感じられなくなってしまったことに驚く。人形の首と右手の係・左手の係・足の係の3名が義太夫の音曲に意気を合わせ、人形に生と感情(情念)を吹き込ませる様は、まさにあ・うんの呼吸の精粋と。に於いても、眼部位に小孔のみの能面を付ければ極めて視野が狭まり、相方(相手方)との演技・舞の調子合わせも至難。唯々あ・うん度を高めるのみ。

会社活動でこんなことがありました。同業他社に先んずられた実装用絶縁材料は、営業部門での緊急調査によって当局では仮採用レベルで最終確定ではないこと判明。開発部では超特急で要求仕様に合致する試作品準備と認定評価機関へのテスト依頼、生産部門での量産体制準備、トップは顧客上層部への根回し、営業部門は予定顧客(4社)の状況(組織・担当部署・責任者・現場担当者・他社侵入度合など)把握。組織連繋プレーに個は無く、有るのはチームのみ。混然一体の結果は逆転満塁ホームラン。そしてゲームセット(4社より独占受注成功)。40年以上も前のことでした。

▼ 風 風 (フー フー) - 2007/07/20

人は 生きる時、風に囲まれ 風に染まって
雨ニモマケズ 風ニモマケズ と風に乗る人
いや、明日は明日の風が吹くから、と風に吹かれて風まかせ
でも、風の囁きは 無心の境地のこころ風
されど、天上大風と無風のせめぎが現代風
よくよく見れば 風にも イロイロ
光る風 薫る風 すきま風
やっと掴んだ追い風に 乗って風っ子
その子もやがては 風の旅人
熱き風に触れての職人風や学者風
そして 風の軌跡に沿っての風太郎
  いつも 風(フー)風(フー)・・・と


こんな風が吹きました

「沢山の困難が有り、人は拠りどころを求めるが、形の有るものでは満たされない。光や風・先祖など、目に見えないものに支えを見つけた時、人は一人で立っていけるのだと思う」(第60回カンヌ国際映画祭 グランプリ受賞 河瀬直美監督)

「私のお墓の前で泣かないで下さい、そこに 私はいません 眠ってなんかいません 千の風になって 千の風になって あの大きな空を吹きわたっています」(新井満 日本語詞・作曲)

▼宇宙は真空から一瞬にして生まれた - 2007/07/13

時たま、宇宙の成り立ちとその不思議さに触れたくなる。素人ゆえにカラー絵付きの解説本を眺めると、天文学者が中心と思われるが、原子物理学・数学・理学・生物・・・など、諸分野の人々が渾然一体となっての研究。

宇宙は何も無い真空より生まれた、と。禅問答にあらず、量子論的には粒子がエネルギーゼロ地点で揺らいでいる物理学的真空では量子は存在―非存在の間を揺れ動いているとか。その伝で言えば空間ですら非存在になるとか。それは言わば異次元の移動時のトンネル効果のなせる業と。ど素人にしてみれば、エザキダイオードのトンネル効果・生から仮死への移動時に通過する暗く長いトンネル・小説『雪国』の“国境の長いトンネルを抜けると雪であった”的かなと。

この世は4次元(3次元+時間元)なれど時空は10次元。さすれば差引き6次元は何なのだろう。それは超ヒモ論で10-35mの振動するひもに織りたたまれている、と。いよいよ判らない。ふと思ったのは、肉体に宿る魂は、どんな風に寄宿しているのだろう。靄状の波動網目が肉体内部を付かず離れず絡み付いているのか。肉体的死に際して6次元の世界に移動し、千の風となって元の肉体の中へも吹き渡ってくるのか・・・。神が存在するなら6次元の主か。いや、それを超越した10次元の創造主か。俗人から見れば、斯程の仕組みが大自然的に生まれるとは思えないし・・・。

“我思う、故に我在り”とするならば、この4次元の世界も仮― 一時的な存在とは思えず。では、その先は・・・、判りません。科学技術と宗教の接点を扱った映画『コンタクト』に重ねて空想してしまう有様。大先生方、頑張って真理の仕組みに迫って教えて下さい。

▼技術の伝承 - 2007/07/09

少子高齢化に伴う人材不足の懸念が技術立国日本にヒタヒタと迫る中、暗黙知の伝承こそが白眉の急。暗黙知とは、心身に刻み込まれている経験や勘に基づくノウハウ・こつ・ものの見方・考え方などを指し、表現し難いながらも何故かうまく出来てしまうこと。これらをIT技術を駆使して形式知に表現出来れば、後継者への伝承も効果的に進むであろうとベテランの技量を文字・図表・映像等に変換する活動が増えている。将来的にはロボットへの高度なティーチインも考えられる。個人の技としては工業分野のみならず、舞踊・音楽・芸術(古典・能・歌舞伎など)の分野でも、若年より身体で覚えさせなければと家元制度などでその維持が計られてきたが、形式知への転換が進めばかなり効率的になってくるかも。(特定の暗黙知が存在するからこそ家元制度が成立しているとなれば、形式知化には反対するかも。)一方、個人のみならず組織体に於いても、暗黙知が多々存在しており、殊に経営者・上級幹部ではものの見方・考え方が経営思想の伝承に於いて極めて大切な要素であることは言うまでもない。

指触のみでミクロン級凹凸の有無を感じ取るプレス鋼板検査マン
ミクロン級の曲面レンズ研削工
ミクロン級の基板表面のケガキ工 など

いかにそれらのコツを形式知に変換するのが難しいことか察せられる。それだけにその変換技術のコツ自体が又暗黙知であろう。何れにせよ、内部的には形式知化を推進しても、対外的には暗黙知の衣を着せておくこと肝要と私考。価値を生み出す大源泉は暗黙知だから。

▼ものは言い様(二) - 2007/06/29

討論では、相互の「かみ合い」が大切。「かみ合い」は掴み合いではなく、議論(テーマ)を理解している上での各自の意見出し。故に例えばサッカーの話にラグビーのルールを持ち出せば可笑しなことになるし、我説こそ唯我独尊と他者の指摘を受け付けずに肩越しにかわしてしまい、負けない為の悪しきテクニックで重装備する者からは、人々はやがて離れてしまうことになる。そのテクニックとは、相手の発言を分析して弱点らしい部分のみつまみ上げて叩き、自分の論にはめ込んで珍妙さを表現したり、反論には短い単語で切返し、更には自分が回答し難い質問には焦点をズラして逃れてしまう芸(?)能力のこと。

本来、日本人の感性として、行間(余白)を読み楽しんだり、言葉の裏の意味を知ったり、果ては相手の心の声を感じ取ろうとする特性がある。それゆえ、相手を「自論」で捩伏せ、一見勝った様に見えても、それは真の勝利とは言えない。科学技術などの真理を求めての討論なれば、他者否定の発言は往々にして見受けられるも、それとて他者と関わり合う会話に於いてはものは言い様、先ず他を尊重する人であれ、と。皆が一応の満足(ハッピー)感が生まれて、全員勝利を目指すことこそ真の討論と。実のある結論が得られるには、感性・知性に加えて品性が求められよう。

でも、現実に直面するテクニック重装備マンには、こちらも少々装備したらと、角が立たないアドバイスを思い出した次第。 ―とぼけもします・おだてにものります・だまされもします―と。

▼ものは言い様(一) - 2007/06/22

若し、討論で「今の君の発言は全く駄目。そこには何らの思想も策も見当たらない。こんなレベルでは話にならないね・・・」と浴びせかけられたら、どう感じますか。人は優しさ・協調・援助・励ましなどに触れると、それに感応して更に成長するもの。ややもすれば、自説自論を強調するあまり他説には批判のみで耳を貸さない輩が多い。

討論は「実現の可能性や重要性・効果性などの観点から出たアイデアや発言を評価する」ことにある。その線に沿えば「成程、そういう見方も在るのだね。ところでこういう角度からの策が求められている現在、君の様な独特の完成からの案はないだろうか・・・。案としてはこんな○○も考えられそうだが・・・」と。素人的・未確定的な一歩引いた態度で相手の波長に同調を求めるスタイルが角が立たない丸い言い方かと。強圧的に相手を決め付けると、相手側も人格否定・自尊心から素直に聞く気持ちになれない。

そもそも日本語の会話のあり様は、相手を思い計って、を前提にして組み立てられている。そこには尊敬語・謙譲語・丁寧語が多様に組込まれる結果、難解に。NOでも遠回しに、他の副詞・形容詞で覆ってしまうゆえ、慣れない外国人は戸惑うことに。典型的な例は「結構です」。NOが主体ですが、日本人ですら判り難い。だからと言って遮二無二チーズをナイフで切り分ける如きYES-NOの峻別よりも、日本ではこんにゃくを指先でちぎって調理する方が遥かに口当たりがよいと思われますが。

でも、どこからか声がしている様―「そんな考え方はグローバル時代に沿わない! とても付き合い切れないよ、サヨナラ。」と・・・。

▼ 2007/ 06/ 15

商品クレーム

商品クレームはそのメーカーにとっては痛切な問題。最近でも、自動車のシャフト強度不足、ハブ脱輪事故、石油ストーブの継手部欠陥、PC電池の出火、等々、経営の屋台骨に打撃となる程。その原因は開発設計部門にあったのか、いや生産部門での甘さが・・・・・。何れの例もクレーム発生前では思いもよらないことが、発生後に改めて気付かされる次第。過去にエンジニアリング用接着・シール剤の開発と生産に携わっていた者だけに、その痛みは理解できる。自己の20〜30年前の苦い体験のいくつかを・・・・・、

設計・研究開発部門では"そこ迄は考えが及ばないよ・・・・・"と。製造部門では"指示通りにしたんだが・・・・・。"と。

問題は、原材料の精度/製造工程の高低/注意力の有無/化学品の特質への理解不足/環境要素・・・等々 山程ある如く、問題(クレーム)発生の悪魔は至るところで牙を剥いている。安住のツケは年一回の決算では納まらず、企業としての信用に関わってくる。結局は経営陣の姿勢と力量に関わっていることと思いますが・・・・・。

▼ 2007/ 06/ 08

食べるに苦労

団塊世代の人たち自身は過酷な貧食の認識はなかった代わりに、その親たちは食料の入手には筆舌し尽くし難い苦労があった。一方、戦前・戦中に学童期の子どもたちは、食への欲求の想いが今でも鮮明に残っているようだ。戦前、時局緊迫と共に、白米飯が五分搗(づき)米へ、更には雑穀(粟・ヒエ・コーリャンなど)が混ぜられ、やがて急造の畑からの南瓜・甘藷が加えられた雑炊に。そうなると腹ベコ子どもたちは山野畑の自然の恵みを勝手収穫―柿・桑の実・トマト・山苺・あけび…。生家は沼畔に在れば、動物性蛋白は沼の小魚類・卵、時々蝮(まむし)や蜂の子。魚の行商来たるも時々の楽しみ。醸造業ゆえに業務用米・甘味料グルコース・麦などの配給ストックあれど、自家用では消費せず、生真面目な明治生まれの親たち。それでも乞食が見えれば、味噌塗りおむすびをさりげなく提供する優しさも。現代では美食や満腹の為のファーストフード・学校給食など当たり前でも、当時にすれば食は命の基。稀にではあったが、帰宅すると母が嬉しそうに「今日はホワイト」とささやく。ホワイトとは白米の勝手隠語。

昨今のアフリカ・北朝鮮の飢餓ニュースに触れる度、上述の経験に重ねてしまう悲しさ。人々が飢えるのは政治の責任と改めて認識。でも、いつのまにかそんな政府を作ってしまった国民の責任がその底辺にあることも要認識。人の親として子たちの飢えを見るのが一番辛い。それだけに日本国の「食」の安全保障は大丈夫だろうか、とふと気になった。大豆輸出ストップ事件の印象が未だに尾を引いている。それにしても、今のダイエット・健康ブームゆえか、雑穀が米より高価とは皮肉なものですね。

▼ 2007/ 06/ 01

時報

今では誰でも時刻を知るのは簡単。腕時計・ケイタイ電話・街中の時刻ディスプレーなど。これらが普及する以前、戦前・戦中の農民は頼りの寺鐘も、金属類の国家供出で聞くことが出来ず不便であった。生家は小部落の内。朝・昼・夕に拍子木で元気よくチャンチャンチャン・・・と打ち鳴らし(子供達の役目)て家族全員のみならず近隣の人々へも時を告げたもの。本来は寺鐘(梵鐘一口径1尺8寸以上)で告げるべきもの、さりとて半鐘(火事などで利用)でという訳には行かない。鐘ではなく太鼓ではと眺むると、中国北京の「鼓楼」が明〜清の時代に亘って大太鼓10基以上並べての時鐘ならぬ時鼓。時の皇帝の「時間を手に入れたものが人々の思想を支配する」との発想からとか。一方、イスラム圏では、モスクの塔からのアザーン(1日5回の礼拝(サラート)の時を告げる人声)が時計代わり。

さて、企業人となれば、始業時刻の認識が大切。単に知っているだけでは不十分。始業時刻を車の運転に例えれば、そのレベルはいろいろ。

それでは、終業時はベルと共に颯と退社ですか。それにもレベルがあると思いますが…。生産性を考えると、一瞬の鐘の音・ベルの響きにも意味・価値がある筈と。

▼ 2007/ 05/ 25

下拵え

何事にも、本番前の下拵したごしらえが肝要なること言う迄もない。料理とて、アク抜き・塩出し・湯むきなど丁寧にやる程、美味しく仕上るし、更には下味のつけ方で仕上味も変ろうと言うもの。旅とて同じく、欧州進出を念頭にした初めての海外出張の準備は、現地訪問会社との書輸のやりとりで、昭和40年頃とは言え、何ヶ月もの下拵え期間となってしまったが、備えあれば憂いなし、であった。

また、下準備不十分にて円滑さを欠いた苦い経験もいくつか・・・・・。

某大会社での緊急の責任補修工事に於て、必要な工具一点を持参しなかった(チェックリスト洩れ)為に、工事区域に入構出来ず、工期がずれてしまったこと。会議室の準備チェックが為されなかった為、来客時ホワイトボードには前会議者たちの文字が溢れ、それも○○○クレーム対策のタイトルが・・・・・。

とは言うものの、冒頭の料理の如く、これを化学品と見たとき、下拵えプロセスそのものが事業になるのは面白い。即ちマスターバッチ(Master Batch)。顧客が使い易いように加工度を一寸上げて提供しましょうとの思想。例えば、ゴム成型に於て用いられる薬品類は粉体が多く、分散性を向上させたり、粉塵ふんじんや臭気の問題をあらかじめ消しておこうと、EPDMやEVAなどと予め混練りしておく予備分散処理が難しいので、特殊界面活性剤処理したり、イオン性液体で膨潤させたりと工夫の数々。

今の時代、顧客は"上げ膳・据え膳"をのぞむもの、そこに事業のヒントが大きくひそんでいるかも。その見方で行けばOEM(Original Equipment Manufacturing:他社ブランド製品製造企業)なんて究極の下拵えものか・・・・・。

▼ 2007/ 05/ 18

闇(三)横取り

成果の他国からの横取り、企業が個人から取り上げ、個人的横取り、などスタイルいろいろ。知的財産権(特許、商標など)の侵害も横取りの一種。別項「その時は蚊帳の外」(2004.04.01)は当人にすれば"とんびに油揚をとられる"の形。企業の競争が激しくなり、それにつれて企業内での成果主義が蔓延まんえんしてくると、静かに巧妙に横取りが始まる。その結果は、情報・アイデア等はふところしまい込み、個人的成績になる様に仕立てる。

こんな事件?がありました。海外子会社の技術マンとのトークの"或種の化学物質が重合助触媒の可能性が・・・・・"がまだ記憶の中に在るうちに、日本の研究所より同じ技術方式での特許出願が為されようとしていた。そこで調べてみると、可能性の教示・サンプル送付等は海外同氏から為されていることが判り、発明者の欄に同氏と付加する様措置した次第。

ややもすると、研究開発段階で、直接的に触れた関係者のみが、その技術の主役と映るが、"駕籠かごに乗る人かつぐ人・・・"の如く、回りに絡む人々が居ること忘れてはならない。

蛋白質にレーザーを照射してイオン化するときに壊れない工夫をしたのが島津製作所の田中耕一氏のノーベル賞。独国人の蛋白質分析技術者のみが受賞とあったところ選考委員の徹底調査で真の技術は田中氏から発せられたものと判明したとのこと。

又、技術成果の対価と言う面では、個人主義の強い米国では雇用契約の際、発明対価の請求権の放棄を、ドイツでは20万円迄と、英国では規約すら無いと。一寸に落ちなかったが、ふと思ったのは、プライドが立つ形の方がずーっと大切と。プライド・品格が横取り精神を吹き消してしまうのか、と。

▼ 2007/ 05/ 08

闇(二)ひたひたと

官公庁の汚職と異なり、民間企業は経営 - 付加価値 - 年度目標管理の宿命から数字に縛られている。組織体の維持上、やむを得ずの闇への接触は有るかも知れないが、法の下、白であることが強く求められるのは当然。それでも本音と建前を使い分けするのは国民性か。悪人は善人を簡単にだませるが、善人は悪人を簡単には導けない。深く静かに潜航する権謀術数に対して、正義・誠実・愚直で対抗出来るのか。

▼ 2007/ 04/ 24

闇(一)購買に関わるケース

物の怪は闇に潜む、と言う。その闇を覗く。光の中に居る側からは闇は見えない。宗教人なら、光のみで本来闇なんてものは無い、と言う。闇を知るには闇の中に入らないと駄目か、いや特別の眼力があれば見えるのか。現実の世界(世俗)の中では、光の中に闇がすきあらば押し寄せてくる。企業の中に長年身を置くと種々の闇が足下からひたひたと迫って・・・・・。

[もの造りの場で]

日本人は、清廉潔白せいれんけっぱくたっとし、としていた筈。侍はいさぎよさが身上の筈。

▼ 2007/ 04/ 17

微笑(ほほえみ)

人がもっともいやされるのがほほえみを投げかけられること。世界三大微笑はモナリザ・スフィンクス・弥勒菩薩半跏思惟像みろくぼさつはんかしゆいぞう(京都・広隆寺)とか。微笑は感情表現。その表情認知を科学的にと、日本では音響情報研究会などでカテゴリー性の検討など為された。アムステルダム大学/イリノイ大学協同でモナリザを感情認知機にかけたところ幸せの感情から来たもの83%と。但しソフト自体が微妙感情認識のプログラムが含まれていないから科学性に乏しいものと。

ほほえみ表情で抜群は、睡眠中にニッと笑う新生児の情動は母親たちにはモナリザの比ではない。とは言っても最新研究の結果、新生児の不快によるもの、2ヶ月後の外界への「快」、3ヶ月で「欲求不満」、4ヶ月で「笑い」、7ヶ月で「怒り・喜び」が出て来ると。 ニッにもグレードがあると言うことか。人にとって目前の笑みからの独特の波動(波長?)による誘発効果は、波動・同調(触媒効果)に加えて音・香り・色彩(感応促進剤)に増幅されるとなると仏壇へのお参りと同類か。ほほえみは慈愛じあい 、それは肉親・家族・親族・友人たちからの発信とするとき、その伝播力は強く、周囲にっと拡がる。皆、仏様の代理人と思える程。何事も包容してくれる安心立命感の空気。愛読書のスウェン・ヘディン著「さまよえる湖」に出て来る楼蘭ローランの美女ミイラの表情の穏やかな微笑は家族への想いと感謝の念であったろう。

いつも感心するのは、英国人は辛い環境に置かれても独特のジョークで笑いリラックスして乗り切ってしまう国民性は今日の日本人にはまだ無理か。せめてハイテク機器と革新的ソフトによる某国の微笑外交官の表情分析によって本心を解析してもらいたいもの。

▼ 2007/ 04/ 10

ある転職

昭和が平成に変った頃、新設の米国研究所の開発管理者を募集したところ、最大のライバル社の部長クラスの応募あり、型通りの書類審査・面接を経て、能力・技術経歴・給与面で問題なく、人物的にも違和感を覚えなかったので採用内定とした。それでも雇用に関わる米国の法令にマッチングするか(日本ならば何ら問題にならない)とふと、気になり、念の為契約しているファーム(法律事務所)にチェックを依頼。その結果、判明したのは「同氏の雇用条件に、同業他社への転職には一定の付帯条件の存在、と会社の同意なくして転職は不可」と。反すればその場合当社も訴訟の対象になり得ると。更に判明したのは「同氏が同業他社への転職を同社が拒否した場合の補償として、年収の30%を5ヶ年支払うこと」と。案の定同社は当社の申し入れに対して No との回答。その後、同人は高分子分野乍ら異種商品の企業に転職したとの噂。あの面接から数年経た時のある専門学会で偶然同氏と会い名刷を見るとズバリ同業種。

このストーリーを知人に話すと「米国では訴訟にならないように弁護士を上手に使はざるを得ないのですよ」と。とは言っても当節M&Aで業種・領域が混沌こんとん状態にあるとどこ迄がライバルなのかの線引きも難しいのではないのか。今にして思うに、ひょっとして映画"羅生門"(原作・芥川龍之介のやぶの中)、真実は何処辺にありや、それぞれの立場によって見方・とらえ方が異なる形か。本人/同社/当社/法律事務所。うまく本人によってダシにされたとは思いたくない・・・・・が。

▼ 2007/ 04/ 04

サポーター

文字通り支援者のこと。支援者いろいろ。金銭面、労力面、智恵・経験面など支援内容もさまざま。表舞台に立っている人を支える人の顔は普通は見えない。裏方・黒子の姿。"駕籠かごに乗る人かつぐ人その又草鞋わらじをつくる人"の乗る人以外がサポーター。

スポーツの世界になると、フィールド整備・合宿場・スコア係・近隣の人々など驚く程の裏方たちが顧客という裏方サポーターと一体となっている。東欧の新体操には技術指導(コーチ)に理学療法士・医師・栄養士などがリンクしてサポートしているのが強さの秘密とか。又、パラリンピックのボランティアによる花いっぱい運動なども裏方に劣らない「芸」と言えよう。裏方にはなかなかマル点が付いてこない(サッカーにはベストサポーター賞があるとか)宿命?がある。捕手のリードに支えられる投手、サッカーのアシストボール、など。それにしても強さの秘密はどこにあるのか、ケニアの陸上・日本女子柔道・日本女子レスリング・韓国女子プロゴルフ・オーストリア アルペンスキーなど、裏方たちの真の力の程を評価できていないのではないか、と。スポーツに限らず、数多くのプロジェクトXドキュメントでは脇役・裏方たちがむしろ主役(表方)と映ること多くあったり、薬剤の開発とて一日千秋のおもうでそれを待っている患者の存在が、飲料水に悩む離島の人々への強い思いが淡水化装置の研究を推し進めたり、列車運行の効率性と安全性の両立に心血を注ぐ罫線けいせん屋の存在。

物事の進行とその成就には極めて多くの見えない力が作用していること言う迄もない。その最大の力は家族の力。よって何事にも陰の力を感じ、謝し、讃える心を持っていたいものです。

▼ 2007/ 03/ 27

日本よいとこ

人は他から認められたい・められたいの気持ちが心の奥底にはあるもの。良薬は口に苦しと言っても、評論家たちの辛口コメントには抵抗感を覚えるのが普通。認められれば、もっと伸ばそうと努力する一方、あまりに厳しく足らざるを指摘されると反感も生じてくる。日本人は他人・殊に外国人がどう日本を見ているか、を非常に気にする民族。筆者もその一員とて、その種の情報を好んで見る。


"外の目"による自己の内なる目を見つめ直す、には格好の情報、それも気分よく。ここで筆者の是非なる希望は、多くの外国人にTV番組"突撃隣の晩ごはん"を。アポイントなしで鍵なし住宅に夕方突如台所に乱入。2・3世代家族の姿とお惣菜の数々。これに笑顔と笑い声が混じって、これこそクールジャパン!

▼ 2007/ 03/ 20

時の氏神

"時の氏神"とは丁度良いタイミングで助けてくれる人のことを指す。かの黒澤明監督曰く、"僕の人生には時々、時の氏神が現れるようだ。"だから・・・・・と。筆者にも不思議に何回も現れて、気がつけば事が良き方向に展開していたものだった。


"至るところ神はおはします"、のがユビキタス。それは情報 - 電波情報。時の氏神は生の人神、その神がもたらす情報も生。それは時の禍神(まがかみ)に逢はないようにとのアドバイスもくれる神。

▼ 2007/ 03/ 12

材料開発と先取り

材料開発者として数多くの失敗(経験の積み重ねと言うべきか)と少々の成功を味わった者として、そこから学んだ教訓は数多い。

「素材を材料に仕立てて、更に部材に育てるには・・・・・」の命題はいつも、何事にも絡んでくるものであった。さすれば次の心根を持って・・・・・


先見とは他に先んずる洞察を指し、二番煎じは香味(利益)に乏しい。柳の木にどぜうは二匹いない、と言はれるが、網種を変えれば別の魚が獲れるかも、先見はロードマップを見れば判るのか、人が教えてくれるのか?

情報は誰もが見るもの、接しられるもの。その中から自己に問はれるものを選択し、吟味するのが普通。人は意識的・無意識的にキーワードを持っている。そして、

▼ 2007/ 03/ 06

教育(個人的体験二)

学校でのいじめ問題がクローズアップされている。小学4年の頃に理由もなく?集団いじめに遭い、母と共にリーダー(餓鬼大将)宅へ行き再発ない様にとの要請した体験。一方、同級生の身体的特徴を故意にはやしたてたいじめ側に居たことも思い浮かぶ。あの当時は何故か深刻な状態に至らなかったのは幸ひ。授業面では、小学校低学年時代に「数字の1や2は点ですか量ですか」との意味の質問に先生曰く「1は1だ、2は2だーっ。とにかくそのように覚えよ」と。中学に入ると「金属の中の電気が流れるとは具体的に・・・・・」との質問に先生曰く「電子が流れる方向の反対に電気が流れると覚えよ」と。何れもさっぱり不明。上述の教師の一言によって一時期その課目が嫌いになってしまった記憶。その一言が生徒の人生の進路に重大な影響を与えかねない。 子は親を選べない様に、教師をも選べない。その教師の能力・経験・情熱・人生観に児童は影響されるもの。私自身、小学5年時、子供心にも人格を感じさせる担任にめぐり逢い、学業にめざめた時期と記憶している。実社会に出てみれば、実にいろいろな人達が居ることを知るべし。

現実は、ビジネスでも何れの職種でも或る種の戦場・修羅場の連続。次々と襲いかかる状況の変化にどう対応したらよいか、その心と技価を身につける必要があること、言を待たない。"臨機応変"の力の基には個人でも団体でも国家でも、教育の「質」が不可欠であることと感じている。

▼ 2007/ 02/02

教育(個人的体験一)

戦前生れの筆者は、小学校では戦中と戦後を経験。当然、戦時下では連夜の空襲・食料不足・物資欠乏の状況。都会の児童の集団疎開・農作業の形の勤労奉仕。にも拘らず授業は青空天井でも精力的に実施されていた記憶。喩え、終戦直後であっても9月新学期がきちんと始められていた記憶。国語・算数など変らず、修身(道徳・公民に相当か)は墨汁でいたる個所が塗り潰しの教科書。

一方、家庭では決められた労働項目 - 家屋敷の庭清掃・床の雑巾がけ・台所用たきぎ揃え・野菜畑の雑草取り・家畜(牛・豚・にわとり)の給餌 等々は子達への役割分担。 農作物収穫期には刈入れ・脱穀作業・天日干しと大忙しの助人子供。中学〜高校〜大学へと長ずるに、家業の醸造業の手伝い労働。自然に責任・役割等について身につき始め、実社会(化学系ベンチャー企業)に入っても、もの造りへの心構え・素地が一応出来ていたので戸惑いや悩みなど出ることもなく、"自分がやらねば誰がやる"の気持ちで仕事に邁進出来た、と回想。思うに現代では、社会状況は当時とは較べるべくもない程の変化あるも、人の生育の為の心のあり様はそんな大幅に変わるものでもなく、又、変えるものでもない、と私感。

家庭での教育に、労働奉仕 - 作業割り当て - が如何によい事か、或いはそれに代えてのボランティア作業や団体スポーツでの"One for All , All for One"の精神こそが、よりよき社会を構成する人々の教育のポイントか、と。加えて"有るもの数えて無いものを数えるな"の精神も肝要。

▼ 2007/ 01/18

教育(藩校)

阿部内閣の発足で、教育問題が最重要政策とされ、根本的見直し作業に入りつつある。教育が国と人の基本要素であることに異論をはさむ人は居ない。だが、その希む方向と進め方については百家争鳴の感。明治維新の後の、昇り竜の如き国威は、鎖国下に或った江戸時代の寺子屋に根ざした"民"の教育への熱い行動に有ったとしか思えない。

1641年、岡山に最初の藩校が出来、100年後に、やうやく全藩が追随、単に読み書きのみの学問に留まらず、藩の経営の為の人材育成にも狙いをつけたものであったと。

1850年頃(嘉永かえい年間)の江戸の就学率は70%以上、識字率は80%は、同時期の英国25%, 仏国1.4%を遥かに凌駕りょうがしていたので、黒船で来航のペリー提督もこれには驚愕。水戸の弘道館・長州の明倫館・薩摩の造士館など、藩によっては国漢学の他 医・算・兵学までも。

一方私立(私学)の形の塾も多々出現。吉田松陰の松下村塾は後年、維新の志士を多勢輩出。

又、政治以外でも地図の伊能忠敬、農政の二宮尊徳、和算の関考和、蘭学の勝海舟などは後年に公に取り出だされての立身。

教育こそが国の礎・家の基との意識を受け継いだ明治時代の先祖をもつ今日の我々は、戦争の災いはあったものの科学技術の振興による国富の思恵に浴していることに思いを寄せたい。別項・祖伝(一)(二)の様に如何なる環境にあろうとも向学心こそが、個人の運命を拓くだけでなく国の繁栄と子孫の幸せにつながること明白なことと信ずる。

▼ 2006/ 12/20

M先生との出会い(二)

M先生から"こんなサークルがあるので入りませんか"との誘い。それは中央線沿線に住いするシニアケミストの会。二つ返事で入会、当方現役とて最若輩の位置。さればと事務係を申し出、一挙に会員と親しく。

化学とはいえ、基礎系・合成系・高分子加工系・エンジニアリング系・知的財産管理系・バイオ系・科学評論系等多士済々。テーマ・話題は当月当審が持ち寄る自由テーマ。自ずから政治・経済・文化・歴史・国際関係等全般に亘っての薀蓄うんちく。人生豊かさの一面を体感。目標設定とか業務とかが伴なわない状態の開放感こそ至極。

M先生は、又、日本有数の大俳句会の会長職にあると知り、単に化学の大人たいじんだけではないことを知る。更には或る日当方の大学OB会の話に及んだとき、"そこのS会長は私の親友ですよ"と。S会長は別項掲載の「手配師」に於ける大ボスのこと。改めて世の中の狭さを知る。これこそ縁の姿。

偶々10年前の資料整理で「語りたい夢は・・・・・」を眺めると、如何にもシニアの会 - 良いお寺さんを知りたい/視力・聴力の低下で新しい世界が見えて来た/団体役員の免除願い/逃した魚は大きかったを反芻はんすう/幻に終った大工場建設を楽しく ぐち る/車事故から立ち直って・・・・・等々。

今日、会の創設者・初代会長氏は92才(90才で退会)でご健勝。20年二昔ふたむかしとなると当時のメンバーも総替りに近く感無量。M先生は平成17年逝去されました。無量のご縁を授けていただけ唯々感謝あるのみ。か様なご縁の経緯とひろがりをと、微力をつくして少しでも報いたいと思っております。

▼ 2006/ 12/06

M先生との出会い(一)

本社から修行(左遷?)で転属した先は、一族が長を務める地方の弱小工場。何とかして陽の当る事業所にと目を付けたのが、クレーム続きでもてあましている新商品を生産しているグループの主力工場。その品目の生産権利を移管してくれれば不良在庫・クレーム処理は当方で負担しますとの提案に合意に至り、改めて新商品開発に入る。性能値では目標値超えるも、コスト的では不満足。

そんな折、別製品の原料メーカーを訪問時、請われて研究所に寄る。一通りの見学のあとの懇談こんだん時に、コンナモノ開発中デスとM研究所長氏から示されたのがくだんの製品と同種のもの。びっくりし即座に提案 - 原料合成は貴社で、製造販売は当方で、と。順調にプロジェクトは進行し、やがて初釜原料入荷し初仕込み。ところが異常反応が発生し、一大事とてM氏陣頭指揮下、両軍の技術陣の徹夜の原因追求実験・電話会議。日の出頃ようやく原因判明。プラント清掃経て新規仕込み・そして成功。

3ヵ月後には計画2倍量の増産要求出るほどの大ヒット。そのM氏(先生)もやがて退任し、資本的親会社の常勤顧問職へと。当方も本社のR&D部門へと移った関係で地理的にも好便と昵懇じつこんに。技術の潮流・業界動向・先端品のお裾分けなど御指導多々で借りが増える一方に。殊に若手研究者たちへの指導教育には極めて積極的でまことに先生でした。

科学技術で超一流の方であるのみならず文化の面でもその造詣ぞうけいの深さを知ることになったのは、ある日先生からの問いかけでした。

▼ 2006/ 11/29

母伝(三)/嫁して

総務部長曰く"工場長から実弟(32才)の嫁にどうか"、との打診話。既に年令も30、当時としては相当の晩婚。それでもご縁と、諾して嫁すことに。別掲の祖伝(一)(二)の大家族いや多家族集団へ。

醸造業と地主業の集団なるも嫁として確たる「座」なく、労働的主婦の形は当時は普通。頭領(前述の工場長)の奥座敷 - 家族は東京住まい - 、表棟は次男家、裏棟は三男家、渡り廊下を結ばれた家屋敷。台所はかみしも、水場と釜場は風吹き込む構造。戦前は多勢の工場従業員の若人たち、戦後は農地解散制による団地田畑の消滅によって食料自己調達の為の荒地開墾かいこんと農作業に軸足。子供達もやがて合せて十名、食事とて親子別々。稀に頭領不在時には家単位にて親子水入らずの食事、母は涙。それでも、太平洋戦争では二・三男家では晩婚が故に、男子は赤紙年令には達せず従って戦死者も出ずは親達にすれば幸運と。

戦後の政治・経済の激動にモミクチャにされた乍らも、子弟の教育だけは、との思いが強い明治人のお陰で、普段はマータイさんのもったいない運動を絵に描いたような生活でも、教育については出費を惜しまない家風。他者への資金援助もあったとか。

やがて統領の逝去に伴う大家族の分解、莫大な財は東京在住の家族へ。母への分与はゼロに近くも笑顔で"皆(子達)が独立・社会人に成長しているのだから今更そんなことで争いたくない"、と。

昭和53年、一人むすめの長年の介護の末、永眠。

思えば激動の時代と人生の修羅場を歩んだのに、いつもほほ笑みと背中で子達を育んでいた人だった。

▼ 2006/ 11/22

母伝(二)/紡績工場時代

裁縫学校卒業後、どんな経緯があったのか語られていないが、府内(都内)の大紡績工場の寮の舎監しゃかんとして入社。 4000名を超える女子工員の寮の監理者男子工員であった細井和喜蔵氏は大震災(大正12年)前年に、ここで労働争議を起こし、一応の成果を得るも、官憲の目を恐れて関西へ逃亡し、そこで著したのが女子工員の悲惨さを表した名著「女工哀史」 - 大正13年雑誌「改造」に3回に亘って掲載、翌年単行本にて出版、近代資本主義の下での或る種の中間管理者としての苦悩は如何ばかりか、母の口から聞かされた事なし。書物などで眺めると、女工達は低賃金、毎日11時間労働、極めて粗末な低カロリー食事、日常生活の半拘束、年期制度、前貸制度、強制送金制度等々、募集時の甘い条件とは天地の開き。死亡率たるや1000名工員当り23名/年の苛酷さは刑務所以上。後年、僅かに母の口からこぼれた話は"工場記念日の僅かの配給干菓子を口にせず、故郷への小包にひそめるをかいま見、せつなかった"と。 自分の子達には社会の暗部には出来るだけ触れさせたくなかった親心であったのかも。

女工哀史の只中での4年の月日がどれ程母を強く・優しくしたのか。第二の試練であったことでしょう。

そんなところで、或る日総務部長から呼ばれた。それは次なる世界の話、試練でなければよいが・・・・・。

▼ 2006/ 11/16

母伝(一)/関東大震災の下で

(序)別掲の祖伝(一)(二)は父系の伝話。一方母系は、と家系図を眺めると、父系とは色合が異なり、信州伊那谷の土地ながら教育至上の地と言われる如く、親族には大学総長・帝国大学教授・文化人など多く、その気風を受け継いだのか、向学心に富み、女学校を出てから単身上京、神田に寄宿し学生生活に入った次第。それからの人生は天災に端を発し、続いての社会の変動に揉まれた多くの女性の一人でした。



リュックの中の餅はかびだらけ、ナイフで削って涙の食事。全ては神仏のご加護のたまものと。

そして母は次なる「女工哀史」の舞台へと・・・・・。

▼ 2006/ 11/08

預言者

一寸、予言者より字画の多い預言者とは、神の言葉を預かり人々に伝え広める人のこと。かのモーゼやイスラム教のムハンマドは、その代表格。預言者とは大きく異なり、人の未来や運勢・事件などを予め言い当てるのが予言者。ノストラダムス氏などはこの範疇はんちゅうか。科学技術の世界でも、これからどうなって行くのか、いや、どうすべきなのかの調査・検討・研究・洞察が求められ、例えば産業審議会技術分科会R&D委員会では予見/予測としてのロードマップを諸領域(コンピューター・ガン対策・ロボット・ナノテク・MEMS・先端部材など)にわたり2020年迄を公表。又NEDOでは未来技術年表として2033年迄の実現予想技術が予告されている。例えば・・・・・

 2026年 光をエネルギー源として炭酸ガスから直接プラスチックを合成
  〃  室温で銅と同程度の電気伝導度を有する高分子材料
  〃  タンパク質やDNAを素子とする分子デバイス・センサー
 2028年 室温以上のキューリー点を持つ前有機強磁性体
 2029年 原子・分子1個のスイッチング機能を利用した素子
 2033年 常温以上に転移点をもつ超伝導体

未来技術とて実現年に忽然と出現する筈もない。素地が作られ種がかれ、育つ為の日光と環境と時間が与えられても、社会的ニーズとの人為的連動が必要とされるだけに、ロードマップが行く手の灯台となるのか、忽然と視界から消えてしまうのか・・・・・?

予言はサイエンス者のみならず経済学者・哲学者などの参画も必要だろうが、政治家・宗教家達は好ましくないと思えるのは、映画"コンタクト"の影響か。

▼ 2006/ 11/01

手配師

大学のOBの集いの産業・企業人会で研修委員を務めたことがあった。(昭和60年〜平成6年)。研修と言っても講演会の手配師が役目。年6回の講師候補の選定・理事会への提案・承認を経て、候補者先生との折衝に入る手順。今でこそ講演会の企画・実施の専門サービス会社は多数あれど、60〜100名程の集いでは予算が乏しく、俗に言う有名人を招くわけにはゆかぬ。会員(聴衆)からすれば、大物を希望。又、自身としても勤め人なれば時間的にも制約があり、講師候補者との折衝も時間・回数で難しい立場。最大の難関は、講師希望日と会場予約日の一致。何と言っても超大物先生程、この種の講演を引き受けない方針(姿勢)。当然の事乍ら、若輩の当方のは大きくない現実。そうなれば顔の大きな方(コネ)を求めて・・・・・と相成る。会のボスの大顔の程を知り、これを最大限に利用いや活用しての 汗出し。技術講話が難しすぎて判らなかったノーベル賞の福井健一先生、実家の日本酒を1升ビンで20本持参のソニーの盛田昭夫会長、新商品ビールとコンパニオン数名同伴してのサントリー佐治敬三会長、訥々とつとつと、「経営と心」を語った京セラ稲森和夫会長、ロマン豊かに古代エジプトを学術的に語る早稲田大学の吉村作治先生、他 多くの方々。 幸いにも、おおかたの先生方は無償ないしは全額寄付の形をとられました。

P.S.:老化について語った若き薬学・哲学博士の美人後輩OG、本格的に衣装をまとったソプラノ歌手の講演はドヨメキと華ヤギで、手配師の面目躍如。

▼ 2006/ 10/23

ある工具の輸入にまつわる話・第二幕

案の定、別便の銃の通関検査でもひと悶着すれど、"銃ではない 工具ですよ"との必死の説明でやっとのことパス。早速社内実機試験。予想以上の威力?に又、不安感が頭をよぎる。銃身に小砂利を詰めての試射。結果は火薬なしと言えども立派な散弾銃。改めて銃刀法 - 銃 の定義を見る。銃とは「金属性弾丸を発射する機能を有し装薬銃砲及び空気銃(圧縮ガスを使用するものを含む)」と。

正直、困ったなの思いで、地元の警察署へ、そして方面本部へ、果ては警視庁へと。いずれでも判然とせず(役所は安易に結論を出す筈がない)最終的に警察庁へ。警察庁事務官とて判断つかず、付属技術研究所にて特性評価を出そうとなった。早速、試射室にて鉛弾を銃身内径に合せて10発作っての試射。5ミリ厚杉板3枚貫通寸前の威力は弾速43メートル/秒とか。人畜殺傷能力有り。ところが幸いにして、社会に役立つ道具とて認可。規制なしの販売が認められた。それでも暴力団関係に流れない様顧客層には十分注意を払いながらの販売活動の中、トイレのタバコの吸い殻の詰まりトラブルを抱えていたパチンコ業界からの大量注文には改めて驚いた次第。

(後日談)

▼ 2006/ 10/18

ある工具の輸入にまつわる話・第一幕

1973年(昭和48年)春、偶々JETROで目にした大型拳銃の形をした配管つまり更生用圧気工具はドイツ製品だった。丁度欧州出張するところであったので、訪問ルートに組み込んだ。ミュンヘン市郊外の古色蒼然たるお屋敷でのネゴ。かつての所有者はかのドイツ帝国副総統ヘス(ニュルンベルグ裁判で終身刑、1987年獄中自殺)。輸出の権利は英国WR社とて、ロンドンにてサンプル入手と買付契約しブリーフケースに銃を納めてフランクフルト空港に降り立つ。入国検査中やにはにドイツ国防軍の兵に囲まれ別室に連行される。これは、運悪いことに前日(7/20)にSOLOと名乗る4名のパレスチナゲリラと1名の日本赤軍が、アムステルダム発のJALジャンボ機をハイジャックしリビアのベンガジ空港にて人質解放後爆破した直後のこと。思えば当方の大不注意、不流暢な英語での必死の説明・・・・・そしてやっと釈放。銃は幸い、別便扱いで日本へ・・・・・と。

今日ならば、自社オフィスでPCによる情報検索、各社HPチェック、TEL・E-Mailでの商談、商品引取代行組織、機器特性評価機関 等への依託など、いろいろな仕組みが有るが、その当時は孤軍奮闘?を余儀なくされた次第。これにて一件落着かと思いきや、第二幕が日本国内で待っていた・・・・・

▼ 2006/ 10/11

アナログ派 デジタル派

2011年からアナログTVが廃止され地上デジタルに切替えられる。今迄、アナログ/デジタルの違いはせいぜい腕時計の針式か数字表記式か、位の知識程度故に、改めて辞書を開いてみた。

アナログは計量型で連続的な値をとる量・五感にとって得る情報デジタルは計数型・信号情報と。解るような解らないような表現。

アナログ型の感じの自身としては、曖昧・おおらかがフィットするも、一方 几帳面さもあるとなると、時々A/D(アナログ/デジタル)変換型か。又、別の表現を取るならば、アナログは分解してデジタルに、デジタルは積み上げてアナログにとの感じ。

そんなところに出会った言葉は「アナログは樹、デジタルはその葉っぱ」と。そんなところに触れたTV番組の「車の乗り味」の話。乗り味の良し悪しが売れ行きを左右する大要素となるとトコトン詰めねばと、デジタル感覚の車設計者に対して、テストドライバーはアナログ的運転感覚を、部品等の取付け措置によるデジタル語への翻訳の形でフィードバックするのが任務と。 又、他TV番組の「金型を無人で製作する」も、職人的組立・すり合せ技術を徹底的に工程分析し、工作機器に教え込む。殊に嵌めこみ部の精密遊びの設け方は教訓的。同様に他の分野でもA/D変換の狙いどころとして、ラーメンスープのあり様/衣服の着心地/住み心地/ストラディバリウス級バイオリンの研究も多々存在するでしょう。

A/D変換と言うよりもむしろA/D融合ですね。血液型と性格傾向に関する書物は多いですが、生物学・細胞学・生現象的に何故か、の研究もA/D変換に立脚した研究はあるかも・・・・・。

▼ 2006/ 09/25

パートタイマーさん

BOOK・OFF社の社長に抜擢ばってきされたのは、かつてパートタイマーとして雇われた女性でした。年々、企業はパートの比重(人数のみならず、仕事の質に於ても)が大きくなって来ており、その効率は業績を左右するほどになっている。自身、生産工場時代のパートとの触れ合いが思い出される。60歳前後で製造現場作業員の条件で雇はれた人々・・・・・


団塊の世代の大量定年退職問題は技能の空洞化の一方、当人たちは年金受給空白期間となる。企業側も、健康・技能・経験に加えて働く意欲が、業績向上に効果的な要素となるものと知るべき。

▼ 2006/ 09/11

商品クレーム

家庭での修理・補修の事件?は誰でも経験。我家の最近の4例かくの如し。

・プリンター
  「ハイ インクタンクが満パイ」の表示。ハイは廃か排か判らない。マニュアル見るも個人では不可と。TELすると、サービスセンターに持込んで下さい→山の中から50kmも行けませんよ→では、出張引取となりますので有料です。又一週間はかかります、と。→エーッ?

・小型車
  ドア開閉にガタツキあり、見るとドアヒンジのピンに亀裂発見。そこで、ディーラーに持ち込む。ピンのガタですね(亀裂とは言はない)→では調節で直るのですね→いや交換したほうがよいでしょう→では見積もってください→見積書 2.5万円也・・・・・(無言)→ピンを外すには、前バンパーを外し、フェンダーを外し、ドアを外して、ピンにたどり着く、と。→そんな設計は変だよ。

・一眼レフカメラ
  入手から20年以上経たしろもの。シャッターの不調でメーカーのサービスセンターに持ち込む。
  弊社では15年以上は部品交換に応じておりません→調整で済むレベルのことと思はれるのですがどうにかなりませんか→ではやるだけやってみますが駄目なときは諦めて下さい→仕方ありません→(修理)→修理成功!

・住宅
  数年前に再塗装した外壁複合パネル(無機質板/木質パネル)に反り発生し、継目に隙間出来、危うく雨水侵入の破目に。メーカーに聞くと、いつの間にか廃絶品となっており、現在は無機板のみの構造パネルと。手入れさえしておれば40〜50年は保つのかと思っていたのだが・・・・・。膨張係数の差は考えていなかったのか!


上の4例は何れも、一部上場大企業で就職人気でも上位の会社たち。お客様の立場で・・・・・とよく発言するも現実は、カメラの例のみ納得しただけ、小型車の例ではライバル社の中型車に乗りかえました。

▼ 2006/ 09/07

水車

里山・水車は日本人の心の原風景。黒澤明監督の「夢」の中の笠智衆と水車、西洋人ならシューベルトの"美しき水車小屋の娘"か。モートル駆動源の無い時代の主力は水(力)車。DC100年頃には出現、英国では11世紀には水車製粉業が急増、13世紀には水力エネルギーによる羊毛工業、16世紀には溶鉱炉のふいごやハンマーを動かす様になり、18世紀のタービン式水車の出現で産業の主力動力の座に。一方、日本では六甲山の急流を利用した水車による高度精米技術と宮水によって生れた灘の酒。又、明治18年着工の琵琶湖疎水は水車動力も狙ひの大工事であったと。

信州伊那谷の母の生家は清流溝に囲まれて隅角には水車小屋、大雨のあとの水量調節は子供の仕事だった、と。水車のトントン/小川のせせらぎ/木立のざわめき、は日本人のDNAにインプットされているとしか思えない。エネルギー多角化時代、古くても新しく水力を復活せんと、河川水落差による水中水車の開発が進行中と聞いた。小川でも潜水エネルギーを顕在化させるのが水車。スーパーキャパシター、二次電池と組合せた連凧ならぬ、ワイヤーに連珠水車の束を流れに投げ入れれば、なんて夢想。温度差・弱風・小川の水量などを目いっぱい効率利用して、新・国家エネルギー戦略の2030年迄石油依存度40%以下の目標達成に資する様になればと。何せ、日本は雨の国だから何とか・・・・・。

▼ 2006/ 08/28

夏のノーベル賞

日本水大賞なる賞の存在を知ったのは知人が送ってくれた農水省のプレスリリースでした。それは、(社)日本河川協会主催による、大賞・6賞の大臣賞・他3賞を目指すところの「安全・きれい・おいしい水の日本と地球を目指し、水循環系の健全化に寄与する・・・・・」運動・活動で、かの有名なノーベル賞(冬挙行)に並べて夏のノーベル賞と称されているストックホルム青少年水大賞につながるもの。夏のストックホルム受賞式には、冬と同様にグスタフ国王のご臨席・晩餐会など尊敬と格式が保たれている本格的な式典と。1997年第一回として発足、第8回(2004年)に日本の高校生チームが大賞(グランプリ)に。

「宮古の水を守れ」-土壌蓄積リンで環境に優しい有機肥料作り-

沖縄県立宮古農林高等学校 環境班

宮古島は川・湖の水資源なく、地下水のみに頼る生活の為、地下水汚染は即生命に関わってくる。一方農地主体の島は硝酸性チッソ肥料に汚染され、それはブルー赤ちゃん症候群(呼吸疾患で死亡へ)の因に。そこで島特産のサトウキビ製糖工場の搾り粕-バガスを主体とした有機肥料の開発を為し、土壌に蓄積したリンを溶解する菌の培養、その炭素源としての糖蜜の配合、そして施肥一評価によって過剰チッソの低減が計られた、と。その結果 地下水汚染の軽減に・・・・・と。


本テーマの活動は8年間に亘るものであったことは、高校3ヶ年としたとき3代に亘っての継続研究を意味し、その合言葉は「考えは地球規模で、行動は足元から・・・・・」と。なんとすばらしい高校生たちよ。

▼ 2006/ 08/21

五重の塔は倒れない

別項の「制振技術で快適さを」で材料技術に触れました。そんな時TV番組「五重の塔は何故倒れないのか」を見、改めて驚く。その秘密を解明しようとしてた学術研究者たちも改めて驚嘆きょうたんしていた。先ず強靭な檜材、それも年輪が1センチ幅で20本クラスのもの(平成檜材は8本レベル)を用いている唐招提寺の金堂は、過去に何回か激しい地震に見舞はれるも倒壊せず、それは制震技能を有する組物構造にある、と。柱・梁を支える受け皿的な大斗や巻土が回転し、続いて横木の上で滑り、更にはダボの変形迄もが加わり、3ステップで衝撃を、振動をやんわりと吸収してしまう仕組みが高速度カメラで明らかになった次第。木材しか構造材として頼るものがない時代、先人達は創意工夫を極め、現代技術者さえも考え及ばない制震構造を案出したことに唯々敬意。この構造のポイントは遊び寸法 即ち意識的ガタにある訳、と。今日ではコンクリート/鉄の大型構造物が主となると、木材・ガタ寸法に頼る訳にはゆかず弾性・弾塑性設計等に基く耐震構造や積層ゴムアイソレーターに建物を乗せてしまう免震構造、別項で触れたダンパー材を組み込み、更にはその自動制御能を付加したアクティブ・マス制振方式等と方式も分化・発展。それにしても、鉄筋減量による耐震データ偽造事件の発生は天災(地震)に人災を乗(掛算)する様なもの、とんでもないこと。

▼ 2006/ 08/02

叱責を受ける

叱る、は本来指導・教育的なものと叱る側の憤懣ふんまん発露的なものといろいろ。子供時代の目上の者からの愛情ある親愛叱り、学級時代の教師からの学習態度への叱りやクラブ活動リーダー・先輩からの叱りなど、人の生長に叱られは栄養素。社会に出ると叱りも叱られも生臭さが伴なって来る。自身の叱られ体験として、

  1. 昭和30年代

    朝の始業前のグータラ体操を見た会社オーナーは"もっとしっかりやれよ"と。翌朝も、偶々巡回オーナーは、体操状態を見て私を一喝。

    「俺の言っていることをもっと真剣に聞け。体操一つ立派に指揮出来ず、何で大きな仕事が出来ようか・・・・・」と。

  2. 昭和40年代

    本社通達で、海外出張時の見送り・出迎え不要、とあるも米国責任者の帰国時課長出迎えに出し、自身は欧州代理店社長接待にて出ず、をオーナーから叱責される。弁解するも通じず。地頭には勝てぬ、の例か。しこりがいつ迄も残る有様。

  3. 昭和50年代

    経営層に不和生じ、乱発怪文書の火の粉浴びてしまった。それを鵜呑みにした大顧客責任者より直接に電話叱責。早速参上し誠心を述べ納得をいただく努力も・・・・・。

  4. 昭和60年代

    自身のある政策的行動が大きな誤解を生み出し、トップから叱責を受けるも、オーナーに対しての斟酌しんしゃくから敢て責を受け場を納めた。後日トップは自己の発案として上の政策を推進。その時自身は、蚊帳の外に。

上4例は自身が叱られ側であったもの。叱る側に居たのは数多くあった筈なのに、記憶には2-3程度。勝手ですねー。

▼ 2006/ 07/26

得手に帆上げて

バブルはじけて、多くの企業は多角化路線で苦渋をめた。一見、果実を結ぶと見える枝を樹に接木してもくっつくとは限らない。事業展開に於て自己の能力(組織・技術・経験・顧客・資金・・・・・)に沿う行動・判断が確かなものと。自身は1960年代工業用ゴム成形品等に携わっていた時、当時新顔のエポキシ樹脂と出会い、上司のトップは専門子会社設立し、その担当を命じられた。元来応用性の広いレジン、"盲・蛇に怖じず"と事業を次々と拡大。防食工事部門/FRP成形(レーダードーム・化学品用パイプ)/電磁弁コイルモールド等。やがて当時ハイテクのトランジスター・ダイオードの封止剤も順調に拡大、遂には最先端と目されていたトランスファーモールド型の開発にも着手。こうなると親会社はグループの効率的経営を目指すとかの名目で、或る日突然吸収合併。その結果、個々の事業に夢も、知識も、経験も持たぬ経営者が関わって来て、困難発生毎に逃避する態度での縮小化。当時の機械分野の人々には電子は遠い異分野であったので・・・・・。一般にトップの不理解での判断ミスと経営の齟齬そごが有っても、社内的には経営者はいつも勝者の立場とて逆らえず、波長合はぬ者は去るのみと。その経営者とて、市場の大変動を目の当たりにして聞く耳を持ち始め、再構築?するも人材(専門レベル、頭数)不足から、やむ得ず得手(コア領域)に立脚したユニットのみに集中。顧みるに、適材適所と恣意的な組織改変の不合理さに配慮が無かったと。自律分散型企業集団が良いのが一般となり、コーポレート/カンパニー制が盛んとなる。企業も個人も"得手に帆上げて"が幸せ。

▼ 2006/ 07/18

運(二)

人生は運の積み重ね。その運も偶然よりも必然的運か。恐縮ながら自身のを。

家系運

 父方は別項 祖伝(一)(二)で触れました。明治時代以降、醸造業(醤油・味噌)・地主・山林業で一応の成功を納めた大家族制下で、小学生時代から 作業義務割当てられる。醤油ビン洗滌せんじょうと充填、菜園農作業、家畜(牛・豚)の給餌、 早朝の庭掃き 等

学問運

 母方は遠地信州出身。一族には大学総長・教授・博士・文人 等 多数。母は若くして上京、学校〜会社員経て、縁あって父と結婚。その子、戦後と て何もなくの中、幸い東京より疎開の書籍、山程有り読破。日常的には吝嗇りんしょくおさも教育には惜しまぬ人柄とて米国系聖書学園(中等ミッションスクール)に入校。大学 入試も不思議に一夜漬けが総当り。担当教授からすすめられて外部で卒業研究。そのテーマたる石炭がベンチャー企業の入社問題に出題され合 格と。

産業人運

 入社ベンチャー企業は化学材料系なのにオーナーは商人的。経営に紆余曲折あるも、やがて國運の発展に沿うように拡大繁栄。研究開発/販売/ 生産/エンジニアリングサービス/新規事業体海外事業、等々 あらゆる部門職務の体験。反面専門があいまいに。その間 多くの人々(上司・同僚・部 下・多外関係者の方々)といろいろな場所で、タイミングよい(悪いときも多かったが)職務担当出来。

家庭運

 子(男・女・女)、孫(男・男・女)に恵まれたのも妻のお陰。又、皆々健康なること神仏のお陰、と。


ベンチャー工場で精励出来たもの家庭労働の下積みがあればこそ、海外事業で戸惑ひがなかったのも、欧米の本・映画の素地があったから、何よ りも、大家族制度の経験から、腹七分目の自己主張で自己を抑えることが「和」を拡げ、その行動が結果的に増運に繋がっているのか、と。

▼ 2006/ 07/12

心は生命(いのち)の波動か

神棚と仏壇が混在する典型的な日本の家庭に生れ、教徒でもないのに米系の聖書学園(中学)に入るも、"人に原罪あり"の教義に馴染まずの体験経て青年時代には自然・天然の事象に波動を感ずる自己を認識する様になる。日本人は人や自然、それを包み込んでいる何らかの力への畏敬に満たされていると感じ、やがては加齢と共に輪廻転生りんねてんしょうの仕組みも徐々に沁み込んで来るのが普通の傾向かと。思い出せば自身五才の頃の実体験「庭、母屋の外の便所から戻るとき、朧気おぼろげな灯玉が現れ、目前を何秒か漂ったのち消えてしまったものの、恐怖感など全く感じなかったこと、直ぐに母に伝えると母は涙。翌朝電報あり、遠地にて病中の母(祖母に当る)の逝去の報」

現在、やっと大脳内の心表象研究が強く推進されつつあり、高次認知機能の視覚イメージ成形や心的機構としてのニューロン表現の機構解明進むも、千里の道の一歩となるか否か。産業企業人時代、ある研修過程で、もっとも強調された点は「魂の向上、発展を計れ」であった。即ち、現世は学習の場、よって魂を磨いてより輝くようにしてあの世に行けば、又転生した(再)現世ではより素晴らしい学習の場となろう、と。即ち、現世での生物的身体は現世での借り物 魂の宿り場と。さすれば研究はやっと借り物の仕組みに手が付いたところとなるのかな・・・。

▼ 2006/ 06/23

友愛

映画「博士の愛した数式」を見た。核戦争をデフォルメしたブラックコメディー「博士の異常な愛情」(S・キュブリック監督)やFBIの科学的捜査を描いた「レクター博士の沈黙」(マイケル・マン監督)等の博士から、狂気の匂いが漂うタイトルなのに思はぬ展開に驚く。主人公は数学者、初対面の家政婦に誕生日を聞き、2月20日とは"いさぎよい数字"と。数字は数字・無機質・非生物的と思っている者には、驚き。そして数字220は、その約数の和が284となっている一方、284の約数の和は220と。こんな関係にある数字の組を友愛数と名付けてあると、博士の解説。

本、出会いの欄の筆者の頭文字はU.I.、漢字では友愛と号していただけに博士の発言に妙に小感動を覚える。更にはU.I.の誕生日はくだんの家政婦と同じ2月20日(野球のミスター長嶋も同じく)。さすれば妻との友愛度はいかなりと計算。即ち、284は10月11日に相当。残念、妻の誕生日は10月12日でした。俳句の一字余りの如き一日余り。生れ年の昭和○○年迄さかのぼって、閏年うるうどしか調べればと・・・・・。個人的な話で恐縮の限り。人は己に関わる事象には我田引水的に当たる性向があるもの。それが神秘的なもの、不可解なものほどかれるのは理屈ではない。これが単なる偶然ではなく、或る種の必然としたとき、新たな生気が発生して来ましょう。

(註)他の友愛数は(1184,1210)(2620,2924)など

▼ 2006/ 06/23

隔靴掻痒

足の痒いところを靴皮の上から掻く。 欲求不満のもと。イライラの源泉。社会生活上の宿命。会社生活上のもどかしさ。

上と下

行動起せば

能力・性向では

情報は

打合せでは


・・・・・で、イライラは極限に至り、プッツンの果てのケンカ、戦争。一瞬の胸のつかえの放散。但しその後始末の大変さを思えばジィーとこらえて、またまたストレス貯蓄。

▼ 2006/ 06/02

「困難こそテーマ」

"願わくば我に七難八苦を与え給え"と、毛利に敗れた尼子家臣の山中鹿之助、人は困難に直面したとき、避けて通り抜けようとする人、何とかそれを乗り越えようとする人といろいろ。九州耶馬渓の"青の洞門"を独力で21年かけて185m "のみ"とつちだけで掘削した禅海上人はその典型。現代では、TV番組プロジェクトXに多くの事例が見られる。やり甲斐を感ずるテーマに直面したとき、人は闘志の湧き出るのを覚えることがある。殊に、達成成就の有様を想像すれば尚更のこと。

天災国日本 ― 地震・台風・大雪・温暖化に伴う諸々の現象(オゾンホール・漁獲量低下 等)。政治的には少子高齢化・テロ。健康面でのがん予防・食品安全・新型インフルエンザ 等、その解決の頂は遥かに遠方に在る様に見える。

でも、その先に緑の野がある、楽がある、安寧がある、利がある と思えば元気が出て来る。ぐっと身近には、企業で言えば、客の願い・希望・困難がこちらから見た時の市場ニーズ。不都合・不便・欠点などの解消こそがテーマ。技術開発ではよくあるケースは二律相反問題。あちら立てればこちら立たずの話。両方が立てればめでたしなれど容易には行かぬ。そこに研究開発がある。粘りと切れ味を両立させた日本刀はその精華。工夫すれば必ずそこに道があると信じ、只々邁進するのみ・・・。とは言っても運動暴発渓に足を踏み滑って落下しない注意も肝要。

▼ 2006/ 05/26

「本」

若者の活字離れが話題になって久しい。とは言ってもマンガ本の膨大な部数、これらは活字の範疇はんちゅうではないのか。いや、むしろケイタイメールで活字を生み出しているのだから単に活字眺め人よりは上等だよ、と反撃をくらいそう。でも人は長い人生の中で多くの本に触れる。それを愛読書と片付ける程、単純ではない。自身、勝手な分類で整理してみると・・・。

愛読書
  • 日本を決定した百年 (1967年 刊 吉田 茂 著)
  • たべもの歳時記 (昭和45年 刊 楠本 憲吉 著)
  • 中央亜細亜探検記 (昭和28年 刊 スウェンヘディン 著)
  • ステルス機 - スカンクワークスの秘密 (1997年 刊 ベンリッチ 著)

楽読書
  • 家族旅行写真帖<多数冊> 加齢と共に増えますね。

苦読書
  • 謡曲本、重ねれば50センチ程、好きな句・節のみつまみ喰い的勝手うなり、正座のしびれが苦の源。

記念書
  • 有機化学テキストブック(フィーザー 著)<原書>

奉り書
  • 別項「祖伝」にて紹介の紙帖。遺影写真と共に。

暇本
  • 一寸した暇時間には、明治〜大正時代の総合雑誌(地球、日本と日本人、太陽 など)を眺む。

手元本
  • 電子辞書より使い勝手のよい 漢字表記辞典。

人はそれぞれ、本への思い入れ方が異なりましょう。それでも書はその人の人生を築く足場材料である事は間違いありません。

▼ 2006/ 05/19

「守る」

「守る」には保護・状態維持の意味も包含されている。自然環境での野鳥保護、水の汚染防止など。個々人には健康・家族など学童の安全状態維持などは、やむ得ない守り。国(政府)には国民の生命財産の保護が最重要ならば、拉致事件の見逃しは大失態と言うべき。政党には守るべき公約があり、国にも対外的に守るべき条約・規制・ルールが多々存在。企業にも同様、社内的には理念・社憲・社是・経営基本方針等の約束心得が構成されており、社外的には品質・納期・価格について公表(約束)している。これら3要素は個別のものでなく、リンクした形での対顧客約束事となっている。約束事は当事者間で決められた意思表示あって自ずからの価値判断がその根底にある限り、守って当り前、守られて当り前。なのにそうはならない状態が頻発。守れない(守らない)例は、その理由を綿々と申し立て、自己の責任に帰するものではないとし、揚げ句の果てには、契約そのものが不当であったものとしの主張に至る有様。破られた例からすれば、相手側に守る強い意志があり、そのためのベストの行動を起していたのか疑いたくなって来る。どうも守らない例は利己的で他人の痛みを感じることの出来ない習慣性の人々で、この位のことはよい(容認されてしかるべき範囲の意味)だろうと多寡たかをくくっている気持が根にあるのだろう。この様な企業・人々にスポーツのルールに学べと問いかけたいところ。我田引水的ルールに随時変更したら、世の中から競技スポーツは消滅してしまうこと明白。真面目企業と人々が健全な社会を構成しているのよ、と。

▼ 2006/ 04/28

「氷山の一角(二)」

さりとて、今の時代、不確実さに賭けるのは非効率として、何とか最短道程はないものかと、人・組織・情報を検索駆使してのアプローチは当然のこと。

時間の最短化と言えども、自然相手の作物となると先ず土壌作りからとなる。 企業とて、R&D・生産技術 等 数々の障壁を乗り越える企業人の育成が根底に在る。 コア技術とそれを取り囲む枝技術・それらのネット(網)を紡げる人々。更にそれらを組織する人と群。 それに要する費用と月日は莫大。それだけに、スピード時代、既製人材の新規採用、当該領域専門企業との連携・吸収・合併 等は氷山の水面下を省略する手法。 人を最大の経営資源と見るとき、その達成は成果(氷山の水面上部分)に直結。達成とは人の資質の活性化であり、気力の誘発である。 気力とは やる気・負けん気・元気・男気・勇気 で意欲の源。 バブルの時代、浮利を追はず、の姿勢を貫き今日の繁栄を勝ち得ている企業を眺めると、人の育成/継続は力なり、の強い姿勢がうかがえる。 氷山の水面下の意味をく知っている証拠なりと。

水・海水より軽い氷山があれば、曳航えいこうして渇水國へ真水と冷熱の販売で儲けられるかも・・・・。 そうは問屋が卸しませんよとの外野からの声。でもスーパーウルトラ遮熱カバー(覆)があれば、ひょっとして・・・・?

▼ 2006/ 04/19

「氷山の一角(一)」

氷山の水面上可視部分は全体の1割にも満たない。水面下の部分を人目に触れない準備・努力の域とすると、その具体例 たるやすこぶる多し。

その一瞬を捉えんと、何日も何時間もシャッターチャンスを待つ山岳写真家や動物写真家。生細胞の精細な動きを捉えんと 適切な条件を求めての辛抱の時間、宇宙から飛来のニュートリノの痕跡をつかまえんと何万の飛沫を検証する科学者・・・・・。 世間から評価される成果を得るに至る迄には、膨大な事前の伏線的準備活動が必要なること何事にも当てはまる。司馬遼太 郎・松本清張などの大作家たちの執筆前の調査・取材活動は有名。R&D分野でも、エジソンとて電灯の竹のカーボンフィラメン トに辿り着く迄の実験の数々。ノーベル賞とて、その成果にのみ目に行き勝ちなれど水面下では、そこに至る迄、気が遠くなる 様な数々の不運?片(ピース)に触れながらの道程であったこと。それでも希む結果に到達し得なかった人々のなんと多いこと。 この様な人々が水面下で、結果を得た人のみを一角と見るとき、その後このままで不変状態が続くかといえば、氷山 とて海流・海温・風向きなどによっては、転覆・衝突・合体等でやがて海面上に出られる部分もある。人は自己の努力に加えて 環境(時代)の変化にも希望をめて、日の当る一角に出たいも のと一生懸命うごめいている毎日。

▼ 2006/ 04/13

「企業内の人々」

人は、各自の事情・想ひ・運など絡んでの上でのその企業に参加・入社し、その一員となる。よって直接的に触れ合う同僚・上司たちは、自分が拱択したわけではない。それこそ出会ひ。千人十色とはよく言ったもので、一色の自分がどう関わって行くのか・・・それが人生。自身の経験から・・・・・。

か様な十色の世界の中で円滑に生きて行く為に、俺には俺の道がある と一本気の愚直人にとって、次の智恵コトバが悔しい乍らも役立った。

"とぼけもします・だまされもします・おだてにも乗ります"

と。このコトバを贈ってくれたのは、Topでした。

▼ 2006/ 04/07

「祖伝(二)」

帰途、既に初更(9〜11時)となり、異父の姉宅に行き 壱分を借り、帰宅すると妹は板縁に草履ぞうり姿のままで仮睡(まどろんで)していた。母はボロ布団をかけてあげたが児はこれを断った。 二更(11〜1時)となり母の命で米・灯油・味噌・鰹節・葱を四文で買い、十六文で醤油を買おうとしたら知人だからと1升(1.8リットル)を無償でくれた。喜び提げて帰宅したら既に夕食は揃えられていた。 母子は先づ入浴し、更に酒十六文で購う。深夜四更(1〜3時)除夜を祝してのち、やうやくにして食事を採る。食終って子は近くの寺門の松枝を採取し、母はしめ縄を編み、松飾を整えやっと寝床に入った。明けて元旦早朝、師宅を訪れ年頭の辞を述べた。 午後、母は威儀を正しくして曰く

「汝が父、負債が為、家に在らず。然れども、この負債を償はざらんか汝の出世を害す。すべからく神仏に祈願し冥助を求めよ」

と。子、五十夜に及ぶ弁才天への信仰祈願に就く。


祖は長じて、多くの方々の支援により醸造業を興し、子孫への礎を築く。まさにご先祖様と申すべきことなり。

(註) 1840年 中国 阿片戦争     1853年 ペリー来航     1854年 日米和親条約

▼ 2006/ 03/31

「祖伝(一)」

以前、ルーツ(家系)探しが話題になったことがあった。人は普通、日常的には祖父の代までしか頭に無く、江戸時代迄さかのぼって知る人は今日では稀有。旧家や古典芸能の家筋、旧家など、神棚や大仏壇の歴代のご位牌を前に親が子に教えない限り無理なこと。本項では、偶々、祖父が大正の頃にそれ迄の口伝を紙帖にまとめていたので、それが父を経て伝わり、当然乍ら今度は子・孫に伝える番となった次第。

その一節を二回に亘ってご紹介。一部は現代文に変換しました。

『文政元年(1818年)生れのご先祖様は11才のとき、父は5両の借財を苦にして出奔しゅっぽん、母は極貧の中頑張るも、蚊帳なきが故の寝不足から昼、作業中の居眠りを雇主これを咎めず、その理由を知って、自の書を質入して蚊帳を入手し、貸与したるに、これ以降熟睡出来たと。借財をこのままでは、吾子の出世の妨げになること必定と、やっと貯め得た半両を懐に敢然母子相携之5里(20キロメートル)の山道を12月29日夜貸主方を訪れ、来春には半両を返すからと了承を得、帰途に就く。夜、霜解道とて歩行困難。この時母訓し曰く。

「今次の窮乏を肝に銘じ、汝の生涯に於ては再、決して陥ることなかれ」

と。』

(註)1825年 異国船打払令、1833年 天保大飢饉

▼ 2006/ 03/24

「運(一)」

人は、その人生で幾度となく天災・人災に直面する。吉凶・禍福(かふく)に出会うめぐり合わせを"運"と言うとか。 人知で計り知れない事象が行く道を(しんにゅう)とりかこみぐるぐるまわる(軍)から、「運」なる文字になったと、辞書にあった。 地震・津波・台風・洪水・旱魃(かんばつ)・酷暑・酷寒などの天災、戦争・テロ・交通事故・原油流出などの人災に、いつも取りかこまれている。 加えて反動的(?)人災とも言えるアスベスト中皮腫・エイズ・BSE汚染肉・新型ウィルス等に追い打ちをかけられ、更にはもう手遅れかとも危惧される地球規模の温暖化・オゾンホールの拡大・砂漠化拡大などもじわじわと迫り来る状況。 人はこれらの(悪)運種に囲まれているものの、今日生きているのは、いや生かされているのは巨大な(幸)運種を持っているからこそ、巨大な隕石衝突の大災厄に逢っても、生命が保たれたことと考えられる。 この様に、天運に強かった人類の中にあって、個人としての人生運、それをとりかこむ職運や社運、それをとりかこむ国運は全て人の為せる技ゆえに、変化させ得る事柄と思える。 人の運(命)は籤引(くじび)きみたいなものではない筈。ではどうしたら[幸]運にめぐり逢えましょうか・・・・・。

ほどほどの幸運にめぐり逢えた筆者として「運(二)」項で触れてみますが、それは生意気・僭越(せんえつ)なることを充分承知しております。

▼ 2006/ 03/16

「ロボット時代を迎えて」

国際ロボット展(i REX 2005)が、"モノづくりからパーソナルまで"と銘打って開催され、今更の如くその力強いうねりを感じた。 モノづくりではかなり前から、自動車の組立ラインや電器製品の部品取付けラインに黙々と働く単機能(馬鹿の一つ覚え的)作業ロボ(複合機能を有していたら ロボッ)。 その後ロボット映画の数々(頭脳や身体の一部が人間のサイボーグ型ロボット、中央スパコンに指令されて動く兵士ロボット、人工知能の自己増殖能を持ち始めたロボット、ロボットアニメ等)は人型が多く、非人型の地雷探査車・災害救助ロボット等も形こそ違え、一定の頭脳を有しているロボも多々登場。 ロボットは本質的に、センシング・メディア処理・アクチュエーター・エネルギー源等の基本要素を有し、更には人間にとって安全であることが必須条件であることは言う迄もない。 今後、ロボット自身がより高機能ロボットを組み立てる動きは強まろうし、"もの造り大国" であるべき日本が少子化の波の乗り越えには、不可欠な技術の潮流であろうと。 人を助ける、いや人の代りに、作業的動作のみならず直接・間接的に精神補助に至る迄、召し使いが豊かな生活を約束するかも。 日本ならば、廃棄ロボットの供養式なども当然催されよう。それ以前にもったいない精神から、リユース/リサイクルの発達が計られよう。 内蔵CPUの取りつけ間違いがあったら大変。車検ならぬロボ検制度も設けられましょう。既にロボット時代は第2ステージに入っている。

▼ 2006/ 03/10

「汽水」

汽水とは、海水と淡水の混ざり合う領域を指し、独特の自然環境を形成する為、人は大きくその恩恵をこうむっている。 西マリアナ海域で産卵されるレプトケパルス(しらす)が浜名湖などの汽水域で成長する鰻。又、塩分濃度変化が激しく、水深浅く植物プランクトンに富む為に多く収穫出来る宍道しんじ湖のヤマトシジミ。マングローブの林の存在は言う迄もない。 か様に独自の生命を育む"みぎわ"の存在は、人間の行動に於いてもその意味と価値を再認識出来よう。それは、異分野の連携と融合であり、産・官・学のリンクであり、学際であり、単独・孤高とは異なる姿である。 又、別の角度からは、既存の技術の海に新規性のシーズを投げ込んだり、虫の目の創造的人達と鳥の目のマネージング的人達とが絡み合ったりすることが相互啓発的蠢動(しゅんどう)を起こし、何かが生まれる始点と成る。 今日では極めて当り前の単語となっている、メカトロニクス・オプトロニクス・ケミトロニクス・バイオニクス等々、汽水がもたらしたものと言っても過言ではない。 創造の定義(創造事典より)を「人が、問題を異質な情報群と組み合せ、統合して解とし、新しい価値を生むこと」としたとき、汀領域での棲息が肝要なること容易に理解できる。 今の時代、創造は奉仕(サービス)、奉仕こそ愛、愛は人から生れる、と。ゆえに、人と人が触れ合うところにスパーク(閃き)が発生し、あるものが生ずる、と。

▼ 2006/ 03/03

「ありがとう」

人生、ありがとうの積み重ね。若い時は言葉で反応し、長じて身体が感応し、熟年に至るや心に満ちる様になる。自身振り返って、遅まきながらの "ありがとう" の念。

[若年の頃] [壮年の頃] [熟年に至るや]

そして、本欄のHPを設けて継続して下さっているPPi社の代表者と、いつも悪筆の原稿を電子文字にさばいてくれる若き企業人の卵。


か様に眺めると、まさに 人生劇場 ですね。舞台があり、大道具・小道具・照明があり、そして原作・脚本は自らが作り、そして演出も。「私」と言う主演の一人を支える助演と多くの裏方の人々。日本にはいにしえより "おかげさまで" という素晴しい言葉がありました。

▼ 2006/ 02/ 24

「蟻の一穴」

 オランダの堤防の決壊を、水漏れ個所に自分の腕を終夜差し込んで、未然に防いだ故事は、大型のもの程、反面もろさを抱いているものと示唆。昨今でも事例多く。

 巨大システムではないが、自己の細やかな体験でも、僅かのミスが莫大な損害を招いた経験。

 “蟻の一穴”は技術領域の問題のみならず、組織体に於いても往々にして見受けられる。放送・銀行・鉄道・電力・自動車・通信等、あらゆる産業界で容易に事例(いや、事件と言うべきか)は見つけられる。当事者達にすれば、“上手の手から水が漏れた”と思っていようが・・・?

▼ 2006/ 02/ 17

「赤穂義士 觀」

祖父の遺した明治時代の月刊誌「日本と日本人」明治43年元旦号に47名士の義士觀特集あり、今日でも万人の興味どころゆえに少々抽出し、ご紹介。

▼ 2006/ 02/ 10

「徒然草」

 「つれづれなるままに、 日くらし 硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」なる全文243段に亘る吉田兼好の徒然草の序文は、文字面では人口に膾炙かいしゃされてはいるものの、現代語解釈ではかなり幅があり、大方の学生達は何か心にしっくりしないと感じている様子。研究書や辞典類でもその解釈表現にかなり差があり、それぞれの解文には少々うなづけるも、特に“あやしうこそものぐるほしけれ”は難解。

いくつか並べ味わっていくうちに、“どういう訳か落着いた気持ちでは居られない”が個人的にはフィット。 さすれば、この表現は偶然にも、本欄の出会いのカタチの下書き時の心情にそっくりと感じ、本稿をそこはかとメモ。 技術開発分野の調べ事・考え事の合間、つれづれの間に、気付いた今時の事柄を過去の流れに重ねてみたり、ある時はこれからの有様に想ひを廻らしたり、理由もなく心が揺らぐ感じを、言葉や文字で適切に表現し得ないもどかしさとその増幅。 それを前向きに捉えれば、そこはかとなくを脱して、はっきり意識を伴ってとなって、いつの間にか300話余に至ってしまったのか・・・。

“あやしうこそものぐるほしけれ”を正しく体感し、それを超えて“否(non)ものぐるほしけれ”域に至りたいと感じつつも・・・。

▼ 2006/ 02/ 03

「粉まみれ」

 粉体は化学・電子材料・医薬・食品等、広範囲に利用されている。 材料の機能発揮には、粉加工技術がポイントであり、ナノテク分野では欠かせない要素技術として注目。

求めた訳でもないのに、顧みてにはかなりご縁があった様に思える。 生家の醸造には麹菌。蕎麦や煎り大豆(黄な粉)は石臼で。 どこかで手に入れた硝石があったら硫黄・木炭を混ぜて・・・原料粉を混ぜて磨り石で粉にする危なさ知らずの小学校時代。 高校の化学クラブでは教師に隠れて、爆薬ピクリン酸の合成を試してバーン! 大学卆研で石炭の液化/毎日乳鉢で微粉砕作業、やっと袋いっぱい貯まったところで自然発火/炭塵爆発にならなくて不幸中の幸ひ。 社会に出てから、防食コンパウンド用白アスベストに触れたり、エポキシ樹脂配合物に関わると無機質天然フィラー(タルク、炭酸カルシウム、焼成シリカ等)に、やがて導電材料へとなって金・銀・銅の粉、更には又々黒いカーボンブラック・グラファイト粉に。 液体(モノマー・オリゴマー類)を粉にしようとマイクロカプセルの事業に関わり、更には深層海洋水の脱塩(塩化ナトリウム)プロセスの開発によって得られた天然の総合ミネラル粉を事業化したりと。 更には燃料電池用電極材料のカーボンナノチューブや電池用光触媒の酸化チタンにも触れているとなると、誠に人生粉まみれ。

粉サイズもどんどん小さくなり、サブミクロンから今やナノクラス。オングストローム級になったらどうなる事やら。

▼ 2006/ 01/ 27

「地震時の時間的猶予」

犯罪者への執行猶予は○年○ヶ月レベルなれど、地震発生時にはその猶予時間は分秒を争う。若し地震発生前にその発生の予知を得んとし、P波のキャッチが可能となり、新幹線のブレーキ作動に成果を挙げている地震による石油コンビナートの火災は、十勝沖地震時の出光石油製油所での事例を見ても、大都市近郊であったらばと懸念は膨れるばかり。1970年代、米国陸軍技術で、高熱に曝された時、瞬時に発泡層を形成する断熱性カーボン塗料があり、その狙いは砲弾が熱くなり爆発するまでの時間を稼ぎ、その間に人は避難出来ると。同じ発想では、アスベスト耐火セメントモルタルによる鉄鋼構造物の耐火ライニングがある。又、江戸時代、華の火事の延焼防止帯を設ける打ちこわしも一種の時間稼ぎ。

時間的猶予を秒から分へ、分から時間へ、時間から日月へと進む(延びる)程、人の安全が増えるのは明白。気象庁は地殻の変動測定を中心に観測している様だが、素人的には電磁波作用による地震雲や生物の異常行動等の系統的研究解明を早急に願いたいところ。東海大地震・南海大地震が近いとされているだけに、その時間的猶予も少ない。

▼ 2006/ 01/ 20

「技術開発には漁師の心得(二)」

【開発進行】
さて開発段階に入るも、技術の大海、方位に暗くては難破は必至。
海の事は漁師に問えとは言うものの、漁師にも海千山千あり、
その中より水魚の交わり級漁師と触れ、
船は船頭に任せてさぁ、船出。

ところが、海のつもりが、手も足も出ない形の干潟の鰯
さればと待てば海路の日和かなと決め込み、
逃がした魚は大きい経験を二度三度。学んだ中から
目から鱗が生じ漁夫の利を感じ取り、
とどのつまり一網打尽
大漁芽出度し

このあと、調理(捌き―味付け―盛付け)―配膳と進む。


(本文の、駄洒落的こじつけ、少々ご容赦下さい。)

▼ 2006/ 01/ 12

「技術開発には漁師の心得(一)」

【テーマの設定】
百川ひゃくせん海に朝すとばかりに技術の潮流を眺めるも、現実には
柳の木の下のドジョウと手堅く(?)現実にのみ目が行き、
カニは甲羅に似せて穴を掘るしかないと心得
鯛もひらめも喰うた者のみが知る筈とばかりの心意気でテーマ決め。

【開発マインド】 開発段階に入り、その心得・心理は
鰯網で鯨を捕る如き見当外れの開発計画
猿の水練・魚の木登り如き無駄な出鱈目行動では成果覚束無く、
もともと魚の目に水見えず、人の目に空見えずを知って、
エビで鯛を釣ろうそしてカニを喰うなら手を汚せと。

▼ 2005/ 12/ 28

「にせもの」

偽物あり贋者ありと、世の中にせものに溢れている。横田めぐみさん偽遺骨事件・食材の産地偽表示(松茸・貝類・米など)・金券類の贋作(紙幣・道路通行回数券)・証書類(パスポートなど)・更には衣料装身具類の偽ブランド品と、星の数程存在。殊に日本企業の海外での模倣商品流通被害は、中国・韓国・台湾地域で極めて大きく、更に、知的財産権(商標・意匠・特許)全体では膨大な額に達すると言われている。商標分野の事例では、SHARK、TAYOTA、PARESONIC、HITTACHI、PIQNEER等驚くばかり。とてもWTO加盟国とは思えぬ経済活動ぶり。取締りのスピードも遅いとなると、企業自らの防御装置が求められ、ハイテク技術を組込んでの工夫の数々が出現。

とは言うものの、疑似餌で賢い魚を騙している人間が振込み詐欺に容易に騙されるとは・・・。又、食材も堂々と正面から『かにもどき』『いくらもどき』等。これらはにせものの範疇に入るのかな? 女性の身体美を創り(造り)出すブラはにせもの補助材? 本欄、居酒屋での話題に好適と自讃しますが。

▼ 2005/ 12/ 21

「危険度今昔」

昔の子ども達は日常的に小さな危険と隣合せの状況下にあったものの遊びを通して自然に危険を克服していた。

これら仲間遊びでは、必ずリーダー(餓鬼大将)が居るので、その指導が適切であったもの。それでも真の危険と言えるのは、無造作に置かれた農薬、刈草の下に潜むマムシ蛇、足の傷から侵入する破傷風菌、家畜の牛の角・馬の後足など。

一方、今の子ども達の危険は何だろう。ディスプレー機器(TV、ゲーム機、ケイタイなど)の氾濫による視力低下、食品添加剤(防腐剤・着色剤など)の蓄積による健康障害、過食脂肪過剰問題、登下校時の交通危険、通り魔との遭遇などなど。社会の変化に危険も変化。今昔を比較すると、昔―自然が相手、今―人・人工物が相手。

▼ 2005/ 12/ 14

「変身」

 以前、TV番組で“変身〜、ライダーキック”なる子どもパフォーマンスが流行した事があった。人に限らず、物・事・組織等も様変わりする例は多々。

 等々、個々の例は無数にあるが、何と言っても産業構造の変身が、すべての人にその影響を与える事になる。重厚長大→軽薄短小、ハード中心→ソフト中心、老齢・福祉分野、量産性→環境要素等の変化を眺めても、流れを見つめ、流れに乗り、成長し、更に変身に努める事が求められている時代と実感。銀行の大合併、不動産分野の外資化、汎用化学品から特殊品へ等々の大潮流。旧独国大化学会社ヘキストのアベンシス社の製薬会社への変身、旧GEの金融業体化への変身は劇的。日本でもJSR(旧日本合成ゴム)の精密・機能性化学品への特化による成功も大変身と言えよう。政治家の構造改革こそ潮流の源。さすれば選挙時の候補者の一時的変身には分別ある視力を向けないと新潮流を起こせない。

▼ 2005/ 12/ 07

駕籠かごに乗る人かつぐ人その又草鞋わらじを作る人」

 昭和40年頃、合成樹脂による防食・補修工事のベンチャーに従事していた。一見、小粒の末梢的工事物件であっても、明日の大仕事参入を夢見て正面から取組んだ。

 一見末梢的役割であっても、それが不調であれば、如何に巨大なものであろうと完成の域に到達出来ないと知った。又、世の為にならない仕事なんて一つも無いのです。

▼ 2005/ 11/ 28

どん

 “愚・鈍・根”は、「事を為すには、人生の極意には」の心得として、名格言とされている。熟年の自身に照らしてみると、心当たり大なり。鈍なる性格が、実をもたらすこの格言を知らずに過ごしていた。軽々しく行動しないのは良いとしても、程よいのろさ・にぶさ・愚直さは性格から来るものなのか。

 子ども時代、家業の労働を通して我慢・忍耐が身につき、禁止事項のみで囲まれていると精神的不器用さが育つのであろう。長じて社会に入る前の研究生時代、連日の石炭の乳鉢すりつぶし作業で真っ黒け。黒に反発して白物の石油―合成樹脂に興味が移ったのは不鈍か。それでも、この事が基になってベンチャーに出会う。あれもこれもすべてが未経験の世界なれど、若さと鈍性で前へ前へと。殊に技術開発の分野とて昼夜なし、脇見もせずに不器用に懸命に、そして愚直に。組織の中とて、自然に奉仕の精神・人の和等身に付き始める。気がつくと、時代の流れ・産業構造のうねり・技術領域の多様化・国際化等の要素が押し寄せて“運が開け”、やがて人並の産業人・企業人として生活出来るようになった次第。

 「鈍」は金属の世界では焼鈍―方向性電磁鋼板の製造に於いて、その中の窒化アルミの二次再結晶の為には10℃/時間オーダーのゆっくり制御と、この後不要な窒素やアルミを抜く鈍化焼鈍の工程があり、冷却工程も入れると延一週間かかるとか。軽々しく急いでは、結晶粒が成長し揃わないとの事。でも、超急冷によってアモルファス化で別の特性期待もあり得るかも。

▼ 2005/ 11/ 21

「運ぶ」

 物を「運ぶ―移動させる」のは日常的行動。生家の醸造場での作業は思い出クラス。搾り工程前の泥状の“もろみ”を桶を肩かつぎで何十石(約18リットル/こく)も。製品の酒・醤油は4斗樽―牛車に載せてゆったり輸送。かの名機ゼロ戦の試作機も名古屋から岐阜・各務ヶ原まで牛車で、傷付かない様に運んだとか。

 人は物を運ぶ時、頭に載せる、肩で担ぐ、背に載せる、銅に巻き付ける、手でぶら下げると色々。日本人プロレスラーがアフリカの村で少女と水運びのTVドキュメント番組、少女は10リットルを頭に、体重3倍以上のレスラーは両手に20リットル、約3キロの道のり、レスラー途中でアップアップ。一人よりは二人の方がと棒とむしろを組合わせた“もっこ”は今でも急病人搬送用に利用。2人でも重いとなると、車輪の登場。とは言っても軸強度の限界からコロ棒や修羅(木製そり)に頼ったのはピラミッドや大王の石棺造り。クレーン車なんて無い時代。醸造機械(大型鋳物製)の据付作業はコロ棒が活躍。

 人手―陸運となると水運(?・船)が出てくる。千葉県野田地区は江戸への醤油出荷の為の水運路に恵まれた理由によるのも頷ける。水となれば空が続いて出現。スペースシャトルを背負ったジャンボ機なんて究極の“運び”か。スペースシャトルの荷物室への積込みも背負子しょいこなど、ひょっとして使っているかも。製造業に就いていた筆者は経営的に学んだ事に「横持ち作業(物品移動の手間)は利益を減らす元凶」と。合点!

▼ 2005/ 11/ 16

「ある新規事業の顛末」

1.S社は電装品用絶縁材料を開発。電装品メーカーR社に採用される。

2.R社の生産が増大し、生産能力不足を補う為、Sにも生産依頼あり、Sは下請として町工場M社を指名。育成に入る。

3.当初は順調に推移するも、徐々にM社からの納品が滞るようになり、密かに調べるとRの競争会社にM社は同類品の生産・納入を開始していた。

4.Sとしてはやむを得ずM社との取引を中止せんと、自社内に電装部品生産部門を設けることにし、専門技術者を5名程、大企業よりスカウトした。

5.新部門は順調に生産・拡大が為され、顧客の数も増え、経営上の主要部門に育ち始めた。

6.その様な時期、ある時、主要顧客のK社から実体も曖昧なクレームを口実に“品質管理監査”を理由に生産ラインの立ち入りがあった。

7.それから5ヵ月後、K社から突然の発注全面停止通告。K社の自社工場内に製造ラインが設けられていることが他社情報から判明。

8.追討ちをかける様に、S社部門責任者(スカウトされた入社組)がスピンアウト。ベンチャー設立。一部、K社への納品も始める。

9.S社はこの種の事業から全面撤退を決める。  

エピローグ―“

(あつもの)に懲りて(なます)を吹く”ムードがS社内に満ちて、電気・電子分野のテーマ・商品がマイナーに押しやられ、この反省に入ったのは昭和50年代であった。とどのつまり、“企業は人なり”。

▼ 2005/ 11/ 02

「汗 二題」

 “人は考えよ、そして智恵を出せ、智恵も出ないなら汗を出せ”と聞かされた。スポーツの汗と異なり、仕事上の汗は思い出の源。

  1. 工事部門責任者として着工初日の挨拶をと参上。現場の石油工場通用門には、工事用サンドブラスト用砂袋(30キロ入袋)が5トンほど、門側の空地に積み上げられており、会社側から激しい叱責。運送業者が勝手に荷下ろししてしまった結果。下請チーム未到着、やむを得ず、リヤカーを借り、夏服を脱いで200メートル程離れた現場まで炎天下の一人作業。その時の汗の量、その日のその後の事は思い出せない。それでも何よりも幸運だったのは俄雨が降らなかった事。紙袋が濡れたら大変。
  2. 営業成績が最悪の状況下、畢生回復的受注商談に賭けんと、ようやく手にした手札を懐に勇んで赴くも、タクシー乗場は大行列。それも動かずの状況。ならば約4キロの距離、炎天下なれど歩こう、と決め速足で、流れる汗にも気持ちは商談詰め一点に集中。気がついた時には大きな注文書が手の中に。帰途、夏スーツ下の汗ミドロのワイシャツも気にならないほど、ベンチャー会社の社長の笑顔を思い浮かべながらの帰社。

 昭和40年前後の思い出。携帯電話、発注電子システムなど無い時代。最後は“汗出し”になるのでしょうが、油汗だけはご免蒙りたい。

▼ 2005/ 10/ 24

「新入社員研修」

 昔、ベンチャー企業に入社、直ちに1ヶ月間諸々の研修を受けさせられた。当時、給料遅配が出る位、業績が軌道に乗らずの時期なのに、新入りには“鉄は熱いうちに打て”とばかりの教育。遥か後年、振り返ってみると、身についたもの、強く印象に残っているものが改めて判る。技術知識・販売知識などは、基礎的なものだけに、吸収され消えてしまっているが、下記の2項は昨日の如く残っている。

「虻の話」
 どこから迷い込んだか一匹の虻。
 戸外に逃れんと障子めがけての体当たり。
 何回も繰り返す頑迷さ。
 それでも外に出られない。

 この話は、昔金儲けに明け暮れ成功したものの、自分の生き方、目的に不審を抱き、考えあぐねた末、風外という禅僧を訪ねて教えを乞うた時に訓された寓話とのこと。即ち、執着心に振り回されて自由さを失っているのを諭されたのです。闇雲な行動を戒め、広く深く思考して行動に移ることの大切さを説いています。

▼ 2005/ 10/ 17

「元素周期表」

 最近知人から、ポスターサイズ(60×40センチ)のフルカラーの元素周期表を頂戴した。それまでは稀に必要なとき、理化学辞典の見開きにある色気もない表を使っていただけに、壁がにわかに華やかになった。

 周期表はロシアの化学者メンデレーエフ氏が1869年、当時判っていた63種の元素に周期的に変化する法則があるのに気がついて表にしたもの。空欄箇所の未知の原子が2種発生し、その存在を予言した。それが6年後にガリウム(Ga)、17年後にゲルマニューム(Ge)が発見され、予言通りとなった歴史あるもの。

 最新の周期表は、1番の水素(H)から103番のローレンシウム(Lr)まで記載あり。“自然も暮らしもすべて元素記号で書かれています”とのキャッチフレーズで文部科学省が製作したもの。更には科学部門のノーベル賞日本人受賞者9名写真付きは子ども達への科学への動機となればとの当事者の想いが伝わってくる。

 個人的には、最近の合金の多元素化、金属とドープ処理、金属イオン化、錯塩、金属ポリマー、生体金属、触媒等々、ハイテク材料が直接間接的に金属元素に絡んでくるとなると、その理解への一助に周期表は手軽に便利。

 子が子ども部屋でアイドル写真と並べて貼り付けてくれたら、親は嬉しい――と感じるのは小生だけでしょうか。

▼ 2005/ 10/ 11

「遵法」

 映画“悪い奴ほどよく眠る”とばかりに、企業内には、いつの時代でも眠る輩が多く居る。

 社内の一個人・一部門レベルに止まらず。会社規模では、食肉脱税事件やトラック排ガス処理装置データーごまかし事件、米産地表示米事件等、十指に余る。更には複数社が手を組む談合事件(シリコーンシーラント・二軸延伸ポリスチレンシート・ポリオレフィン・加えて道路公団の鋼鉄架橋事件等)の頻発。

 そこで各社は社内に委員会を設け、行動規範を策定し、教育研修会を推進するなどして、“問題を生じさせない、育てない、見逃さない”コンプライアンス強化の姿勢であるものの、日本独特の企業内村部落意識と業績評価とが相絡まってくると、その是正は容易ではない。正しい奴ほどよく眠れる睡眠薬の処方箋が今求められている。

▼ 2005/ 10/ 03

「開発道」

 日本人は“○○道”が好き。“術”を“道”に換えて、術を超えたところに道があると信じている。術は単なるテクニックであり、道は精神に裏付けされたテクニックだと。餡(精神)のない衣(テクニック)だけの饅頭なんて…と。その精神は厳しい修練を経て、四正(心を正し身を正し行ひを正し世を正す。箴言より)の精神に充ちてこそ、それが道なりと。永きに亘って先達の積み重ねてきた技を昇華させてこそ、そこに道が生じ、それを発展させるのが人の使命だと。

 さすれば工業技術の時代、そこには研究道・開発道が在って当然と。世の為の研究開発なれば、

術レベルでは
 少ない出費(人・金)で効率よく、
 効果・波及性のより大きな課題を、
 成功・普及させること。

〔道〕域に至っては
 それが自らの創であること
 共の人々と相和した状態にあるか、
 そして、そのプロセスは誇れるものであること。

 斯様に捉え眺めると、新しき〔道〕派の出現も楽しみ。

▼ 2005/ 09/ 26

「事業化(二)」

 前報の事業化(一)から年月経て特殊化学品業界も、シーズオリエンテッド型からニーズオリエンテッド型に推移し、俗に言うところのニッチ商品として、工業界に於いてもかなりの地位を占めるに至った。そうなってくると企業形態としては、@発明機能でA顧客のソリューションパートナーの姿勢でB自社生産機能で――発展して行こうと考える様になる。前報では@のスタンスでAに気づかされた苦労を味わった次第なるも、A型企業が、雨後の筍の如く乱出してくると、必然的に@のスタンスは多少保持しつつも、ソリューションへの必要技術/入手可能なより高度な素材/勢力(?)範囲の顧客、を勘案して事業化を推し進めようとなる。

 ここでポイントは誰(人)が勘案するかだ。それは深く技術を知る人の集団の長に鳥瞰の才の者の存在が欠かせない。それは用途の多様性を感じとれ、ニーズ動向を読み、自社技術の現場とその潜在力を把握出来ている人のこと。勿論、企業毎にその体質があって、機関銃型・狙撃型・バズーカ砲型など、いろいろ。又、ニーズは得てして顧客側のワガママ要素も多分に含まれているので、うっかりすると事業効率を損ねてしまう恐れあり。望むべくは、自社技術の連鎖‐その複合環の中に、ニーズを閉じ込められるものなら、それは高効率と。

 ニッチ商品の販価は、製造原価に基かず、顧客に与える(生ずる)利益の度合いによって決められることは言うまでもない。それは又、発明度に関わるだけにR&D/事業化のトップの悩みはここにある。

▼ 2005/ 09/ 12

「先覚者」

 先駆者はどの分野でも存在するも、先覚者となると少ない。文字通り“目覚めた人”を指し、それは単に点・線上の域に止まらず、面・立体領域を自覚した人のことと。胃弱の父が常用の消化薬「タカジアスターゼ」の開発者、高峰譲吉博士はまさにその人に当たる。その人生の波乱万丈は、同じ化学分野に就く陳者にとっても全てが衝撃。

 明治維新の頃に学び、明治時代に化学の分野で先進国米国で技術ライセンス型事業を通してアメリカンドリームを果たした同氏はまさに先覚者と言えよう。

▼ 2005/ 08/ 31

「事業化(一)」

 本欄の“ニーズとシーズをつなぐ”なる主題について、細やか乍ら昔の私体験を顧みた。

 当初は、エンジニアリング用特殊化学品分野の某ベンチャーに籍を置くも、その独創性が強い程、既存技術との比較に於いて、客の理解が得難く、更には設計変更の煩わしさまで見えてしまう故か、中々に普及(販売)が進まず、その市場の何たるかを知るにつけて、独創度評価も低くなって来、独創(シーズオリエンテッド型発明)とは独善の傾向が強いものと知るに至った。

 それでも多くの人々と接している内に、当該ベンチャー品の利用周辺部位に種々の問題が存在するのを知った。それはベンチャー品が周囲部位から受ける要素、ベンチャー品が周囲に与えてしまう要素、更には前記要素に関わらないものの現実に存在する技術問題・不都合の要素など。殊更、量産組立分野となると、物理的化学的特性値のみならず、工程組み込みたる作業性の優劣もコストの点で重要であることは、一般の発明者達は見落としがちになるところ。そして、これらの顧客側情報に頼って、改良改善が計られ、その途上にジャンプ発想(大幅な発想の転換)等も生まれて来るようになる。そのところに、独創を事業に変態させる鍵があったものと知った。

 磁石のN/S極は近づくと瞬時に連結するが、このN(Needs)/S(Seeds)はNが強い程Sは反発するところを体感。しかし乍ら、或る種の細工が連結を齎す様だ。それが事業化への道となる。

▼ 2005/ 08/ 29

「役職名/肩書」

 戦前には“末は大臣・大将か”などと子達を煽り、戦後は“やがては社長かノーベル賞”となる位、人は肩書・役職に渇望する様だ。何万人の従業員が居ても社長はたった1人となるとこれは大変。社員から見れば総理大臣より偉い人。

 工業材料の某メーカーは、地方各県所在の営業所・出張所をある時一斉に分離独立法人(株式会社)にしてしまった。その理由は「その地に根を下ろして経営者として頑張れ、そして社長の肩書名刺は先付小切手の様なもの。更には親族・知人達からも敬意が払われ、人生更なる自信も湧いてこよう」と。同社の責任者会議では「社長ーっ」の声に大勢が振り向くとか。それでも彼等の子女の婚儀で「両親紹介の時には面目を施した」との声がもっとも多くを含めたのを聞くと、むべなるかなと合点。

 役職は組織上の責任領域を示したものとなると、当然ながら「長」に従う責任分担スタッフに便宜上いろいろな形容詞的文字が付けられる;副・次席・代理・補佐・心得等々。それでも最終責任者は総(中核)本社なので、副社長が仮に10名居ても社長の名に勝てる道理なし。社員は皆、役職肩書渇望人ではなく、業務にのみ関心ありタイプも居りましょうが、心性は“人は他から認められたい褒められたい”とする時、役職は一つのバロメーターと言えるかも。それにしても陳者は理事長・幹事長・経理部長の名刺を作れませんでした。そして総本社の社長のも。

▼ 2005/ 08/ 05

「事故・災難」

 事故・災難は突然に天から降って来るか、地から湧いて来るように見える。いや、殆どのケースは当事者達が直接・間接的に誘発したもののようにも見える。不思議にも10年に一度のペースで化学工場の失火体験4例を持ってしまった。

 化学品製造部門の昭和30年代―レジンの溶解工程の有機溶剤ベーパーが地を這う如く、二重扉遮蔽の防御域を越えて、バーナー炎に到達、そして消防車。

 40年代には工場内浴場の重油バーナー用電磁弁の不都合を放置(一部の工員は認知していた)した為、ある時重油吹き出て、そして消防車。

 50年代には、装置/建物の温度感知を鋭くしすぎた結果、狼少年の譬、本当に発火時に対応遅れ、そして消防車。

 60年代、特殊固形樹脂を融解中、工員の手抜きから部分的に過熱が生じ、消化水/消化泡/粉、何れも効果を示さない連鎖的自己重合反応によってコントロール出来ず、そして消防車。専門家ですら、こんな反応が生ずるとは知らなかったという代物。

 工事・エンジニアリング部門の時は、高速道路施設補修工事終了し、片付け中の工事車両に若者の暴走車が激突し、臨時雇いの若者が犠牲に…。惨!

 鉄製水槽の防食工事―前処理工程での換気不十分により、作業員睡眠状態へ。やがて救急車。その甲斐もなく…。惨!

 何れのケースも当工事部門の最高責任者として辛い思いあり。その都度あれこれ反省するも事故・災難は次々と襲い掛かって来るのが現実。故人の冥福を祈るのみ。

▼ 2005/ 08/ 01

「箸か手づかみか」

 日頃、何気なしに使っている箸が、ものすごい機能を持っているのを改めて知った。摘み上げる・挟む・運ぶ、のみならず、混ぜる・切る・割く・包む・乗せる・解すなど。しかも片手操作だけで。ナイフ・フォーク・スプーンの欧米人とて最近は箸評価を始め中。最近のTV食べ歩き番組で見る、箸を正しく扱えない出演者は興醒めだ。箸を美しく使う人は、その食べ物も美味しく見える。美しい使い方はマナーに沿ったもの。箸の不作法を少々列記して自省もしたいところ。  とは言うものの、本ホームページのこの欄の心は“色もいろいろ・香もいろいろ・味もいろいろのお惣菜(情報)小鉢をご用意致しました。どうぞ箸の作法忘れて、いや手づかみでもどうぞ。”の気持ちです。 ボナペティ!
▼ 2005/ 07/ 21

「道具寸考」

 人間たる所以に、人間は道具を造り道具を使うことにあると。石器に始まり、木具から金属具へと進み、更にそれらを組み合わせて道具とし、やがて機械レベルに至り、それに電気が組み込まれ、それもやがて電子作用による道具となるも、それすら光道具に変換しつつある今日。

 では全てが電子・光になってしまうのかと思いきや、人の身体で言えば、光や電子は頭脳・神経を司り、筋肉は電気・石(骨)・木(生体高分子)が担当するものと思える。石や木は旧いもの、光や電子は新しい高級ものとの見方は誤りで、単に役割分担の問題と捉えたいところ。昔の工場で倉庫係が低く見られたが、今日では物流部門として研究開発、生産部門に劣らず、いや、それ以上の花形と評価。人体で言えば足腰に当るのに、昔は理解されていなかったのですね。

 これだけ高度に発達した道具(機械)技術界にあっても、『愛・地球博』出品の江戸時代の万年時計(万年自鳴鐘)の特殊歯車の構造とその精緻さには時計技術のトッププロ達も脱帽の様子。「快なり」でした。万年時計製作者、田中重久氏が今日の電気・電子・光技術を知り、応用したら、どんな新規性の道具を創り出したことでしょう。同氏が東芝の創始者とは知りませんでした。(東芝前身の田中製造所を明治8年創業)

▼ 2005/ 07/ 11

「咀嚼と齧り」

 雑穀入り米飯は終戦後迄続き、子供達にとっては美味しいものではなかった。よく噛むんだよ、早く食べるんだよ、と戸惑う様な躾言葉があっても耳念仏。現代はよく噛まずとも喉を通るハンバーグ・カレー等多く、ファーストフードの風潮に乗せられている。

 専門家に聞くと、唾液にはデンプン分解のアミラーゼ、美味しさを出すガスチン、殺菌作用のリゾチーム、若返りのホルモンたる成長因子が、極めつけは活性酵素(ガンのもと)除去のペルオキシターゼが存在していると。そして噛むほど大脳機能が活発になって来るので老化予防にと。牛乳ですら噛みながら飲むと効果は変わるよと。でも咀嚼せずに喉ごしの楽しさを求めるそば・うどん・水もち等には唾液が混入する間もありませんね。又、酸・甘・塩・苦の味の生理学的感受と歯ごたえ感なるところを重視し、栄養/吸収は二の次なる風潮がある様だ。

 するめを「アゴ強くん」とネーミングする商品がある一方、仮に、栄養は点滴とチューブで、舌の味蕾の刺激は特殊光線刺激で済ましたら動物はどう進化(退化?)するだろうか。縄文人の下あごの骨の丈夫さは現代人のそれより遥かに頑丈とのことからすれば、自ずから結果は容易に想定出来る。食品に限らず、現代人は面倒な咀嚼を避けて、聞齧りに端を発しての生齧り、丸齧り型に変身、いや、変骨中。本欄各項も多分にその傾向あり。反省…。

▼ 2005/ 07/ 04

「ナノテク・ロードマップ」

 今や、ナノテクに触れずに研究開発を語ることは出来ない程、あらゆる分野でナノテクはキーワードになっている。〔情報・環境・健康〕社会を達成する為の切札的基幹技術となると、自己が・自社が・自組織がどの様に関わったらよいか、いや、関わるべきかの認識が極めて重要であることは論を待たないところ。

 そんな状況下、ナノテクビジネス推進協議会(NBCI)から要素技術と時期が製品開発用に提示され、座標軸と方向が企業人にとっても捉え易く、又、他機関との連携(コラボレーション)も進められる程、「道」が示された。それもエレクトロニクス・バイオ・エネルギー以下8分野22ワーキンググループに亘っており、自動車ドライブ用道路ナビシステムの如く、専門家達が先見能(脳)を発揮して「ここに道あり、この先には…」と示されたもの。但し、この道路は既成の道を単に表示しているに過ぎず、計画路線を走行することは勿論不可。

 ナノ・ロードマップは全て計画路線。しかし乍ら、必ず道路が出来る保証もないし、又、競争的敷設(早い者勝ち)の原則ゆえに、単独での独創性の発揮や、適切なコラボレーション等が早期に求められる。それだけにトップの俯瞰力とミドルの執念、メンバーの汗の量が求められよう。今や、企業の力が試される踏み石がナノテク分野とも言えよう。

▼ 2005/ 06/ 27

「不採用」

 就職試験のことではありません。社内での技術提案の不採用経験は技術者としては鬱屈を引きずってしまうものです。それも後日、他力でも花開くと、影で一人北叟笑み、自己満足を得て気持ちは穏やかになった次第。

 社内の審査・評価に当って技術系は独創度の高い提案程反対票(不採用)、販売系は目先の市場のニーズ度が低い程反対票。時を経るに伴って、ニーズが顕在化してきたり、難度を解消する新技術が見つかったりしてくると、自然に(いつの間にか)正式に商品化が進められ、発売時になって初めて知る事になったケースはいくつも。

 時効ものの下記事例(昭和30〜50年代)、全て成功した訳ではないが提案時は最先行であったこと、後日判明すると自己小満足を覚えた次第。

 最近、某研究機関が発表しておりましたが、昭和40年社内発表しておりました。

▼ 2005/ 06/ 20

「一寸先は光か闇か」

   光(一)
 大工場にセールスで参上するも、なかなかポイントの人に会えず、木陰で一休み、側の背広姿の年配者と何気なしに会釈と少々の会話。そして驚いたことに同社のご重役。加えて最新情報を開かせて下さいと要請あり。後日、大きな問題提起が通知され、やがて共同開発へと。

   光(二)
 米国の大研究機関の来訪あり。偶々直属上司が不在で、代理で出席対応。同席の重役からその場で“この者を早速米国貴所に出張させますから”と発言あり。これを機に海外機関との連携活動の世界に足踏み入れた。

   闇(一)
 大工場建屋の屋上防水工事で、夜間の突風で防水用シートが飛ばされ、雨水が工場制御室に進入寸前となり、大騒ぎ。天気予報を軽く信じた結果は費用と信用の損失となる。


 人生の組み立ち要素は偶然か必然かを自問する方は多い。どうも個人の努力・能力が及ばない偶然なる網、いや、靄が覆っている様に思えてならない。だからと言って、唱歌“待ちぼうけ”の様に、一休みのところに兎飛び出て木の根っこに当って労せずして獲物が得られた故事に頼ると、靄が土砂降りの雨になるかも。防水具をしっかり用意しておきましょう。

▼ 2005/ 06/ 13

「もったいない」

 ノーベル平和賞受賞のケニアのマータイ女史。訪日、京都議定書記念国際会議に出席した折、日本語の「もったいない」を知り、そのままキャンペーンワードに揚げ、国連に於いても声高に物の大切さを説く。何気なく日常語として使っていたが、改めて古語辞典で調べると、“勿体(物体)なし”は不都合・恐れ多い、に続いて惜しいの意味あり。太平記では、家統の継続を断ってしまうのはいかにも惜しい…から、未だ価値・命が残っているのを捨ててしまうのは惜しいものだと。

 面白いのは“勿体ある”なる語はないこと。では「○○ない」慣用語が結構あるのではと、いくつかつまんでみたら、「だらしない」「つまらない」「仕方ない」「見境ない」等々。どうも指導的・教訓的・心理的ニュアンスを包含した語が多い様で、ひょっとして仏教の「無」が絡んだ上での変化か、と勝手憶測。物の有難さを心底経験した戦前生まれ世代は、安易に捨ててしまうことが出来ず、どんどん溜まってしまう悩み人が多い。ファーストフード店での紙コップ・ナプキン・ストロー・パック紙・テーブルペーパー等、大量に廃棄されるのを見ると、マータイさんの植林努力を無にしてしまうのかと反問したくなる。禅僧の食事は水さえも無駄にせず。快適・便利を少し犠牲にする心があれば、もったいある社会になるかも。

▼ 2005/ 06/ 06

「社内教育」

 JR西日本の尼崎脱線事故で、運転手への“日勤教育”が問題視されている。利益優先の経営方針が管理組織通じて現場への圧力の結果と見るのが妥当の様だ。

 一般企業に於いて経営理念・社是が存在しても、中期経営計画/年度経営計画/利益目標/部門目標/…等が現実に目前に示されると、目標完遂の為の精神論が大きくなり始め、管理・運用面で様々の異常(当人達は大真面目に正常と信じている)な思考・行動が拡大して行くのが通例。上部からの評価を気にし乍らの行動マインドが、やがて虚偽の報告が積み重ねられる様になり、「自分達は頑張っているのに…」「もともと達成困難な目標を押し付けて来て…」等の思いと相俟って冷静な行動が取れなくなって来る。

 全体的には経営陣―中間管理者―現場の三層で水面下で歪みが生じ、地震発生の如く、或る時突然に噴出する事態に至る。経営側は全体主義的、現場は個人主義的な心根が本来存在するのを、どの様に「調和」させて行くのか、それこそTOPの責務でしょう。会社にとって都合の良い洗脳教育的管理よりも“正しい企業人としての教育はこの通りです”とし、1年毎の決算書に一喜一憂することなく、中期経営計画(3〜5年)を重視して社内的には“心のゆとり”ある姿勢のトップを希望するところです。

▼ 2005/ 05/ 30

「整理」

 子供時代から社会人に至るまで整理・整頓の標語が付いてまわった。現在では技術情報の整理で楽しく苦労している。超整理法なる本も眺めた。パソコン好きの人の話も聞いた。

 でも単なる分類整理ならそれでも良しとするが、何か閃きも得たいとの狙いがあると、単なる見出し・タイトル・要旨のみのインプットでは物足りない。そこで書籍・特許・新聞記事・商品カタログ・技術論文等々を暫定的に棚に納めて、関心テーマに沿って抽出。専用棚に納めることにした。テーマも確定的固定テーマ・仮設定テーマ・なんとなく気になるテーマ若しくは小分野に分類し、それぞれ棚・資料ボックス・小ファイルを設けて日常的に情報資料をドンドン投入していくことにした。書籍等分厚いものや、他テーマと重複する資料等はポストイットメモにして配した。

 パソコンは多数項に亘る多様な情報を、同時性・タテヨコ斜メ俯瞰するのには不得手の様だ。原始的(?)ファイルボックスを弄るプロセスが脳細胞を動かし始め、別のファイルに絡んで行き、閃きを発生させるのかも、と感じている今日この頃なれど、いつの日かディスプレーが折畳み屏風の如き鳥瞰型の出現を期待。鳥は、空から地を這う虫が見えるとか。

▼ 2005/ 05/ 23

「昭和を懐古」

 本欄の読者の方々より少し年配の筆者には、文芸春秋('05.4月号)消えた昭和特集記事に懐かしさを覚えたころに愛知万博のマンモスよりもアニメ“となりのトトロ”の「サツキとメイの家」復元住居に人気があることを知り、驚くも嬉しい思い。改めて手元保存のVTRを見る。手押しの水汲み上げポンプ・ブリキのバケツ・玄関のガラガラ音のガラス格子戸と限りない。あまりにもタイムスリップ感強く、次々と昔が走馬灯の如く浮かび出る始末。

 これらに若人達が感動する様は、流石、民族としての衣食住の精華ゆえと勝手解釈。やがては“平成を懐古する”なんて特集記事も出る時が来ましょう。

▼ 2005/ 05/ 16

「スパイ」

 スパイ映画はいつ見ても面白い。007シリーズ、ゾルゲ、ミッションインポッシブル、ニキータ…等、きりがない程。国家一機密となると、それを覗くのに直接的に前線で汗を流すのがスパイ(諜報員)、後方で情報を攫むのが情報組織。

 第二次大戦中迄は電信の解読競争。今日では、通信手段が電話・FAX・Eメール・インターネット等々で全世界を飛び交う。そこで五ヶ国が共謀して盗聴組織エシュロンを構築し、検索プログラムを開発し、覗き見アクセスにアクセク。当初は政治・軍事・外交情報であったが、東西冷戦終結と共に産業経済分野にシフト。国際入札等でも利用されたとささやかれている。

 当然の事ながら、発信側も暗号をかけて防衛措置を。旧ドイツ軍の暗号付加装置エニグマの解説を瞬時に出来る現代スーパーコンピューターと先進暗号システムの競争に。加えて電波信号から光ケーブル信号となると覗く側も大変。第2次世界大戦中、米軍はアメリカインディアン族の言語で通話して盗聴を防いだとか。日本でも方便早口となると他人には判らないし、数字は符丁で発音すればと思いたくなる。

 かのロスチャイルドロンドン支店も英仏ワーテルロー大会戦の勝利情報をいち早く攫んだ結果、その利益で社の礎を築いたとなると、いつの時代でも、情報スパイは人を刺激する。そのスパイも将来は透視能力者が主役となるのか、その予備能力者リストのスパイ活動も進行中か。

▼ 2005/ 05/ 09

「頑張れ!コール」

 人は、スポーツで・試験で・ビジネスで、周囲から“頑張れーっ”の声援を受けると元気になる。その証拠にサッカーのホームとアウェーの差。反論派は、人の保有能力は声援ぐらいで増えるものではない、と。

 増えないもののパワー発揮パーセントを増やすのが頑張れコールらしい。コール音波を精神的にキャッチする構造―共鳴機序―に関わっている様に思える。ひょっとして細胞/遺伝子にも関係しているのか、とも勘ぐりたくなる。人は元来、「褒められたい」「認められたい」の心根があることにも微妙に絡んだ心理―肉体現象に見える。遭難中の人が救援の気配を察するや、大いに生気を取り戻すのは一つの典型。

 “精神一到、何事か成らざらん”。エマーソン曰く“成功とは精神の別名なり”等は、昔の精神主義的表現なれど、競争社会では常につきまとっているのも現実。そのコールも騒がしいばかりが良しではなく、心が伝わるスタイルがTPOで多種ありましょう。安心感が出る様な、その人の身になって…、抱きとめる気持ちで…、結果を恐れないように…等々。

 “おだてりゃ豚も木に登る”。下品な例で恐縮です。

▼ 2005/ 05/ 02

「源流」

 中学一年の頃、従兄(高一)の供に、未整備の甲州・笛吹川上流の東沢の山渓を遡行した。教科書の一文に刺激されての行動。米・味噌・ジャガイモ・若布・毛布を担いで最初の一滴を求めての登行。

 人は今ある物・事象などの始まりが如何にあるのか気になる。いくつもの滝をよじ登り山嶺近くの滴路を見つけた時の感激。大河と言えども一滴から始まる例は無数。

 かの欧州連合(EU)は1952年第2次大戦直後に 仏・独で再び戦争が出来ない様に石炭と鉄鋼の共同管理体(ECSC)が設立されたものが発展変化した姿。世界遺産の“能”も観阿弥が創始者であるが、それ以前に神楽・散楽・声明という三つの源流が影響しあい、混じりあい、田楽や申楽が生まれ頭抜けた演劇集団の一つが世阿弥率いる大和猿楽の結崎座であったと。19世紀のヨーロッパの探検家たちもナイル河の源流はどこかと競って奥地に踏み込み、6500kmも奥に巨大な水源湖(ビクトリア湖)を発見したエネルギーも自然のこと。この他化学の源は錬金術に発していたり、東京大学は昌平校に因したりと全ての事象にはもと(源)がある。

 社会の姿、政治形態、企業の設立等々、それらの源に注目するのはあらゆる意味で肝要と思える。そこで祖先―家系図を改めて眺めてみると、今日の自己の生存の意義・意味が少し理解が進むようだ。

▼ 2005/ 04/ 25

「ビックリ」

 年の暮、突如鳴り渡る消防車サイレン。町内のS家。真昼間、家人も全員居たのに何故…。

 後で聞くところ、ビックリ。即ち庭で掃除のゴミ燃やし時、火の紙片が二階の窓から入り込んだものと判明。近くに消防署あるものの、管轄署は数キロ先の山越え地区。管轄から出勤要請がなければたとえ近くとも動けないとの事。そのせいか屋内全焼。

 なぜ管轄が山越え地区なのか、その理由を聞いて又々ビックリ。この町内は以前村営水道を引いていた関係で、水道―消火栓なるつながりからとの事。その後の地区開発・発展に伴って水道は県営に切替えられ、村営水道は廃止となるも、消防管轄区割りはそのままであった。社会の仕組みは歴史、習慣などによって組み上がっているものの、一つの要素変化が他の要素に複雑に影響を及ぼすものと、人は仲々気がつかない。30年以上在住の自治会の役員たちも改めてへーッとビックリ。

 そう言えば、神奈川県にある芦ノ湖の水利権は静岡県裾野市にあると。よって神奈川県民は一滴たりとも飲めないことになっているとはビックリ。今から330年前に静岡県の深良村が1300mの灌漑用水のトンネルを掘ったことに由来している。箱根町の火事に湖水で消火出来るのかな、と一瞬気になった。と、同時に「構造特区」も行政上の歪み取りの一種と気がついた。

▼ 2005/ 04/ 18

「変り身(二)」

 欧米の化学系大企業のこの20年間ダイナミックな変革によっての様変わりには驚き。当時の中小レベルのニッチ型日本企業にもその波紋は及んだ。偶々直接体験3例。

 会社そのものが商品という捉え方は日本人には未だ抵抗あり。オーナー、大株主たちのマインドによって競争の質の変化があるものと知らされた例。名より実を取ることが肝要と。

▼ 2005/ 04/ 11

「養殖」

 20年程前、企業の多角ブームの中で、高分子の会社がシラスウナギの飼育に挑戦――開発部内にその組織が組み込まれた結果、面倒を見ることに。高分子と生物バイオはあまりにも距離があり、したがって技術的理解が不可な状態では開発リーダーを暖かく見守るしかなかった。このテーマも偶々シラスウナギのえさの開発に成功したので、トップが前人未到のウナギサイクルの内、[成卵→シラス→稚魚]→幼魚→成魚のサイクルを成立させようとの目論見から始めたもの。3年経てやっとのこと卵→レプトケファルス様変化態まで進められるも、知財続かず又、専門家(?)の意見聴取などにより撤退を決める破目に。

 それ以来高分子材料に籍を置いていながら、生物の栽培・養殖ニュースは気になっている次第。上述のレプトケファルスも1999年3センチ級まで成功し、ついでシラスウナギまでの飼育に成功したとか(養殖研究所)。又、養殖不可能といわれた黒マグロも近畿大学水産研究所で27年かけて成功、商品出荷の段階。その他既に鰤・鯛・鮃・ハマチ・河豚などはご承知の如くの有様。

 こうなると陸上のものではマツタケが最後のテーマかなと。これも培養に菌糸を散布した布をアカマツの根に巻く方式で成功した岩手県岩泉町まつたけ研究所のニュースに触れて拍手。高級食材ほど企業は量産したくなるもの。そのエネルギーの結果が豊かに食卓を飾るもの。

 それにしても、撤退後の研究者たちの処遇には今でも心が痛む思い。

▼ 2005/ 04/ 04

「レンズ効果」

 水中では、物体は歪んで見える。これは水レンズ効果によるものと小学校で教えている。光を歪ませるのは水に限らないと、又歪むものも光に限らない筈と改めて眺めてみた。

 ゆがみを与えて、潜んでいるものを顕在化させる、なんて智恵者の仕業。智恵者は脳にレンズを持ち、その効果が“閃き”か。

▼ 2005/ 03/ 28

「変わり身(一)」

 自動車メーカーの合従連衡はすさまじい。化学品分野とて同じこと。世界的超大企業も事業転換に躍起。殊に機能性化学品、スペシャルティー化学品部門は分割切り離しの方向で、コモディティー品分野は合併・共同事業化・M&Aで規模を追う。リストラ・ダウンサイズ化事業体はやがて同業と連合、群が形成され、ついで群と群が融着し合ってニッチ品なのに大企業規模へと。

 最も劇的変身例はアベンティス社。独国のヘキストと仏国のローヌプーランの合併。いずれも総合化学会社なるも、合併後は生命科学を核としてそれ以外は分社か営業譲渡してしまう始末。独・仏といえば僅か(?)60年前には大戦争の相手国。また、著名なICI(英国)の変身も信じられないくらいの変態。医薬品アストラゼネカ社を分離設立、ユニリーバ社から買収して特殊薬品へシフト。

 医薬品への展開が世界規模で遅れをとった日本企業も、先行のナノテク素材と利用技術を武器に新規のメディカル品開発に注力。IT機器分野における化学品材料で優位を得んと画策中の日本ニッチケミカル品企業群でも、ここぞとばかりナノテク材料に注力、その果実は単にITに限られず、自動車、医療システム、エネルギーなど広く期待できると信じ経営資源を注入中。あと10年もすれば変身の結果が出よう。そして又、新しい合併連衡と分離と結合が始まるのは必至。流れに乗るのか流されるのか、暗中模索は続く。

▼ 2005/ 03/ 14

「科学教育に光を」

 一応理系と自任している陳者にとっていつも感心するのは大作の小説。それは根・幹・枝・葉が有機的に結びつき、隠れ、ある時は現れ、多彩な色づけと起承転結なるうねり、これらの積み上げは理系顔負け(?)の論理性。こう見ると文系・理系の違いとは何だろうと思わざるを得ない。

 もの造り大国を標榜している日本としては、理系離れが進行している状況に危機感を持っている。一説には算数嫌いが理科嫌いを引きずり、とあった。小学校時代の図画・工作などはある種の理系といえましょうが、中・高校に進むに従って特定の生徒たちだけの科目になってしまうのでしょうか。

 国としても、日本化学会が“科学だいすきクラブ”を立ち上げたり、国際化学オリンピック(2003年ドイツ、2005年台湾)への積極参加を表明したり、夢化学21委員会なる高校化学グランプリ大会を推進したりと懸命。機械類の分野ではTVのロボコン番組などは、スターウォーズの空中スクーター、007のスーパーカー、SFアニメの数々などに触発されたのか、低落は免れているやに見えるものの、科学分野は一見地味・暗いイメージ。化学構造式は目に見えないだけに厄介。ノーベル化学賞受賞者も出ているのに、理系/化学に注目が集まりません。光学プラスチックで大発明を頻発している小池博士(慶応大学)の光散乱ポリマー・屈折率分布ポリマー・非複屈折ポリマーなど集めて、化学教育の動機付けに光を当てるなんてわかりやすく目に見える形と思いますが…。

▼ 2005/ 03/ 07

「日本の誇り」

 35年程前、米国のある地方に一週間ほど出張した。仕事相手の方は日本人とは初対面とて興味津々。それではと毎夜の会食時にテーマを決めて夜話(?)をすることにした。一番短い自然詩“俳句”、動と静で対照的な“柔道と茶道”、古典芸能たる“能と歌舞伎”、日常生活と衣食“着物と料理”、そして当時の一般米国人には興味そそられる“天皇制と多神教”。

 今でこそパソコンで検索すれば動画情報すら得られるも、当時は東京オリンピックから東京を知っていた程度。幸い日本紹介の宣伝本を持参していたのが役立ち、俄日本学講座を務めた次第。地下資源貧困なれど水源と人的資源大国たる国土、そこに育まれた歴史と文化。殊には「和を貴び共生を旨とし信頼と感謝の念を強く持つ人々が日本人です」と。

 そして古くからの工芸技術が西欧工業技術と相俟って、もの造りにいそしんでいる表れの一つが、今本席(会食)にいる理由です、と挨拶を加えたところ強く笑顔のお返しがあった。相手への理解が進めば、信頼が生まれ、やがて友情に育っていくのは自然の理。この出張は後日実りあるビジネスに育っていったことは言うまでもない。それにしてもキリスト教徒には八百萬の神は驚きのようだった。

▼ 2005/ 02/ 28

「温故知新」

 古い物事を究めて、新しい知識や見解を得ること。科学の分野では、古木(4〜5000年以上前に遡れるとのこと)の年輪から、その年の気候が読め、グリーンランドや南極大陸の氷床コアから、その当時の大気組成が得られ、地層から大地の変遷や遺跡の年代が特定されたりする。また、湖底・海底などの堆積物の14C分析年代測定によっても過去を多く知り得、今後の予測が可となってくる。

 祖父の残した明治時代の総合月刊誌「太陽」「日本と日本人」「地球」など読んでも、今日の雑誌と比べて違和感無く、政治・経済・文化面ではダイナミックさに於いて劣るものでなく、唯、エレクトロニクスの要素が抜けているだけの感じ。当時と今日でも、所詮は「人」が作り出し動いた結果を表現したもの。先端的科学技術の分野ではAがB或はCに変化・進展したものの、人中心の分野ではAがAa或はAab程度でBに進化(?)はしていない様に見えた。殊に歴史の世界は精神・心理が絡んで発生・積み重なったものだけに、歴史は繰り返す――堂々巡りの感が強い。

 若し、光速以上のスーパー光で、宇宙に放射された先行の光をキャッチできれば正確に過去を知り得、より確度の高い将来予測が可かと。もっとも、スーパー光を手元に戻す技術が心配になります。

▼ 2005/ 02/ 21

「隠しごと」

 映画では黒澤明監督の「隠し砦の三悪人」、山田洋次監督の「隠し剣・鬼の爪」が面白かった。隠れ里・隠し部屋・隠し扉・隠し念仏など、古来から人は隠したがる。今日でも会社文書の隠し・原発のトラブル隠し・リコール隠しと、際限が無い。

 隠しはあまり楽しいイメージは無いが、こと料理に関してはプロの味。風呂吹き大根の下側に十字の切り目を入れた隠し包丁はプロの技。万能食品エキスとも言える浜松の法林寺浜納豆は隠し味のエース。

 隠す(CLOSE)なら、いつかは公開(DISCLOSE)する筈なのに、いつまでも隠しておくのは何故でしょう。“隠すより現るるはなし”と言いますが。スキューバダイビングの初心者講習でも“先ずは息を吐け。さすれば自然に吸うようになる”と。

 隠しても、一般の生活者の場合はそれが重荷になり、ストレスとなり、有用に応用できず、厄介な事態に。ところが、知的財産の世界では上手に隠すことがプロの技量となる。

 それらを必殺隠し剣で両断せんとする輩が出現。その丁々発止も隠そうとする者が居る時代。

▼ 2005/ 02/ 14

「キーワード」

 研究・開発者にとってキーワードとは漁師の漁網みたいなもの。

 過日、世界中の教育TV番組コンテストで著名な「日本賞」授賞式でプレゼンターのノーベル賞小柴先生が挨拶の中で“夢の卵を3〜4個持ちなさい。そして、それにかかわる事・物を知る喜びを味わいなさい”と。

 夢に一歩一歩近づくか、現実を夢レベルに押し拡げるか、には各人手段・道具としての適切なキーワードを持つことが大切。漁師で言えば、どんな魚(魚種)を獲るの、どこで獲るの、(大洋か湾、湖沼、河…)によって舟・網は変わる。折角、魚群にめぐり逢っても、網が不適であれば獲れない。魚はいつも気まぐれに足元を泳ぎ、流れ去っていく。情報も然り。今日では膨大な量の情報洪水の中からどんな網で何を掬うのか、効率よく掬えるのか、他に先んじて掬えるのか、が極めて肝要となってきている。

 すなわち、キーワードは夢を構成している要素のこと。それは一つではない。あまり多すぎてもボケてしまう。夢一つ当り5〜6個にしていますが…。今朝ほどのあの技術ニュースをB夢のBaファイルに切抜きを貼り付けてみたら、下段のメモと掛けてみたくなった。ひょっとして…。

▼ 2005/ 02/ 07

「日本に生まれて」

 「自分が日本に生まれ、日本人として生きている」ことを強く自覚している人がどれ程居るだろうか。先進欧米との比較で損得を勘定する人は最早居なくなったものの、時により損感情を持つ人は居るだろう。山地ばかりの狭い国土、周囲は海。地下資源に乏しく、自身台風の天災は頻繁。敗戦からのスタート等ハンディキャップだらけ。

 ところがものは見方次第。梅雨あり、台風は損害の何倍もの恵みをもたらし、大雪は天然ダムを形成。この豊富な水資源のおかげで、山林田畑は豊か且つ工業用水に心配なく、の状態に。又、地震国ゆえの沈下隆起によって良好な港湾に恵まれ、その結果、諸外国から自由に大量物資の出し入れが出来る事は、実に、極めて東の端という地球上の位置ハンデを全く感じさせない素晴らしさ。又、山地は緑(森林)のみならず、独自の小集落の形成と多様化を生じさせ、外国の風に荒らされる事無く、長年に亘って民族気性と文化が形成・蓄積、明治維新時に更なる大輪が咲いた次第。

 本来醸成された「勤勉・正直・約束を守る」精神を相俟って学と業とに励んだ結果、バブル崩壊という一寸一服期を経験。衣食住足りて、やもすれば“大いなる希望”が失せてはいるものの、本来日本人は希宝に向かって問題を乗り越える前進エネルギーに満ちた民族。その一頁であることを改めて自覚している昨今。

▼ 2004/ 12/ 20

「緑化」

 世界の工業化・都市化に伴って必然的に緑地が減り、コンクリート・アスファルトジャングル化と砂漠化に向かって行く時、当然のこと緑化努力は極めて重要。熱帯地方でのマングローブ、中国黄土高原の植林等は国家レベルでの事業。

 ヒートアイランド化した都市の緑化では、やっと工場立地法でも規制されるようになった“屋上緑化”が身近なテーマだ。普通の土壌に植えるのとは異なる技術が求められる。防水・漏水措置や断熱効果では軽量性化等。何と言ってもビル屋上での風の負圧対策―樹木の固定方法は? これらの要素を全てクリアーするには相当の努力が必要。昔からある蔓・蔦類を壁面に生やす方法においても、下から上への方向のみならず逆の方向に生え伸ばす技術や、駆体面に特殊なマットを貼りつけ根を絡ませて極薄土層化を可能にしたりと工夫の数々。

 高層ビルの“屋上水田”まで出現したと聞くと、昔の冗談「銀座で田植えしてみたいものだ」が現実となってきた。とは言っても高層マンションでは窓開閉ができないので、ヨシズ張り・井戸水の打ち水等は無理。従って屋内坪庭や盆栽・箱プランターが盛んになる。

 本年度の日本緑化大賞は、斜面の屋根一面に灌木を並べ植え、周囲の風景に溶け込ませた公共施設とか。緑に囲まれている町は平和だ。そしてそこに住む人々は優しい。いくらハイテク型の緑色ペンキでも無理な話。

 それは、樹・木・草は生きているから。

▼ 2004/ 12/ 13

「働く」

 ある対話の中で、「あなたは何の為に働くのですか」と問われたことがあった。あまりにも根本的な主題であるので、うまく答えられなかった。あれもこれも盛り沢山の要素が皆該当するだけに、結局文・言葉にまとめられなかった次第。

 「日常の生活維持の為」は第一義的にせよ、飯(パン)のみの為では真の心の安寧には至らぬ。それには自分の性に合った種類の仕事が望ましいが、山中一軒家での個人的生業でない限り、その属する集団の中で居心地の良い(愛され・認められ・褒められて)かつ役に立っているという自負・満足心が解放感と充実感をもたらすものと気付かされた。

 しかしながら、近年の社会の仕組みと人々の生への意向の変化は上述のような概念では括ることが難しくなりだした。パンのみの為のパートタイマーやフリーター的労働と割り切って、それ以外の、いや主たる人生時間の隙間に労働時間を置くという考え方や、組織には属するものの労働は遠隔地・僻地でIT機器のみ通してサービス提供する労働スタイルも漸増しつつある時代、かつての工業社会的・サラリーマン的定義では最早収められないものと感ずる。

 でもやはり平易に言えば、働くのは第一には“家族の存立”で“自己の為”は第二義以降と。時にはこんなテーマも精神のクリーンアップに作用するのではなかろうか…。

▼ 2004/ 12/ 06

「唱歌―2題」

 TVのウルルン外国出会い旅なる番組で、南太平洋のある島のホームステイ宅の老齢主人が初対面でいきなり歓迎の歌を披露。それもかなり正確な日本語と節回し。それは小学校唱歌でした。

「ギンギンギラギラ夕日が沈ム、
 ギンギンギラギラ陽が沈ム。
 マッカッカッカ空ノ雲、
 皆ノオ顔モマッカッカ。
 ギンギンギラギラ陽ガ沈ム。」

 それは太平洋戦争中、駐留の日本軍人から教えられ、頭に浸み込んでいると言う。


 同様に陳者は、戦後、国歌君が代が控えられていた時代、生き消沈の国民を励まさんと作られた歌。歌人斎藤茂吉氏作詞、時雨音羽氏作曲の「日本国民の歌」が奇妙に浸み込んでいる。

「東(ひんがし)に茜(あかね)輝(かが)よい
 祖先(とおつおや)生(あ)れし國土(くにつち)
 新世(あらたよ)に今こそ生(は)ゆれ
 見遥かす小野(おぬ)も木原も
 香ごもりて咲きをう如く朗らかに、朗らかに
 祝(ぼ)がざらめやも、祝がざらめやも。」

 戦争に限らず天災地変などに遭遇し、人生苦難の中に居る人々に勇気を与えるものと感じている。

▼ 2004/ 11/ 29

「教える」

 生家は醸造業。小学生の頃、早くも現場作業の見習いに。明治生まれの親父たちは手取り足取り教えてくれない。上手く出来ないと叱責が飛ぶ。文字通り、先輩の仕事を見て習う―見習。初心者かつ子供ではプロのコツ(技倆)の習得は無理があるものの、精神棒の時代、これで社会は動いていた。

 長じて、工業ベンチャー会社でのこと、事業マインドは叩き込まれるも、技術と作業については試行錯誤の連続。やっと何とか判りかけて来ても、部下にうまく伝える技倆と経験がない。ついつい精神棒的に傾く有様。

 そんなところに山本五十六(旧日本海軍指令長官)の教え方[訓]を大先輩に教えられ、かなり目を覚ます。“やって見せ、言って聞かせて、させてみて、褒めてやらねば人は動かじ”と。NHKのTV番組「ようこそ 先輩―課外授業」は母校訪問の一流人による 教える とは、“こんな風にすれば”の数々。音楽家・料理人・芸能人・作家・建築家など多士済々―工夫を凝らして自己の領域の素晴らしさを僅か2日間で伝授せんと精魂込 めた方法で息を吹きかけると、子供たちは好奇心と少々の尻込み抵抗感を持つも、興味をかきたてられ、やがて乗ってしまい、終には喜び感動をつかむ有様―教えるとは何であるかを教えられた。

 その人の人生の起点ともなる動機の基となる 教える ならば、それは至高の行為でありましょう。

▼ 2004/ 11/ 22

「裏目」

 裏目‐そんな筈ではなかったと言う状態に陥ること。個人に限らず組織体でも常にその発生の可能性を内包している。設計不良による自動車事故の頻発、期限切れ牛乳の再生利用、原発蒸気管の検査怠慢による破裂事故、鳥インフルエンザ発生の隠蔽、火事発生時盗難を恐れて出入口をロックしたスーパーの管理者などなど、何れもその時の判断が裏目に。

 人は組織内では、自己の、所属部署の、組織全体の意識をないまぜにした感覚と加えて防衛(保身)本能が絡み合っての判断ウェイトが顧客の利益、安全、正義などより重く秤量してしまった結果=裏目となる次第。この位のことは差程の事もなし、との個人的判断がやがて組織体の命運に関わった事件も歴史的に数多い。

 判断‐決定に際して、もう一度判断の根拠を見つめる一刻を持とう。そして裏目の兆候が感じられたら勇気を持って立ち止まってみよう。組織体はやがて後でその勇気に感謝することになるから。猪突猛進が勇気ではない。足踏みこそが静かな勇気なのだと、昔猛進型の筆者の断言。

▼ 2004/ 11/ 15

「料理人」

 自分にその能力が無かったり、又は、有っても遥かにそのレベルに至っていない時に、人はその種の能力を持つ人に敬意を払うようになる。何故か、私の場合、食通でもないのに料理人がその対象となる。

 昭和45年、俳人・料理研究家の、楠本憲吉著「たべもの歳時記」で日本人の食材と料理に触れたり、近年テレビの数多くの料理番組―殊にアニメ「美味しんぼ」で決定的に。工業材料分野でもの造りをしていたので異分野でのお造りに興味が重なったのかも。

 食材として適切か、新鮮か、香・水は大丈夫か、器・盛付けは美しいか、調理道具はきちんとしているか、食の場所は清潔か、何よりも美味しい・旨いか―味・歯ごたえ・喉ごし・温度。更に、給仕は万全か―出すタイミング、気配り等々。

 工業材料は、製造マニュアルに基いて複数人による生産・検査で、不合格なれば作り直しも可。病気で休んでも生産は出来る仕組み。

 食堂・レストラン・料亭では、中心の料理長が唯一人となると迂闊には休めない。支払金額以上の客の満足を得るのはプロの技。その客も工業材料の画一レベルと違い、それぞれの味覚を持った勝手(?)な人々。よって優れた料理人は尊敬に値する。日々の食事の準備をする人も忘れてはならないのは当然。

▼ 2004/ 11/ 08

「契機―動機」

 人は、それぞれ人生を方向づけるきっかけ―動機をもっている。劇的なケースもあれば、後年振り返ってみて、あれがきっかけかなと思い当たるケースもある。

 自身の場合、昭和20年代の戦後の復興時代、上野の国立科学博物館に卒業記念・見学会で田舎から上京。ミイラ・フーコーの振子・天体望遠鏡・地球の成り立ち・哺乳類のいろいろ・鉄が出来るまで等々、当時の貧弱な教科書では触れていない科学のいろいろに時も忘れた記憶。

 中学に入って、図書室の科学雑誌の方に自然に目が行くようになり、高校では、気が付いたら化学クラブに入っていた。今日と違って小学校時代は極めて情報過少の環境であったので、一寸した刺激で大きく触発されたのであろう。

 今日ではインターネット、ケイタイ、印刷物の洪水。各種展示会と施設の数々。加えて学校教育でのカリキュラムの豊富さ等々、あり余る悩みの中での進路選択は難しさも感ずる。とは言っても、人生の方向は一本道とは限らない。現実は紆余曲折が多い。それでも、何か一本筋が通っている筈。その筋の出だしに何かが作用していると思える。

▼ 2004/ 10/ 31

「本流―末流」

 組織体の中では、主流派が生まれると反射的に非主流派が形成され、更にその中で反主流派と無関心派とに色分けされる。

 政治の世界では“一寸先は闇”と言われる。主流はいつまでも主か、否なり。事例多々。企業においても然り。あのトヨタの奥田会長とて7年も末流のフィリピンで販売に携わっていたそうな。能力+運(時の流れ×上司)なる方程式に則っているとしか思えない。

 自身の例で恐縮だが、新設の子会社に流され(?)、やがて専門家も居ないのに設けられた工事課に配属。2、3名でスタート。地方の港町の醤油屋で鉄タンクにペンキ塗り、万座温泉浴槽のコンクリート防蝕工事、濃尾平野の田圃の中の排水ポンプの補修パテ付工事、ガスホールダーのリベット部の漏洩補修工事、砂糖黍絞り機防食塗装の剥離クレーム始末の奄美諸島巡り旅等々、他人が見れば悲哀の状況下。

 幸い、本社・工場・研究所と比較してみる気持を持たなかったせいか、末流的仕事だからこそ学べたことが山程あった。納入金額と客側の損害は比例しないこと、問題の適切な解決は客側の大きな喜びとなること、それが口コミで広まり客が増えること、会社としてのサービス機能(組織、商品、アフターサービス等)の欠点がよく見えること、市場ニーズも感じとれること等々、貴重な経験の積み重ねが得られた。

 “過福はあざなえる縄の如し”
  “至るところに清山あり”
   “随所に主であれ”
     は眞の言葉でした。

▼ 2004/ 10/ 18

「時効ものの思い出」

  1. 地下鉄シールド止水工事
    当局にセールス活動したところ、現場近くの民間地下室の止水して腕前見せろと言う。即ち、入門試験。多くの会社がギブアップしたシロモノ。四苦八苦の末、ちょっとしたアイデアでドンピシャリ仕上げる。そして本番受注。このアイデア、コロンブスの卵レベル。
  2. 機械補修材料セールス
    製鉄所の掛長を係長と混同。偉い人とは知らず商品説明会開催の認可得て、当日講堂に出向くと400〜500名の大集団。10名以上相手にしたことがなかったが、エイよママよと、いつもの数人相手の気持のままで無事終了。芸人の心得の程、少し理解できたかも。
  3. 初回受注のあと
    絶縁材料用ポリマーの受注・納品するも肝心の加工ノウハウが判らず、同業界への拡販は足踏み。その工場昼休みに菓子パン類買い込んで休憩中の作業員に配布。彼らから自慢げにノウハウの自主的開陳あり。これでも産業スパイになるのでしょうか・・・。
  4. ある開発テーマ
    基礎部分の特許保有会社のライセンス条件、厳しく、半ば諦めながら、駄目元とばかりに最後のネゴで参上。フト出身校の話に及び、やがて相手は同じ科の2年先輩と判る。すると、やにはに先輩曰く「話は判った。先ずは飲みに行こう」と。飲み代は先輩。その後事業は円滑発展。

 いずれの事例も「お蔭様でありがとうございました」でした。

▼ 2004/ 10/ 04

「進攻」

 ここらで一寸一服、一息入れようとの意味の“喫茶去”。食事のコースの中程の箸休め、とばかり食物を話題にしながら少し休憩。

[第1幕]子供のころ読んだ記事
アメリカの食品輸入検査官が嫌った食品はタクアン・ミソ。
アメリカ人は魚・タコ・イカは生食しない。
アメリカ人は海草・山菜などは低カロリー品の貧しい食事、と。

[第2幕]ファストフード文化の日本への進攻
ハンバーガー、フライドチキン、ドーナツ等と、
コーラ、コーヒーなど色付きドリンクの洪水。

[第3幕]日本食の米国への反攻
すし、醤油、日本酒に加えて、牛丼、ラーメン、おにぎり、緑茶

 かつて日本人は言いました。
「コーラは麻薬みたいなものね。又、すぐ飲みたくなるの・・・」と。
 今米国人は言っています。
「日本食は麻薬みたいなものね。何とはなしに食べたくなるのよね・・・」と。

[追補]
缶コーヒーは日本人の開発品だそうです。単に缶に詰めればできるものではないそうな。

▼ 2004/ 09/ 27

「独裁」

 世に独裁国家は古より今日に至るまで多々存在。頂点の1人が権力を専横的に欲しいままにすること。一見、民主主義とは相入れないように見える。

 では会社という組織体の場合はどうだろうか。取締役会という民主的決め事はある。しかし、進路を決めるにあたって多数決は平凡な結果しか生まないであろう。そこに独裁的に決める者の存在が、明日への道を示せるのであろう。

 明日への道のみならず、今歩きつつある道の安全にも同時に気配りする才も求められている。それが社長(会長は無量大の立場であるも“時に春雷あり”の型。副社長は10人居ても1人の社長に及ばずの立場)。

 1つの決断が大きな結果に至ると思う時、徒や疎かにできる筈もなし。熟慮―沈思―苦吟の末の決心、常人には分からない。決心の裏にある重さ。

 会社ではなく、国家の命運にかかわる決断2例。

  • シーザーが軍を率いて渡河禁止の元老院法にも拘らずルビコン川を渡るときの決断
  • 東郷平八郎提督がバルチック艦隊を迎え撃って、何日出港すべきか、又、太平洋からか日本海からか、日本の命運かかる決断

 いずれにせよ、組織の命運は Top of Top にゆだねられている。もっとも、Top にも軍師・幕僚たちが不可欠の面もありますが。

▼ 2004/ 09/ 13

「遷宮」

 社殿を20年毎に新築する式年遷宮は1300年も前から続いており、2013年に次回が予定され、その準備が着々と進められているとのこと。

 差程の大型建造物でもないのに550億円の巨費には驚くも、その内容を知るに及んで、納得。木材選抜に数年、その後の工作に8年以上要し、それらも植林―造園(造山)の流れを入れると、まさに人と自然の共生関係を具象化したものと言えよう。本社殿の造営のみならず、神宝・神主用装束に至るまで全て新調するとなると、設計図面のみならず、加工方法に至るまでの技術の継承と再現の為の人々が大勢必要となる。それは職工であり、大工であり、刀工であり、漆工などの伝承継承である。

 この種のことは一旦途絶えると文字通り跡絶えてしまい、再興は極めて難しい。一体、誰がこの方式を考え出したのだろう。興味深いポイントです。

 現代では家内業での技術継承は多いが、産業企業規模では少ない。一部の企業では、設計開発は日本で、生産は途上国との流れであるが、一方「高付加価値品の生産こそ日本国内で」との考え方の企業も増加していると聞いた。

 企業技術の発展の鍵の半分は製造現場にあり、マニュアルで全て済む訳ではない。よく訓練された現業員との意思疎通から新しい発見があるとの信念のもの造り経営者がそれだろう。企業としての形を変えた遷宮と言えようか

▼ 2004/ 09/ 06

「○○に例えれば」

 食品には例えが多い。エスカルゴは“森の鮑(あわび)”、牡蛎(かき)は“海のミルク”、大豆は“畑の肉”、ブルーベリーは“蒼い宝石”、銀杏は“生きた化石”などと。又、半導体は“産業の米”などは有名。人体に絡めて、脳味噌は“豆腐並みの水分量”、人の神経は“光ファイバー網”。燃料電池は“心臓部”など。人の容貌を動物に例えたのも面白い。例えば、イメージから発するもの、そのイメージは外観と性質から積み上がったもの。従って、人それぞれイメージには多少とも違いは出るが、理解はできる。偶々、高分子材料に近い者として勝手にイメージ並べしてみました。

四弗化ポリエチレン誰ともなじまず侵されず孤高の士イスラエル
ポリアミド粘り腰の強靭さと普遍性英国
ポリウレタン包含性と普遍性中国
シリコーン骨格異質な独自性インド
エポキシ感性の豊かさと多岐性米国、ブラジル
ビニール平易な落ち着きメキシコ、タイ

 では、日本は何に該当しますか。多様性と変化速度からアクリルかな?
 では、天然ゴムはどの国に当てはまりますか?
 見方多々、異論多々、人の数だけ論があることでしょう。
 各国の方々、失礼しました。

▼ 2004/ 08/ 30

「何から何まで」

 長年だらだらと、謡(うたい)の稽古に邁進(?)している者から見れば、世阿弥は神様。世界文化遺産“能”の始祖として、今日でも有名な高砂、砧、実盛など百番を越す曲を作り、600年経た今日まで綿々と謡い継がれているのは、如何に優れた作品であるかの証明。祖なれば曲作りのみならず花伝書なる論文なども多数発行。

 そしていつの間にか映画人チャップリンとイメージを重複させてしまうのは自然の流れ。両氏共、映画芸術/舞台芸術の違いはあっても、物語の原作―脚色(脚本)―主演―振付―演出(監督)を己が一人で担っていしまうところはスーパーマンとしか言い様がない。(かの黒沢明氏ですら主演は無かった。北野タケシ氏は演じ手までしているのでかなりのところ)。世阿弥はスポンサーの将軍足利義満に庇護されるもやがて疎まれ佐渡へ追放。チャップリンも1952年米国再入国を拒否されスイスに居住。人間、スーパーになるほど敵が生まれるのか。又、この二巨頭は幼児の頃より親から芸を仕込まれていたのを見ると、やはり芸事は頭で覚えるのではなく、身体に染み込ませるものなのか。

 今日では何事も分業制。野球のピッチャーですら完投型から[先発―中継ぎ―押え]型へ。何から何までやらねばならないベンチャー企業もベンチャーキャピタルなる世話係的組織が生まれたり、人材派遣組織があったりと、分業が可の時代。

 あの世から、お二人はこの分業の有様をどんな想いで眺めていることだろう。

▼ 2004/ 08/ 23

「脳を絞る・脳を緩める」

 脳の研究ほど最先端なものはないと思える。脳は有機体、生き物、緻密で超複雑系。なんと言っても自己進化する能力を有し、動物にとって命の中核部分、いや、命そのもの。

 その脳が末端期間から集められた刺激に対して驚くなどの反応を示したりするのが驚きだ。その驚きが好奇心を揺り起こし、更には閃き、その果てに創造を発進するなんて宇宙の不思議No.1。

 その創造も創造力事典によると“人が、問題を、異質な情報群を組合せ統合して解決し、新しい価値を産み出す”とある。偶々、自身は[素材―材料―部材]の分野で、価値を産もうと努めるも、滅多に出現しない新素材のみに頼れぬと、既存素材を組合せ/ひねり/叩き/伸ばし/なだめてみるも、思うようには成長してくれない。脳の絞り方が悪かったのか素材は材料に化けてくれなかった。ところが何年も経て忘れていた頃に、偶然に化けてくれた事例もあった。一言で言えば、早過ぎた開発、別の言い方をすれば、タイミングの悪い活動計画であったと。

 檜山哲男氏曰く“脳が産み出す創造とは自己を忘れて熱中の坩堝(るつぼ)の中で左脳と右脳が調和した瞬間に生まれる閃き”と。将棋の羽生善治名人は、ある盤面を僅か3秒の一瞥で正確に記憶・再現できると。その秘密は、盤面全体を絵のように覚えてしまうからと科学者が解明。脳の絞り方、緩め方を右脳にも左脳にもうまく与えているのですね。

▼ 2004/ 08/ 16

「封」

 以前、シール剤や半導体封止材やLED封止材の開発に就いていたので、妙に「封」なる文字が気にかかり、目につく度にメモした次第。口封じ、封殺などは暗黒もの。封緘、封じ手などはグレーゾーン。封切りは輝きもの。封とは、閉じ込める―中味がこぼれないようにすることで、時代や地域で様々の封止活動があった。

  • 1200年前の正倉院、校倉造の3つの倉庫の錠は天皇署名の封付き。
  • 日米開戦時ハワイへ向かう連合艦隊は米軍に覚られないように無線封止。
  • 宇宙人の遺体が発見されたと噂される米国ロズウェル事件の、政府による資料封止。
  • エジプトのスフィンクス像の胎内室は一度開かれるも、今では扉は厳封。
  • 数ある日本の天皇御陵も調査活動等に対して宮内庁は封して触れず。
  • ヨーロッパでの悪魔封じ、日本での悪霊封じは今でも尾を引く。

 封とは、当事者(第一人称)が他者に知られたくない内容物に覆いをかけ閉じ込めてしまうこと。例え内容物がなんであるかを知らずとも、封して己を権威付ける智悪者も出たりする。工業分野では、ノウハウは社外秘(封)であるし、公開前の特許は特許庁で封されている次第。人は封されているものほど覗いてみたくなるもの。封する人、それを開こうとする人、その攻防は面白い。そのドキュメントを又、封する輩が居る時代。

▼ 2004/ 08/ 09

「やどかり」

 巻貝の空家の殻に住みつき、自分が大きくなって窮屈になると転居する節足動物のこと。この寄生と呼ばれる行動様式は共生の一形態で、他の生物の体内に侵入したり、体表に付着して栄養分を吸収したり生息場所を得ること、と。肝臓に寄生する北海道産(?)のエキノコックス、昆虫に菌類が寄生して子実体を形成する冬虫夏草、根を伸ばして宿主の樹から栄養を吸い取るので光合成用葉緑素を必要としない蔓(つる)科の蔓(かずら)。動物では、ワニの歯の清掃係の小鳥さん、蜂に卵を胎内に産みつけられたイモムシはその幼虫に身体を蝕まれ蜂の羽化と共に死を迎える悲惨さ。本来が共生であるべきに、寄生という一方的利己方式は歓迎できないこと。この種のことになるといつも2つの例が思い出される。

  • ケネディ元アメリカ大統領の就任演説
    ―国家が国民に何をするかではなく国民が国に対して何が出来るかを、と。
  • 祭りの神輿を担ぐ人いろいろ
    先棒で懸命に担ぐ人、後棒で黒子的にしっかり担ぐ人、
    担ぐ顔して棒にぶら下がって楽している奴、
    台上でしっかり采配しているリーダー、
    台上で偉そうに、又居眠りもしている似非者。

 組織体の中で寄生は恥ずかしいこと。でも寄生は楽ですから…。

▼ 2004/ 07/ 26

「目の輝き」

 新幹線の運転席に座った子供達の目の輝き程素晴らしいものはない。人間、好きな事に自由かつ心ゆく迄取り組める事、これ至福。自身で言えば、もの造りの為の部材に携わっていたので、もの造りそのものをゆっくり見たい、それも職長さんの解説付で。何を…? それは、IT機器の組立て、自動車の組立て、造船工程―殊に艤装分野 等々。

 せめて本の上でもとインターネットや大型書店で眺めるも所詮は紙の上、音も臭いも現場の熱気もなし。熱気なければ感動も生じず、感動なければ印象に残らない。もの造りの概要編は有っても、詳細編は無い。専門家になる程、微に入り細を穿ったものを欲しがるもの。何年か前に、某HPでプリント基板の製造工程について驚く程詳細に記述したものに出会い、第三者ながらここ迄ノウハウ(既に公知レベルであったか否かは不明)を出して大丈夫かなと心配した事があった。振り返ってみて、自身でもオープンにした事がないので、もの造り詳細教本なんて無くて当たり前と納得。

 子供の頃、建具屋さん、桶屋さんの作業場の前で、いつ迄もしゃがみこんで眺めていた気持ちと目はいつ迄も持っていたいもの。ハイテクもの造り立国を目指すなら、一考あるべき個所。

▼ 2004/ 07/ 12

「子の芽」

 別項“子に接す”に続いて、恐縮ながら自身の例。小学3〜4年の頃、数字の1,2,3は位置を示す点なのか、それとも線の量なのか、何かすっきりしないので担任の先生に訊いた。先生曰く「兎に角、1は1、2は2だーっ。そう覚えなさい」と。又、中学2年の時、電子なる単語に触れて「どんな風に銅線の中を流れていくの」との質問に先生曰く「電流の反対方向に電子は流れるもの…」と。これもさっぱり理解できず、暫く算数も理科も好きになれなかった。

 子は子なりに考えている―いや、感じているもの。それも大人が想像できない程、自由奔放に、緻密に、素直に、頭の中で疑問を転がしているもの。それだけに、これに応える大人はその子の人生進路に重大な影響を与える瞬間を委ねられている。とすれば、あだや疎かには出来ない。色々な偉人達の伝記を読んでも、先達・教師の導きと反面教師的経験の積重ねで成長する有様、誠に教えられる。子達に接する時“この子達は能力無限大”と、優しく、真摯な気持ちで、と心がけましょう。

▼ 2004/ 07/ 05

「子に接す」

 何かと忙しい今の時代、主夫は仕事で時間が不足、子供との会話も不十分、主婦とても同じこと。でも家庭では子の健全な発育がトップテーマ。自身、複雑な大家族制度で育ち、社会へ出、やがて家庭を持ち、子が生まれ、成長しの経験から、如何に亡き両親の慈愛溢るる無言(?)の教育があったものと改めて感慨を覚えた次第。特に文字になっていたわけでもなかったのに、日常的に体現されていたのですね。

  1. おおらか・和やか の気持ちで
  2. いつくしみ、おもいやり の気持ちで
  3. 役割を与えてしっかり実行させましょう
  4. 人様の話をよく聞きましょう
  5. 人からもらうより人に与える気持ちが大切
  6. 身体作りをしっかりしましょう

 人物=〔学力+体力〕×人柄 という事を両親はしっかり認識していたようです。“お蔭様でありがとう”の気持ちをいつも抱いておられる幸せ。

▼ 2004/ 06/ 28

「命の宿り場」

 '03年パリの「人とロボット展」では、“モノにも生命”としている日本文化の紹介があり、日本人は昔からモノにも魂があるとの思想で、針供養などは伝統的心性が今日まで続いている例証と。

 毎日新聞投書欄('04.3.30)に“言葉の力に反応する植物”なる実験結果が掲載―2つの鉢に大根の種を蒔き、一方には“有難う、元気ね”と声かけ、他方には“馬鹿ーっ、死ねーっ”と。前鉢は青々と育ち、後者は朽ち果てなん姿とか(大阪の某小学校での実験)。

 30年程前、電磁波で有名な橋本先生は電磁測定器通じて野菜と会話したと。超人(?)の為せる技に常人は少々懐疑的になるものの、動物に生命があるなら植物にもと思ってもおかしくはない。

 宇宙誕生のビッグバンの様子が朧気に判り出している様で、真空のみのところに宇宙が生まれ、元素が逐次生じ、やがて生命が宿るに至ると見る時、「大根のバカーッ」もあながち聞き流せない事柄と感ずる。宇宙の真理の一端がひょんなところから首を出しているのではなかろうか。思考、いや、思い過ぎと笑われる事でしょう。でも、日本人は古より心に仏性、目に見えぬものにも心を痛め思い遣る性ありと。故に、モノにも生命は当然自然のことと。

▼ 2004/ 06/ 21

「発明の対価」

 昔、電気洗濯機の糸屑とり実用新案特許で、一主婦が結構なロイヤリティーを得ていた話は有名。

 最近、自己の企業内研究成果たる特許の相応な対価を要求する訴訟―判決が相次いだ。青色LED(日亜化学)の200億円、光ピックアップ(日立製作所)の1.6億円、人工甘味料(味ノ素)の1.9億円等々から企業側、開発者側、法律家や行政、研究機関を巻き込んで喧々囂々たる議論が発生。

 会社側は「月給を払っているし、報奨金も出している。個人の力のみで利益が生み出された訳じゃないよ。こんな事が罷り通ったら日本では研究投資が出来なくなるよ」と。

 発明者たちは「唯この発明があったから会社は儲かったのではないか、それを涙金レベルで済まそうなんてひどい」と。

 欧米では、研究発明については事前の契約ベースで、予め配分比率を決めておいたりしているものの、当人が社会的に認められる喜びにポイントが置かれているとか。(「名誉よりお金」の風潮だと思っていたが意外)。

 評価にしても医薬品や複雑巨大システムなどは特許有効期限が切れてしまうと、更に評価が難しくなってくる(例―PE燃料電池のバラード社の多くの特許は2010年頃から切れ始める)。ひょっとして欧米の研究者たちも、経営者はストックオプションで巨万の富を手に入れられるのも利益生み出す特許あってこそ。故に「我々も」と。まさに、対価の評価維新に入った。

▼ 2004/ 06/ 14

「開発部門に配属の新入社員へ」

 新卒の配属社員は開発仕事の何たるかを当然知っていない。よって登山に準えた話が判り易かった様。

どの山に登るの?領域は、ニーズ対応、シーズ対応
どんな風に登るの?登山口から、途中から、山頂へ、ヘリコプターで
文献及び情報調べ(1)準備体操のつもりで
(但し、参考にすれど己が道を、の心構えで)
文献及び情報調べ(2)集中的調べ通じてアイデア出し
ルート想定周囲の人々に相談、意見聞く(一人よがりは損と知るべし)
登山開始より速く登るには、に心がけ
より安く登るには、に心がけ

 自己を振り返って、ベンチャー企業新入時代にせめてこの程度のイロハでも教える人が居たら、もっと素晴らしい高峰に立てたと感ずるも、それは結果論。マラソンですら今日はスピード重視。開発という登山は、如何にしたら他より早くかつ楽に頂上に立てるか、そのルートの切り拓きにある。

▼ 2004/ 06/ 07

「失敗の巻」

 昭和40年代の産業経済急進展下、製造業はもの造りに忙しく、正直品質管理には気が回らなかった。工場内で不良が発見されればまだしも、客先で発生したらその始末には信用・金銭・ストレスなどの大きな犠牲が伴ったもの。振り返って思い出しても気が重くなるような内容。でも、一つ一つが経験ソフトになった。

  • 新製品塗料の初釜仕込み
    水性稀釈溶剤の添加手順(速度と分散方法)が雑であった為、凝固物発生―プラント清掃―発売延期の破目に。
  • 18リットルロイヤル缶(内身が見えない小口径キャップ型)から取り出した触媒液を仕込んだ塗料は硬化不十分。缶をカットしてみたら、エキス分沈降していた。
  • 2液混合エポキシで大型熱交換機の防食塗装工事。程なく剥離クレーム。混合缶の壁付着分をロスなく採って塗った結果。発電所ストップ。
  • 欧州へ初出荷のポリチューブ入り構造用接着剤。現地顧客ラインにてチューブ漏れ発生。日本国内クレームと異なり、商品の追加輸出手続は難航を極める。
  • 金属ファスナーのレジン加工で別顧客の近似サイズパーツを納入。顧客ラインで組み込まれてしまった。嗚呼!

 科学技術振興機構(JST)では失敗学を取り扱っており、それらのデータベースを眺めてみると、自己の辛い経験が、いや、事件が重なった次第。
(http://shippai.jst.go.jp/sippai/ へどうぞ)

▼ 2004/ 05/ 31

「仏教の言葉」

 特に、仏教徒という訳ではないが、多くの日本人は日常的に仏教的風土の中で生活しているので、仏教風のことばが自然に心の中へと染み込んで来る。小生も、以前ベンチャー企業に入った時、リーダーが仏教の心を企業経営に生かしていたので多少啓発された次第。この項では幸福について。
  ・目標を持つ幸福
  ・努力の途中の幸福
  ・達成したときの幸福
  ・仕事が趣味となる幸福
  ・創造性を活かす幸福
  ・社会に役立つ幸福
 幸福こそが究極・至高のこと。振り返ってみて、今小生は幸福と感じております。

▼ 2004/ 05/ 24

「計り売り」

 昭和20年代以前は、買手たる客が包装・容器を持参して来たものだった。醤油には2リットルビンや、4升か1斗(10升)の樽。その樽も傷んでいれば良品と交換し、修理・再生―外側は手斧(ちょうな)で削り、箍も締め直し、内側は藁束を押し込んで揺さぶり洗いし熱湯を入れて消毒―したもの。今日で言うところのリユース。味噌は経木(木材のスライスシート)にのせて新聞紙包みか客持参の壷に。当時の食品―茶・酒・米・肉などは全て計り売り。
 昭和30年代以降は社会情勢から包装材料が発達しパック品全盛となる。又、コンビニの普及と共に少量パックが激増する一方、酸化防止剤や吸湿剤を抱え込んだ形のピース食品が出現。ピースでありながら衛生的なバルク(計り)売りが可能にもなって来た。
 ところが相談しながら買いたい、何か触れ合いながら買いたい、又その逆に店側でも気持ちを表したいなどの流れから、漢方薬や化粧品などの計り売りも注目されている。単に電子機械的な目方―料金の表示だけでは空しいもの。計るという手間プロセスが余計・面倒と見るか、コミュニケーションチャンスと見るか。ところで、技術の特許やノウハウに関わるライセンス、そのロイヤリティーは一種の計り売りみたいなものかもと感じますがいかが。

▼ 2004/ 05/ 16

「命の水」

 「中央亜細亜探検記」(1954年再版本)を古本屋でその翌年入手。初版が昭和13年(1938年)と古く、今ではすっかり黄ばんでしまったが、愛蔵書の一冊。著者の探検家スウェン・ヘディン氏が1895年から4人パーティーでタクラマカン砂漠横断の記録。水の国日本では想像も出来ない喉の渇きの描写。読書中も喉が渇く程。砂漠の呪詛―駱駝遂に倒る―水尽く―死のキャンプ―最後の行進―と続き、水の匂いを感じやがて水辺に。10分かけて3リットル程飲み、長靴を水筒代わりにし途中で倒れた友へ水を届けに戻るハイライト。この初読の時より5年程前、笛吹川上流の東沢を甲武信岳目指しての渓谷踏歩、山中に迷い、日暮れ時キャラメルの包み紙一葉発見し安堵したこと、思い出される。最後の最後まで、頑張る事の大切さを教えてくれた一冊。
 後年、R&Dの仕事では、砂漠の死の行進と死のバレー(研究成果を事業化する場合の困難な隘路)が重なって見えた。“百尺の竿頭一歩を進め”ば、やがて隘路を越え、ぱっと水場に出くわした体験もいくつか持てた次第。幸運に多謝。

▼ 2004/ 05/ 10

「一寸先は光」

 ノーベル賞の田中耕一さんは、専門の自己テーマを地味にコツコツ積上げ、ある日、霊感に一寸の幸運が絡んで、あの大発明を成した。となると、誰にでも何かチャンスが巡って来るものと思える。  昔の山師(鉱山探索マン)は草に覆われた道の切通しなどの地層を睨み、少し掘り、嘗めてみて、五感プラス直感を動員して、鉱脈の末端―毛細血管―を把え、やがて大鉱脈(動脈―心臓)への手がかりを得たりしたとのこと。(現代では人工地震・人工衛星写真/地層解析等コンピューター処理で済ませる様だが…。)一種の賭博師的とも言える山師たちは、一寸の不注意で“その兆し”を見逃してしまい、後で地団太を踏んだ例、多かったと聞く。一昔前、刑事事件の証拠となる指紋探しでは、何万枚の保管登録紋から細心の注意を払って同一パターンを人の目で判別していたこの作業こそ、一寸先は光の典型か。巨匠黒沢明監督が「七人の侍」のテーマ曲(侍のテーマ)を、当時気鋭の早坂文雄氏に依頼。やっとのことで用意された候補曲何れもが何かしっくりと来ない。困り果て、早坂氏本人がこれは駄目と紙屑籠に一旦捨てたものを最後の最後に取り上げて示したところ「コレダッ」となった次第と。

▼ 2004/ 04/ 26

「ベンチャー企業」

 青色発光ダイオードの特許報償訴訟で巨額の判決が出て話題になっている日亜化学は、企業歴史としては新しくはないが、満塁ホームランで大化けしたハイテクベンチャーと言えよう。この様なデファクト追求型は稀有の例なるも、多くの研究者はこれを夢見て頑張っている。

 現実には、大企業で先端研究に携わった技術者がスピンアウトして自己の技術コンセプトを事業化せんとする型が多い。この場合、当人が技術ネックを良く知っているだけに改良技術型のレベルに落ちついてしまい大化けは少なかろう。又、大企業の中で持ちたる多様なシーズ技術をうまく組合せてニーズに適用しようとする進め方は極めて多く、企業だからベンチャーテーマになり得ても、個人レベルではベンチャーテーマになりにくいだけに独立すると想像以上の孤軍奮斗を強いられる。もの造りとは異なるソフト/サービス分野になると大型になる程リスクは高まり、どれだけ独創性の大きさがあるのかをクールに判断する姿勢が肝要と。形がないものを扱うだけに、直接的に経営に携わる人の要素が大きくなってくる。

 こんな具合に難しさのみを列記されようが、そんなこと判っているが気にしないのがベンチャーマン。ナノテク、バイオ、オプト、環境… 時代はまさに急カーブ中。今の優良企業も以前はカーブ波動の中で誕生・成長して来たのだから…。

▼ 2004/ 04/ 19

「料亭/レストラン」

 誰でも食にまつわる思い出は多いもの。超早口で本日メニューをしゃべるボストンのウェイターとあっけにとられる我々。失敗しても平気でパフォーマンスを続けるオハイオ紅花のコック。蕎麦をすすれないスコットランドの知人。汗みどろでローストビーフを実に下手に切るロンドンシンプソンハウスの老ウェイター。折角の八寸を幼児が乱すも、さっと新皿に替えた長野の料亭、等々。食の印象は人生そのもの。又、料理のコースもまさしく民族・文化ですね。和洋で並べてみましょう。

<和><洋>
先付おつまみ
前八寸(例:前菜盛合せ)アミューズ
御椀冷前菜
造里温前菜
温物魚料理
焼肴(魚・カニ)肉料理
小蓋物
強肴(肉)
(パン)
香の物
水菓子デザート
コーヒー

 中国料理のコース順序は知りませんのでこれから食べに行きます。

▼ 2004/ 04/ 12

「古稀」

 杜甫の詩句“人生七十古来稀(まれ)”に因む長寿を祝う語。昔なら村落上げての祝い膳ごと。今は平均年齢も75歳(男)だから、稀ではなくなった。それどころか、70歳いや80歳過ぎても矍鑠(かくしゃく)と働いて居られる方々の多いことよ。政治家、評論家、企業オーナー、芸術家、医師たち―もっとも、しがみつき型の方も居られますが―。ところが技術開発の世界で事業を興され、注目を浴びて居る方は差程多くない。偶々、直接・間接的に次の二氏のあり様を知り、そのエネルギーの程、こちらが元気づけられます。

佐々木正氏
国際基盤材料研究所 社長  1914年生まれ 79歳の時 設立


桜井慎一郎氏 SアンドSエンジニアリング 社長 84歳

 私の師M先生も80歳となるも、専門誌に先端技術文を多数寄稿中。この膨大な作業をいつの間にか済ませて居られるのが不思議のこと。Re-search「くり返し捜し追い求める」 De-velop-ment「囲いを払って現出させる」 のが研究開発の原点とさる方が指摘。尤もなことなり。

▼ 2004/ 04/ 07

「ウィンナーモデル」

 企業の社会貢献活動が注目されて久しいが、本当に地味で長期に亘るものこそ本物かと。偶々、ある会合で当事者から直接に聞け、感動しましたのでご紹介。

 楽器メーカーのヤマハがウィーンフィルハーモニーの管楽器の製作研究の決断したのが30年前。日本公演で初めて来日したトランペット奏者は、オートバイの他に楽器の大メーカーであること知って、厚かましくも(?)ウィーン独自仕様の開発製作を申し入れた。同社は予想される莫大な経費とウィーン独自の古楽器技術の無さ状態であるにも拘らず、トップはこれを受諾。チームが組まれ苦難の連続が始まる。何よりも試作品が出来る度に評価奏者が遥々日本まで来て、かつ日本人の感性にはない評価基準(?)、やっとの思いでパスするも、芸術家たちの傲慢不遜と偏見からか楽団員の反対の声に直面。とは言っても楽器は確実に消耗される。一方、現地楽器メーカーは頑固に低品質の製品を作るのみ。となると徐々に雪解けとなり、受け入れられるようになった。市場規模(?)は僅か50本以下なのに、試作は3桁に及ぶという。'03年5月ウィーンフィルのアンテンブルガー理事長が異例の声明発表「見返りの報酬もないのに自発的に莫大な費用を投じてくれたこの楽器メーカーに、大いなる感謝を奉げたい」と。人と人、文化、国と国、歴史、伝統、企業、決断など見事に凝縮された行為。 拍手!

▼ 2004/ 04/ 01

「その時は蚊帳の外」

 市場ニーズ対応型企業は顕在ニーズ情報から演繹して次世代の動向を感じ取り、それに向かって強く引卆するトップの存在が、企業の発展を現実のものとする。

 一方、上辺のみでニーズを眺めて判断する型の企業は、お手軽に改良改善製品を連発するも業績的には一時的には良くても中〜長期的には冴えない。現実には後者の例が圧倒的に多く、自身も体験しましたので、ご紹介。

 これらは後日、幸いにしていずれも主力商品の座に。又、当人、後日トップの一隅に座するも、ひょっとして同じ過ちを犯していたかもと自省。

▼ 2004/ 03/ 24

「倶楽部」

 世の中、クラブの種類は多々あり。東京駅前に鎮座し、古色蒼然の威容を誇る大正7年建設の日本工業クラブ会館。空襲もくぐり抜けたビルに、伯父の供で書画・骨董を持たされての参上経験。何と爺さん達の多い場所との印象のみ。それから何年、その会館で講演会、婚礼、会議、会食等で同じ階段を登る機会が度々あった(大企業トップ専用のクラブ的なもの故に、ご縁なき者と感じていた)。今、この会館も都市再開発の波から高層ビルに衣替えとなり、旧き良きものが又一つ消えるのかと心配していたが、そっくり下層に再現される事になった事を知り、ほっと安堵。

 人は己に所縁ある人・物・時に暖かさを感ずるもの。母校の正門、生家の生植、会社の通用口、部落の街灯など、人生舞台の大道具。年配者の感傷と片付けられますか。小道具とて同じこと、と。

▼ 2004/ 03/ 11

「もの余り」

 子供時代を戦中・戦後に経験した者にとって“物の有難さ”は身にしみている。食では、大根で腹を膨らませ、コロッケとてご馳走。お地蔵さんに供えられた雑穀団子や、食べれば腹下しする青い梅の実、野イチゴなど、通学の山道は早い者勝ちの食街道。兄弟が居れば衣類は皆“お下がりもの”。祖父―父―兄と使い込まれた革の鞄。上着とて裁縫上手の母の手作り、生地は業務用の木綿のゴワゴワ、それでも入手できただけでも幸せ。住まいは幸い田舎であったので戦災を免れ、茅葺き屋根から少し夜空が見えても寝るには心配なし。こんな体験者から見れば、今日の・・・

 などなどには、違和感を覚えるは私だけだろうか。真の「地球に優しい」とは、個人レベルでは物を大切に使うこと。そのことが国家・経済レベルとなると難しいことに相成ってしまう。でも、満ち足りていない状態で“足るを知る”こと肝要と。

 昔、ある人に教えられました。“ないもの数えるな、あるもの数えよ”と。

▼ 2004/ 03/ 11

「ミニもの」

 日本人は元来、巨大なものを造るより、むしろものを小さく作り込む方に頭が働くようだ。宇宙を枯山水の庭に縮め、松や欅の巨木を盆栽に縮め、文章を短歌・俳句に縮め、技術の世界では軽薄短小を追い求め、今やナノ技術でマイクロマシン、MEMSに突入。それは光・バイオ・表示デバイスで花開く勢い。殊にセンサー技術、感知能が無ければ巨大マシンも木偶の坊。光・磁気・位置・角度・圧力・流量・力・音・加速度等その触覚は多岐を要する。又、DNAチップ、μTASも昔なら一部屋要るところなるも今やチップサイズ。その中でも燃料電池(FC)、殊にIT機器用は実用化段階へ。しかし乍らその燃料だけは縮小できないのが悩み。水素吸蔵合金とて未だ問題あり。そこで考えられるのが、太陽電池とFCのハイブリッド―光触媒太陽電池が空気中の湿分の分解による水素発生―発電後の発生水は循環して利用。素人の陳者が考えること、専門の方々は既に試作中か?

 偶々、米国での盆栽ブームの兆しありのTVニュースでは、90メートル級にも成長する巨大メタセコイアの50センチ作品が紹介されていた。米国人もミニに振れて来たか。

▼ 2004/ 03/ 03

「ジャンボジェット」

 ジャンボジェット機(ボーイング747)がもしリベット接合で組み立てられていたら乗客は丁度ゼロ人となる話は、接着剤エンジニアには愉快だ。1970年就航以来、延べ2,000機に至る成果は、地球を縮めた事になる。前頭部の口が開くようにする為の2階操縦席、その下を馬匹や油田掘削機が積み込まれる設計思想とか。この機が30年以上も世界の空に君臨している理由は、常に改良改善してニーズに対応してきたことに因る、と。最新型のダッシュ400型では60トン積載12,000km航続距離を誇る。注目技術は翼端のタテ片(ウィングレット)で、その効果は揚力を増やし、機の幅を抑えた大発明とか。今や2名のみのコックピットで自動化は極限まで進む。こうなると競争会社のエアバスも全2階建てのメガジャンボ機(A-380)650人乗りを近く就航予定とか。ボーイングもウルトラジャンボを発表。

 一般に航空機は着陸(ランディング)が難しいとされるが、ジャンボの場合、むしろ空気がクッション効果を来たし、設計時には判らなかったフワリが得られたと。競争の果て、乗客にメガ・サービスがもたらされれば、これが幸せ。フワフワは幸せ感のこと。

▼ 2004/ 02/ 25

「R&Dの効率性」

 内閣府経済社会総合研究所(ESRI)が発表のシリーズレポートNo.47「日本の企業のR&Dの効率性は何故低下したのか」は興味深い。企業の技術研究所管理の経験者としては思い当たる節が随所にあり、なかんづくマネージメントに於ける特徴の日米比較が面白いので一寸ご紹介。

 米国が多産多死型に対し、日本は少産少死。米国の強い目的志向に対し日本はプロセス志向。米国は強い結果志向でその結果非人格的管理手法が採られる傾向が強い。又、積極的に外部資源を活用しようとするのに、日本では資源は社内から。その社内努力を重視する傾向が強い。即ち、内部志向で、自分達以外の者が生み出したアイデア、情報を軽視する企業風土が普通。日本企業には“目利き人”の存在が特徴で、その人の判断にセレンディピテー(偶然性)が加味されて、やがては花が開く筈だと信ずる風土になっている。日本では一旦始めたら撤退できない空気が満ちている、と。中止・撤退の発令権限者に誰がどう「鈴」をつけるのか。日本独自の集団と組織、その中での個の動き、一朝一夕では変わりそうにない国民性も動き出す兆しは感じられる。外国の良い点を、昔から上手に取り込み消化してきた日本の弾力性はこのR&D管理に於いてもやがて勝算を得るでありましょう。

▼ 2004/ 02/ 18

「プロの技」

 プロスポーツ、美術工芸、歌、演劇など人を惹きつけるのは、そこにプロの技があるから。勿論、一般の職業人とて、相応しい技を身につけているのは当然のこと。土壌を嘗めて養分を計る農業人、天婦羅の油温が瞬時に判る人、炎の色で温度を正確に当てる焼物師、指先の感触で0.2ミクロン級を左右するレンズ研磨師、気温・湿度によって微妙な塩加減をするうどん練り士、又、抽象的な注文色に極限まで近づけようとするカラー印刷校正刷り師、音の歪み0.001%を越える良い音を求めるオーディオ音の技師たちも印象に残る。身近にもこんな人が居りました。

 どんなにハイテク型の電子ソムリエ器でも、○○地方の○○ブドウで○○年度でどのシャトー貯蔵かまでは判る筈もなし。万々が一、判る様になったら「味」がなくなる。

▼ 2004/ 02/ 10

「幸運」

 今で言うところのベンチャー企業に入社したところ、素晴らしい年長者たち・先輩たちとの触れ合いが自己の成長と人生に計り知れないものであったことに改めて感謝。

 勿論、同僚・部下たちからも多くを学び教えられました。人は一人では生きられぬ、と改めて感ずる次第。さて、自分は他の方々に幸運を少しでももたらせただろうかと自省。

▼ 2004/ 01/ 27

「刺された痛み」

 蚊にはよく刺される。稀に虻(あぶ)にも刺される。刺されると痒い。少し痛さもある。刺す側からすれば、人の血を求めての行動と、自己の餌としての毒物注入による相手斃し、防御的行動等いろいろ。日本でも刺咬する動物は数多い。ダニ・蟻・蜂・ムカデ・マムシ・クラゲなど、その中でも最強はマムシ科のハブか。咬まれると灼熱痛とか。焼け火箸を当てられたようだと。味や香り、色、音などを言葉では正確に表現できない様に痛みも表現し難いようだ。便宜的に痛み指数なんてあるかも・・・。

 刺すのは動物に限らず植物にもある。豪州ケアンズの熱帯雨林に注意看板あり―○○○この種の草木に触れるな―と。枝葉の微細なトゲが人の皮膚にめり込んで激しい痛みをもたらすと。日本では皮膚炎症をもたらす漆を始めとし、銀杏・イチジク・イラクサ・カラタチなども一寸注意。かぶれの原因なる毒物にも、人はやがて耐性を得て強くなる。

 刺したり咬んだりは動植物ばかりではなさそう。人間もかなり強い毒―それも言葉や態度による―でアナフィラキシー(ショック症状)を相手に与えてしまう傾向にある。それには自身が耐性を持つばかりでなく、積極的に毒中和波長を発振することが必要かも。殊に民族間、国家間では最重要ファクターであろう。

▼ 2004/ 01/ 21

「開発管理」

 多様多彩な職場を経て後〔研究開発+生産〕分野の総括管理に携わったが、今にしてみると反省事項の山積み状態。甘い自己採点で2勝6敗2引き分けか。花を咲かせるテクノロジー、それをまとめるエンジニアリング。自己(自社)の実力査定も不十分にして背伸び戦略。守るより、ついつい攻める方に心が動く。その結果、開発ロス、企画ロスに見舞われる。その反動で、ユーザーニーズと称する偏った市場情報対応テーマが続出。低次元(作り易い、まねし易い、低付加価値)の品番のみ激増。真の市場潮流に船を乗り入れ、販売する人が喜ぶ商品をつかむ努力に欠けていた結果は短期的には良しであっても、中〜長期的には不可であること明白。不思議なことに、そんな荒れたR&D場に、幾つかの新技術の芽が生えて来、トレンドニーズなる陽光の下、ぐんぐん育ち始め、いつの間にか実を付けもした。そうなると、販売人たちは争ってそれを市場に広げようとし、いつの間にか主力商品の座へ。

 テーマには総合的な大テーマとそれを取り巻くサブテーマがあり、諾/否、可/不可、安全/危険を良く考えて設定するものの、思惑通り進まぬのが常。上述の6敗も失敗ではなく陽光次第で開芽すると信じ、廃棄しないで経験・ノウハウの中に組み込んでおくと良いと。技術の某大先達曰く、“研究には失敗なんてないんだよ。偶々こうしたらこうなっただけのことだよ”と。少し救われました。

▼ 2004/ 01/ 14

「スピードリミッター」

 “狭い日本、そんなに急いでどこへ行く”とばかりに猛スピードで走る大型トラックに、時速90kmを超えられない装置の装着義務づけが始まった。マイカーの運転となるとスピードは燃費の悪さをもたらし、修理費用も増えるが、トラックでは更に顧客の要求日時に間に合わせる―殊に生鮮品の市場への輸送ともなるとその厳しさは大変だ。

 日頃の繁忙を逃れて温泉へでも行こうと高速バスでさっと移動、宿での食事は遠地から届けられた美味いろいろ。お土産が増えて自宅へ宅急便で発送等々、“スピード”の恩恵まざまざ。温泉にのんびり入りながら、更なるスピードアップ(事業、開発、業務など)を思索するなんて笑えない話。いっそのこと、自動走行制御型高速道路にして時速150kmでドライバーが寝ていても到着する仕組みにしてはいかが。いやその前に、やはり90km以下で運行する方が現実的と頭が戻った。調べてみると、諸外国でも既に実施しており、かなりの成果が出ている様。

 サービスの重要要素にスピード性はあるも、おのずと限界があるのも自覚すべしか。早くに並べられた宴会料理は冷えて不味いもの。早けりゃよい…とは言えぬ。要はタイミング。それは又、スピードに戻ってしまう。困りました。

▼ 2004/ 01/ 07

「模倣」

 本欄別項で“江戸小絞は半導体の素地技術”に触れたが、PHP新書031(石井威望著)に同種の記述があり、こちらが2年遅いので結果的に盗作(?)になってしまった。記述にはかなりの差異はあるもののポイントはほぼ同一なので判定負けか。

 思い出されるのは歌謡曲の節付けで小林亜星氏/服部克久氏の争い。音譜の組合せは、何万曲とある先行曲にどこか似てしまうのは止むを得ないことか。そこの線引きは極めて難しいところ。

 それが、知的所有権の工業技術権利なる「特許」となると 出願―審査―公開―審査請求―公告―登録 なるステップを踏むので、もし先行技術の存在を知らず、又、調べても見つからずで、公告の段階で一応のストップがかかるので、その段階までは公的に謗られることはない。ではあるが、公告―登録に至っても、一寸待てとばかりに異議申し立てが頻発する有様。

 独創性、創造性の度合いが多いほど、訴えられる確立は低いのは当然。では、その度合いを高めるには…? “自分が考えつくならば他人も考えついているに違いない”と心得て、検索・調査を丹念にしよう。

▼ 2003/ 12/ 24

「スマート」

 イラク戦争で大量に投下された、スマート爆弾。“スマート”とはアメリカ人独特の洒落で、残酷な道具に逆のイメージ形容詞を付けたものと思っていた。

 そんなところでスマート材料なる文献に触れた。そこで気になって辞典を見ると、スマートとは、ハイカラ、当世風の、腕利きの・・・等と、その末尾にスマートマネーとは懲罰的損害賠償金とあって驚いた次第。過去に特殊、いや、スマートな接着剤に関わった者としては、むしろ機能性(Functional)・気の利いた(Intelligent)の方が良いのにと思っていたところに、スマート接着剤なる英国人著の文献に触れ、アララ以前開発に関わったテーマは皆スマート扱いになっている事なのかと。制振性、導電性、熱伝導性、熱発泡性、防炎性、再剥離性、などなど。それも光や電磁波で迅速に硬化させるスマートさを。実際には、それらの開発は決してスマートに進んだ訳でなく、次々に立ちはだかる技術障害、それも先行競争者の特許の壁、技術的にクリアーしても商業的には市場に受け入れてもらえず…のケースが多々。

 こう見るとむしろ、気を利かし、情報に基づいての感じから、インテリジェントのほうが自己満足的ワードと思われる。所詮、外来語の、特に形容詞のニュアンスは使い方が難しい。いっそ日本語で、“知能的”―なんかしっくりしませんね。やっぱり“機能的”ですか。

▼ 2003/ 12/ 17

「或る提言」

 十年一昔、10年程前に実践経営研究家 小林宏氏の管理講座に参席したことがありましたが、当時同氏が、"日本の行く道 10の提言”を出しておられました。一昔過ぎての今、これらはどうなっておりましょう。

  1. 日本の空の交通は飛行艇、水上機化。
  2. JRの駅・路線の上に高品質マンションを。
  3. 海の公共事業の大規模化。
  4. ミニ水系を利用した電力開発。
  5. ヒマラヤの電源開発。
  6. 国内の重工業・エネルギー・素材産業の民営によるコストセンター化。
  7. 大阪に総合的国際先物センターの設置。
  8. アジア米銀行の設立と振興。
  9. 日本の政治浄化の為「道州制」の採用。
  10. 海、空の保安力の強化充実。

 各項とも、人それぞれ賛否ありましょう。大切なのは、自分なりの提言(=意見)を持つという姿勢でしょう。まぁ、上の例を議論のトリガー(契機)にしてみたら、と。

▼ 2003/ 12/ 10

「只より高いものはない」

 10年以上も前に街角で髭剃り具を宣伝配布で只で入手した。やがて替刃が必要となり購入。その単価に驚く。それから今日まで、どれ程の替刃を購入したことやら。その当人が、機械組立用接着剤を販売する際に、自動塗布ロボットを原価で顧客に納入、月々の接着剤は安定的に付加価値を生み出してくれる、という仕事をしている事に改めて気づく次第。又一方、自宅でのパソコン作業、便利なプリンターを駆使、これも専用インキの累積購入高が驚く程の額に。この種のビジネス方式の究極は携帯電話か。あのハイテク機器が100円ですよ、いや1円でいいですよ、と。その後の¥が見え見え。鈍感な小生でも身構える。

 商売の要諦は“顧客の継続的購入”に在ると。新規の顧客を獲得する為の努力は、顧客の継続的維持よりも何倍も必要となると。昔、販売教育で教えられたのを思い出した。

▼ 2003/ 12/ 3

「悲しいプロジェクトX」

 魚雷用過酸化水素の爆発によるものか。バレンツ海の海底90mに沈んだロシア原潜クルクス号(23,000トン)の引き揚げドキュメントは、ロシア版、いやヨーロッパ版プロジェクトX。引き揚げ用ロープを通す孔明けに、[水+砂]を1500kg/cm2の超高圧で噴射する水中作業。分厚い鋼板の下には、内貼りのゴムライニングの障害。冬到来で荒天下の作業。船体の一部を糸鋸ならぬロープ形鋸で切断。専用の引揚船の突貫改装工事と現場への回送。台風来襲への指揮官の苦悩と決断。潜水夫たちの文字通り必死の深海作業。一縷の望みを託す原潜乗組員の家族たち。CGを駆使した最近のアクション映画など及びもつかない緊迫感。結果は、艦の浮上・回航に成功すれど、人命救えず。

 このドキュメントフィルムに接し、ハワイ沖の宇和島丸、東シナ海の北朝鮮工作船の引き揚げを思った。各々の乗組員の、その時の心理は如何に・・・と。かつてプラント工事に従事した者として、鋼製タンク、大深度トンネル、狭い下水管暗渠など閉所恐怖を招くような現場の経験と比しても、沈没の残酷さは想像に余りある。

 沈船引き揚げなら、カリブ海のスペイン金貨を積んだ帆船の作業には就いてみたいもの。

▼ 2003/ 11/ 26

「落ち葉」

 秋には落ち葉で芋・栗・銀杏など庭先で焼いたものだった。昨今は安易に燃やすことが出来ない。昔、母の実家の信州では、落ち葉に水を加えてブリキタンクに詰めてメタンガスを発生させ、台所までゴム管で引き入れていたのを想い出す。これは一種の醗酵分解。今は家庭菜園の有機肥料に。

 植物は天然多糖類のセルロースなど、バイオマス高分子。その莫大な量を燃やしても発生エネルギーは、さしたるものではない。折角、日光合成された炭素-水素の高分子をもっと有効利用出来ないものかと科学者たちは奮闘中。マイクロ波での熱分解によりグルコサン無水糖などの分解油を得たり、分解させずに他の物質を付加して有用物を得んと、セルロースにポリエチレングリコール(PEG) を加えるメカノケミカルプロセスによってポリマーアロイ(複合強化材料)を創り出す研究などなど。

 風倒木や間伐材の有効利用はエコ時代極めて重要テーマ。若し反芻動物の牛や山羊の如き胃分解システムレベルの分解酵素があれば、食糧問題は一気に解決するんだがな・・・、と思い乍ら、縁側で掃き集めた落ち葉を眺めつつ電子レンジでチンした焼き芋を食している自分。

▼ 2003/ 11/ 19

「スピード」

 40年以上前、工業技術院○○研究所で、当時でも○億円と称する核磁気共鳴吸収装置を見た。50坪の専用建屋の中に鎮座しており、俗世間にとって、いつ頃役に立つようになるのか、などと漠と感じた次第。いつの間にか、今の病院検査部門のMRI技術では、CT診断装置が在るのが当たり前の様に普及。現在の高性能機では超電導磁石を用い、数百MHzでの測定。それは、原子・分子の拡散、分子回転、電子スピンの運動の情報が得られ、医学・生物学分野では欠かせないとか。基礎研究ものは、その実用化にはかなり年月を要すると言われるが、近頃はスピードが速くなっている様だ。

  • 化学者スモーレーによって発見されたフラーレン('96年ノーベル賞)
  • 生理学者プルシナーによって発見のBSEのプリオン蛋白質('97年ノーベル賞)
  • 物理学者フフトとベルトマンによる電弱相互作用の量子論的構造解明('99年ノーベル賞)

 これらの事例からも 研究−成果 のスピードの速さ実感。それは研究環境の整備のみならず、学産のコラボレーション、情報の共有などが大きく作用していよう。エジソンの発明の様に“何でも一人でまとめ上げ”は、もう無理な時代。じっくりも大切なれど、スピードが大切。難しい!

▼ 2003/ 11/ 12

「水」

 過日、京都で第三回水シンポジウムがあり、世界的に深刻化している水不足問題の討議が為された。古今、水不足は戦争の原因になってしまう程重要事項。日本は水が豊かに見えるも輸入食糧に使われた水の量は、日本国内の年間水道量の3倍に達するとの認識問題などにも、注目。

 水道があまり普及していなかった昔は、共同の水場が設けられており、傾斜する段々畑の如く、水槽が連続して配置されて、上から、水源槽−−飲料専用槽−−食品冷却槽−−食材濯ぎ槽−−食材洗い槽−−衣類洗濯槽−−農具などの泥もの洗い場−−(川へ放流)の順で無駄にしなかった。醸造業の生家では水源−−(貯水槽の連続)−−台所へとつないであった。単に醸造の為の大量の貯水と見ていたら、消防用の貯水も兼ねていた次第。常に変わらず13℃、冷蔵庫代用−−今では懐かしい思い出。

 最近、企業では、ISO−14000等の環境問題が最重要課題。或るメッキ工場では、上述の共同水場の概念を取り入れたメッキ槽/メッキ液の流し方によって、大幅に液量の減少が図れたばかりでなく、トータルコストダウンが大であったとのこと。水は何回でも使えるもの、改めて感じ入る。

▼ 2003/ 11/ 5

「遠隔操作人」

 手を触れないで物を動かす、これが遠隔操作の極み。ガラスコップの中のコインを外から手を翳(かざ)して移動させたり、中国気功の達人が、何メートルも離れている人間を無言で押し倒したりは、]波長のエネルギーの為せる業か。又、影で己の力を行使するのも知能エネルギーの業か。北野“座頭市”も切った悪ボスの後にさりげなく本当の悪が居た。まさに“悪い奴ほど良く眠る”(黒沢映画)と同じ。裏で人を操るのがもっとも賢いのか。

 こんなところで、“やってトライ”なるTV番組を見た。魚の種類も判らない若い女性に鰯のつみれ汁を作るよう街角でトライさせるもの。出来のあまりのひどさに、当人達を2日間の魚市場修行させることにした。結果、労働の大変さ、責任感とは何ぞや、等々、職業意識を短時日で身に染み込ませたハッピーエンドを見て小さな感動を覚えた。チャラチャラ若人でも場があれば変身するものだと。

 感動は、与えられるもの。与えようとしても、容易には与えられるものではない。だから感動を発した人は、本当の遠隔操作人――スーパーマジシャンと言えます。

▼ 2003/ 10/ 29

「ある休刊」

 月刊誌の「電子技術」(日刊工業新聞社)が、’03年10月号をもって休刊に入るとのこと。そこで、昭和34年(1959年)の創刊号は?と気になり眺める。同年は現両陛下のご成婚の年。翌35年は日本を2分した安保騒動。自動車の日産セドリックが上市されたり、まだ3輪自動車が生産されていたりの時代。この頃は一般人には電気は判っても電子は知らない。電子は専門家のみの単語、欧米ですらエレクトロニクスなる用語定義に懸賞募集がかけられていたくらい。

 さて、上述の創刊号の特集記事はと覗くと、“最近の電子応用”と題して・・・、

  • EL、半導体を用いた光電装置、電子写真の原理と応用、電子冷凍、太陽電池の実際。
  • 巻頭言では“テレビ時代の次に来るもの”・・・
    • 超短波からマイクロ波へ
    • 電子計測とオートメーション
    • 期待の大きい電子計算機
  • 座談会“伸びゆく電子工学”と題して・・・
    • 電子計算機はトランジスタかパラメトロンか
    • 半導体材料に金属間化合物を
    • 高周波トランジスタ、EL、医療電子技術など

 この時代のこの企画マンの感性に拍手。45年も経った今日では誰でも結果論的批評が容易。“先見性の評価尊重”の有無が企業の盛衰を決めるとなると、専門家の意見(異見)に耳を傾けることが如何に大切かが判る。松下孝之助翁は他人の言を超真剣に聞き入っていたそうな。

▼ 2003/ 10/ 22

「結合の度合い」

 国と国との結びつきでは、大の仲良しから戦争直前の状態までいろいろ。民族的、歴史的、地理的条件が絡み合って単純には理解し難い。

 化学結合でも、分子や結晶を形成する原子やイオン間の共有結合(σ結合、π<パイ>結合、単結合、二重結合、三重結合)、Na+Cl−の様なイオン結合、S・P電子が自由に動き回る金属結合、凝集や接着などに関わる中性原子を緩く結ぶファンデルワールス結合、が在る如く、国家関係も種々の形が。日本−韓国だけでも、併合統治領時代は見かけの金属結合、終戦になって米国が介在してのファンデル結合に、経済発展に伴って徐々にイオン結合に向かって進むも、技術競争時代に入ってLCD・D−RAM・鉄鋼・造船などでの日本側の苦杯続きからファンデル結合の方へと緩み、そんなところに北朝鮮問題の発生(表面化)。それに米国が絡んで一挙に複雑系へと。物質の結合形態は、もともと混り合いの結合方式なので、何か国際関係にも似ている。

 結合させる要素は何か。分散させる要素は何か。分散があるから次に結合があるのか。国連も大変だ。

▼ 2003/ 10/ 15

「或るものの見方とらえ方」

 ある会合で教えられました。「これからの病院はホテルを見本にせよ」と。即ち、病院もホテルも、共通要素たる宿泊・食事・生活・安全から成り立っている箱物(建築物)組織体であること。「患者はホテルの宿泊客であるべき」と。なのに病院では食事時間は画一的。医師にとって診察し易い高位置ベッドは転げ落ちる危険性を持ち、患者を上から見おろす問診(見くだす意識も少々あり)、それも患者に先に口を開かせ聞いてあげるという態度。窓口に至ってはウェルカムの心情は認められず、ドライな事務処理。況や教授先生の大名行列的診察なんて権威主義もいいところ。

 企業革新活動では、手本になりヒントになる事例に早く気付き、それを学ぶのが実際的である経験は多々。患者をカストマーとして捉えたとき、見方とらえ方が変わってくることでしょう。もっとも、あまり居心地良いからと長居されても少々問題ですが・・・。実際、上述の心根で経営されている病院が在るのです。隅田川沿いのS病院もその一つでした。

▼ 2003/ 10/ 08

「記憶(二)」

 別項で触れた、形状記憶合金や形状記憶プラスチックは、何れも形状のみを、かつ事前に教えたワンパターンを発現するのみで、動物記憶のメカニズムとは根底から異なるのは当然のこと。 最近のAIST(産総研)脳神経情報研究部門の研究“感情を記憶と結びつける神経回路のイメージング”によると、作用機序の解明に、又一歩近づいた様だ。「今までは嬉しい悲しいなどの感情記憶は扁桃体と海馬の連携であろうと、心理学面からのアプローチで示唆されていたが、光学イメージングなる手法で、神経回路の情報入力の仕組みが判ってきた。又、機能的MRI装置による、ヘモグロビンに関わる血流変化の測定によっても海馬自体の機序が判った」と。

 将来、かなり解明された時に、人は物理的・化学的手段による、記憶のオンオフ・色付け(脚色)や拱択的拡大・縮小技術に目を向けるようになるかも。人の脳の仕組み解明は科学としての最高かつ最大のテーマでしょう。それだけに記憶はいつもキーワード、そう言えば、昨年も同じように考えてファイルを作った筈なのに、どこに収納したやら、記憶に無い。   あーぁ!

▼ 2003/ 10/ 01

「多民族」

 別項で紹介の門下生は、師の息づきが生徒にリレーされて、歴史・伝統が人脈的に育まれていく様についてのこと。それは学問の世界だからだろう。技術と人材と資金が主な要素になっているベンチャービジネスの世界、それも草分けのシリコンバレーとなると門下生なる単語は死語か? シリコンバレーネットワーク情報によると、シリコンバレー地域の構成民族は次の状況と。

白人アジア系ヒスパニック系アフリカ系
1970年83(%)
1990年63
2000年482424 4
全米平均75 4 912

 このような多民族構成となると、お互いの価値観の尊重と民族の特性を生かした環境が絶対条件となる。元々、多民族に馴れ慣れしている米国(合衆国)でこそと、納得。日本では、この環境作りに向かって努力しているものの(例えばR&D分野の構造改革等が進行中)、一朝一夕には出来ないことなので、慣れるまでの間は、提携/協業/共同など組織体としての触れ合いで進めることが肝要かとも感ずる次第。

▼ 2003/ 09/ 16

「真空」

 真空とは文字通り、真(まさ)に空(くう)なり。物質がその空間に全く存在していない状態を絶対真空と言うそうな。しかし、そんな原子・分子が漂っていない空間は、一寸得られないので、僅かに存在する状態を超高真空と呼ぶと。辞典を見ると、物質が無いところを電磁波が伝播するのも、局所的な励起が隣へ隣へと移っていくからと。そんな予備知識のところでTVの宇宙誕生の番組を見た。

 「真空は独自のエネルギーを秘めている様だ。何か科学と神秘の狭間の話の様だ。宇宙誕生・ビッグバン膨張(インフレーション理論)に大きく作用しているのは宇宙の真空力によるとの論。J.マックレー博士は50μの金の球を用いて実験、全ての力の影響を差し引いても余りがあった。即ち、これ真空力なりと。真空から未知のχ粒子が出現し、瞬時に消え(いや隠れる)、宇宙が膨張する程、単位空間のエネルギー密度は稀となると思いきや、濃となると。」

 俗世の感覚の逆。もともと宇宙の仕組みのほんのひと欠けらを手にした人類は、次に進むと、その何倍も「?」が発生してくる。宇宙の話は人を思索へと駆り立てる。6万年ぶりの火星大接近・・・、いや、これは宇宙の片隅の出来事でした。

▼ 2003/ 09/ 09

「門下生」

 久方ぶり、萩の松下村塾を訪れました。こんな小屋から明治の逸材が輩出したのかと、改めて感慨を覚えた次第。同じく塾・学校の事例多々あり。オランダ商館医シーボルトは、科学者・外科医として臨床医学中心に、鳴滝塾なるオープン校で幕末に近代医学の礎を作り、その生徒たちが全国に散った(150名以上と言われる)。西欧の科学書、特に化学分野の知識文書の紹介・翻訳の川本幸民につながる人々。ルビンシュタインにピアノを、チャイコフスキーから作曲法を学んだケーベル先生の門下生が、その後の日本の哲学界をリード。強力な磁力鋼の発明で知られる本多光太郎が、今日の東北大金属材料研究の礎を築けたのも、門下生輩出の結果。又、ノーベル賞受賞の各先生方も、若きころ師の下でそれぞれご指導を得られての後の姿と見るや、当たり前の事ながら、門下生は単独名詞ならず師―門下生なるフレーズでありましょう。

 水素吸蔵合金が水素を放散しながらムクムク膨れ盛り上がる如く、科学立国に資する人材が生まれんことを願うところです。

▼ 2003/ 09/ 03

「一石]鳥」

 一石三鳥、なんと効率のよい動きと成果ですね。この時代、あらゆるものが揃っているので、この種の事例に邁遇する頻度は少なくなりました。そこを欲張って一石五鳥は無いものかと探してみました。なるほど、あるものですね。

 2002年エコプロジェクト優秀賞の自転車通勤。これは自身の運動となり、空気を汚さず、ガソリン代不要、季節を肌で感じ、通学の子供達と挨拶でき、等々と。納得。そう言えば、何年か前の自身の禁煙を思い出した。朝の寝起きの爽やかさ。食事おいしく、家族に煙い煙いと非難されず、タバコ代要らず、何より健康に。むべなるかな。長野県、田中知事の脱ダム宣言も盛り沢山のプラス(鳥)が並べられていた。その側記事に、アイガモ農法があった。アイガモは水田で害虫、雑草を食べるので天然の殺虫剤。その糞尿は肥料となり、又、水と土をかき混ぜるので中耕になるし、果てはおいしい鴨肉に。別項で紹介したOTEC(海洋温度差発電)も、発電、海水淡水化、海洋ミネラル生産、魚の養殖場造り、希金属の回収、などの効果から、五鳥以上ですね。

 五鳥と言わず、十鳥以上あればノーベル賞候補になりますか。

▼ 2003/ 08/ 27

「奉公(ほうこう)」

 今の若い人達には、どのような意味の広がりがあるのか、ピンとこないでしょう。会社再建、公害対策で辣腕を振るった中坊公平氏、財務大臣で塩爺こと塩川正十郎氏らは、今の仕事を「お国の為の最後のご奉公」と発言。昔(戦前)は滅私奉公と言って国の為、近くは会社人間という形の奉公。今はと思うに、“活私奉公”――自分を活かしての姿。元来、主君の御恩(領地、扶持)に対する臣としての奉仕義務を指したが、それが平民では、主人に対して下男、丁稚、徒弟、退職後のお礼奉公など色々な形をとった。会社でも、あの雪印は農業奉公を精神の柱としていたくらい。

 朝日新聞記事('02,6,7)に世界8ヶ国2600社の人事担当者への意識調査があって、「会社への忠誠心――ロイヤリティー度」で日本は第7位と。最近の終身雇用、昇進制度の崩れが影響しているのか。前述の活私奉公を眞に受け入れてくれる会社には、自然とロイヤリティーが生まれてくると思いますが…。

 奉公は奉仕。それはサービス。誰に対してサービスするの…。昔、トップに教えられた。“給与は誰が払うのか、それは顧客だ”と。

▼ 2003/ 08/ 20

「発電」

 東京電力の原発の全面的稼動停止で、人々のエネルギーへの関心が一層強まり、燃料電池や色素増感太陽電池は言うに及ばず、風力、地熱、廃棄物燃焼、波力などに至るまで、ニュースになりだした。

 一際目立ったのは、海洋温度差発電(OTEC)。それは、現佐賀大学学長の上原氏が30年かけて開発し、今年インドで2000人分相当の電力1000kwの実証プラントの稼動に入るとのこと。水深1000mの水温は6℃、海面は30℃。その差を利用し、水/アンモニアをサイクルさせて発電する仕組みとか。これは、発電の他に、海水に含まれる有用金属の回収、淡水化、海洋牧場(養殖場)などの副次効果も期待できるので、南太平洋諸島でも検討に入っているとか。

 海水で発電するなら、一方、水と太陽でエネルギー源、それも水素(H2)を得ようとする開発も進行中。例の光触媒と炭酸塩を組み合わせたり、又、レドックス触媒の二段光励起反応プロセスで試したり、等々。


 OTECは温度差が大きい程、発電効率が高いので歓迎なるも、国際関係や人間関係で判断や理解度に温度差があるのは困ります。

▼ 2003/ 08/ 06

「紆余曲折」

 事情が込み入っていて、色々変わること。言い換えれば、時・環境・人間関係・情報に何かが作用して複雑系を作り、それが刻々と変化する有様を指す。人はそれに触れて影響を受けるのみならず与える側にも立つ。即ち、一期(一生)一会(ご縁)の変化の連続的積み重ねと言えましょう。人は同時に二つの道を歩むことは出来ない。どんなに紆余曲折があろうとも、それは連続しており、絶対途切れてはいない。人生の行手に数え切れない三叉路あり。右か左か、決められるのか、いや(自然に)決まるのか、唯之不思議の事なり、と。陳者を省みても、

  • 高校入試願書、締切日、締切時刻を大幅に超えても、夜間受け付けてくれた係員の温情。
  • 大学卒業式間近に、ベンチャー募集情報をくれた友人。
  • 入社試験、難問なのに不思議にも自己専門領域であったこと。
  • 入社一年後年長の中途採用者に押し出されて地方のセールス部へ。
  • 中央の組織変更に伴う新事業会社へ配属、セールス経験生きる。
  • 新事業成功で中央に吸収され、新設の海外部門の責任者として、ハローから四苦八苦。それでも社費で世界中の旅。夢は現実に。
  • 軌道に乗ったところで交替、又地方へ。不思議にそこが花形部門に。

 その後いろいろな紆余曲折を経て、この欄担当の任を頂戴した次第。唯これご縁と感謝あるのみ。


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